第十一章 湯女無惨 ①

 吉治郎の死は、市中に波紋を呼んだ。追っていたのが湯女の初音であったことや、初音が吉治郎と相討ちになるほどの腕前であったことなどから、さまざまな憶測が飛び交った。そんな中、髪結いのおたかは、店を畳んでしまった。二度も亭主を亡くし、気持ちが鬱してしまったのである。人の噂にも上らなくなったころ、峯津港で身投げをしたおたかが発見された。


 怪しい湯女がいたことと、度重なる「よそ者」の暗躍は、黒鍬組の猪上馬之助にも気になっていた。江戸で取り込まれ、藩の情報を江戸に流すようになって以来、自分以外にも隠密がいるのではないかという話を聞くと、不安になるのだ。自分の働きが悪いせいで他が動き出し、お払い箱になるのではないか。焦る猪上は、いつも繋ぎに来る薬売りの男に、報告以外の文(ふみ)を託した。自分自身の便りが、本当に役に立っているのか、また足りないところはないのか、と。


 実のところ、猪上の報告をもとに、これ以上伊納藩が発展しないよう揺さぶりをかけただけの話だった。もちろん、そんなことが知らされるはずもない。今後とも励め、という返事だけを受け取り、猪上は勤めを続けることになる。ともあれ、湯女の存在が藩の風紀を乱すということが明らかになった。当然、湯女の存在を締め付ける沙汰が増えていくことになる。だが、締め付けるだけでは、解決はできなかった。


 当時、伊納藩より人口が多くて男性比率の高かった江戸では、伊納藩以上に湯女が問題になっていた。湯女による売春行為が吉原を圧迫し、吉原の遊女が湯女としてこっそり稼ぐこともあった。禁止令はなかなか徹底せず、湯女に代わって「三助」のいる湯屋を奨励するようになる。女性に世話をさせるのでなく、男性の「三助」に世話をさせれば、風紀の乱れは少なくなる。幕府はそう考えたわけである。


 地方の小藩にまで、そんなことは伝わっていなかった。だが、平成の時代から逆行転生した安針なら話は別。黒田屋からの案として、力仕事が苦手で小柄な男を中心に「三助」を育て、湯屋で働かせることになった。もっとも、湯屋を利用する男性客にとっては、やはり湯女のほうがいい。過渡期に混乱はつきもので、同じ湯屋に湯女と三助がいる状態が続くことになった。


 働かなければ食っていけない。春を売る湯女が、他の仕事で食べていくのは難しかった。田舎の噂話は、光の速さで広がっていく。「ふしだらな女」というレッテルを貼られたまま、他の仕事に就くのは難しい。三助が風呂釜の管理など他の仕事もできるのに対して、湯女は湯女の仕事しかできなかった。また、江戸の吉原のような公娼制度のなかった伊納藩では、若い男の欲望のはけ口として湯女が必要だったのだ。


 結局、湯女のいる湯屋と三助のいる湯屋との「棲み分け」が必要となった。湯屋で垢すりを頼んで湯女に聞き取りを行い、希望があれば他の湯屋に移す。年を取って湯女として働けなくなった者には、産婆の手伝いをさせたり、足腰の弱い年寄りの介護のため加勢に行かせたりするなどして、世間に受け入れやすくなるよう配慮した。黒田屋が、さまざまな名主とつながっていたため、こうした聞き取り調査と仕事の斡旋を引き受けることになる。


 とかく「ふしだら」と言われた湯女の着物を、あえて地味なものにしていくという点で、黒田屋の古着は役だった。最初は湯屋の主に、やがて垢すりを頼みながら湯女への聞き取りに、さらに他の仕事への斡旋をと、黒田屋は商売の幅を広げていった。安針自身も、年を取った湯女を何人か雇い、女性の患者の世話を頼むようになった。鍼を打つ際、女性も肌をさらす必要がある。施術の前に必要な部分だけさらす世話は、同じ女性の方が都合が良かった。産婆の元へ送り込む前に引き受けることで、細かな気配りを仕込むこともできる。湯女の世話を通して、安針自身も産婆との交流の機会を得た。妊婦への施術も充実してきたのである。


 こうした取組は、当然のことながら猪上の知るところとなる。猪上にとって先進的な取組が江戸に報告されると、なぜ江戸と同じ事ができるのかと疑われるようになるのは仕方がなかった。だが、経済的な発展につながるものではなかったため、問題にされることはなかったようだ。

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