第十一章 湯女無惨 ⑤

 安針の診療所に、珍しい患者がやってきた。黒鍬組の猪上である。心月流の達人として知られ、真っ向から相手を両断する姿から、「二の太刀要らず」とさえ言われた剣客である。体の不調があるなど、考えられない御仁でもあった。

「おい、安針、邪魔するぞ」

一人入ってきただけで、家の中がずいぶん狭く感じる。施術が終わって出てきた近所の親父が、猪上を見ると慌てて出て行った。

「おや猪上様。どうなされましたか?」

他に患者がいないのを見てとった安針は、穏やかに声を掛けた。


 上がり框(かまち)に座り込んだ猪上は、茶を出そうとする安針を制して座らせた。気短な猪上らしく、いきなり用件から話し出す。

「黒田屋は、湯女の一件どうするつもりだ?」

「それを、私に聞かれますか」

「あちらの手代は、のらりくらりと誤魔化しおる。店の奥に引きこもられては何も聞けぬのだ。ここならお前だけしかおるまい。『相談役』の名は、伊達ではなかろう」

「手代と言いますと・・・・・・利吉でございますか。なるほどあの男らしい振る舞いで・・・・・・」

「で、どうなのだ?」

「町方でもない猪上様でも、気になりますので?」

そう言われて、猪上は思わず言葉に詰まった。確かにお役目からは外れている。それでも猪上は、ごり押しすることにした。

「町方であろうとなかろうと、女に目のくらんだやわな男がおるのが気に入らぬ。そんな奴は、道場で性根を叩きなおしてやればよいのだ」


 公儀の隠密として気になって来ている猪上だが、この言い方は安針も疑わなかった。透視で確認したのはお志乃の周辺だけだ。透視が人並み外れた力であっても、使う側が知りたいと思うこと以外を明らかにできない。

「なるほど、黒田屋は商売のため、私は患者に来てもらうために動いておるだけでございますが・・・・・・何からお話しすればよいでしょうか」

「安針先生、部屋は片付けてもよろしゅうございますか」

奥から出てきたのは、お吟である。湯女を辞めてから、診療所に来る女性患者の世話役として通ってきている。一方的にまくし立てていた猪上は、少しだけ落ち着いたようだ。

「お吟か。息災のようだな」

「お陰様で・・・・・・気になる言葉が聞こえましたので、思わず顔を出してしまいました。余計なまねをして申し訳ございませぬ」


 診療所に来るようになって、言葉遣いも丁寧になった。猪上は、そんなお吟にも言い聞かせるように話を続けた。

「流れ者のお志乃とかいう女は、存じておろう。実は、道場に通う若い者の中にも、この女に懸想するのがおってな。知り合いの倅なのだ。はじめは呼びつけてやろうと思っておったが、ここの安針も関わる黒田屋が動いておると聞いて、何をしようとしておるのか聞きに来たというわけだ」

そんな知り合いも倅もいないのだが、猪上は流れるように嘘を紡いだ。

「そういうことでしたか。たいしたことはしておりませぬが、かいつまんでお話し致しましょう」

安針は、湯屋の二階で古着を仕立て直した浴衣を販売していることを語り始めた。さらに湯屋の主が困っているお志乃の行いや、周りの湯女の様子を伝え、まっとうな垢すりだけをさせようとしていると言って締めくくった。


 一通り聞き終えた猪上は、こう答えた。

「聞いている限りでは、そのお志乃は、相当の曲者のようじゃな。その程度で大人しくなるものかのう」

「どうしてものときは、町方の皆様におすがりするしかございませぬ」

「確たる証さえあれば、お主等でも何とかなるのではないか?」

「お主等とは」

「黒田屋よ。その辺りにいる下っ引きより、よほど役に立つというではないか。こたびの件に限り、儂も手を貸してよいと思っておる」


 安針の話からお志乃の正体に目星がついたらしい猪上は、自分から関わることにしたらしい。江戸で聞き及んだ話の中で、さまざまな方法で探りを入れる忍びのことを聞いた覚えがある。藩に入り込んだよそ者の話や、同心と相討ちになった湯女の話と、今回の話が結びついたのである。だが、猪上の申し入れは、こっそり処理していきたい安針には迷惑だった。

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