第十章 山椒は小粒で ③

 坂上村の蜜柑栽培も、軌道に乗ってきた。三十半ばを過ぎて次第にオッサンの雰囲気を醸しだした安針も、夏蜜柑の酸味と冬の甘みを、心待ちにするようになった。だが、山を切り開いて作ったため、それまで住んでいた野生動物が邪魔になるのは仕方ない。邪魔という考え方自体が人間の我が儘なのだが、村で一番の悩みは、何と言っても猿だった。猪と違って柵が意味をなさないし、なまじ知恵がある分、旬を迎えておいしくなったものだけを狙いに来る。


 肉が食用になる猪と違って、猿は殺した後の始末も面倒だ。藩は、蜜柑の保護のため、猿を殺して尻尾を持ち込んだ者に報奨金を出すという触れを出した。それでも、被害がなくなるわけではない。名主の集まりでも、猿への対策が話題になった。半弓では矢作りに金がかかる。猪狩りのときのように、藩から種子島(先込め式の猟銃)を借りるほどではない。棒きれを手に追い立てても、向こうの方がすばしこくて効果がない。手軽な「飛び道具」が必要だった。


 困ったときの黒田屋である。佐吉と相談した安針が提案したのは、幅五寸、長さ二尺の布だった。古着屋だけに、こうした端切れはいくらでも準備できる。これを大量に準備して、大人にも子どもにも配った。最初に順応したのは、大人の手伝いをしている子どもだ。大人と違って、根気強く作業のできない子どもは、逆に言えば周りを警戒するのに向いている。大人が作業している傍らで、手ぬぐいの端に結び目をつけたのを指の間に握り込んだ子どもがうろちょろしている。もう一方を軽くつまんで、二つ折りにした手ぬぐいに小石を包むのだ。


 猿を見かけると、子どもは手ぬぐいを振り回す。包み込んだ小石の重みで勢いよく回る。いいあんばいに勢いがついたら、端をつまんでいた指を離すだけだ。これなら、力のない子どもでも勢いよく石が投げられる。小さな子どもは両手を使った。上達してくると、柿の実を狙う鴉にも当てられるようになる。もっとも、鴉ではなく柿の実を狙って食べようとする子どももいて、大人に尻を叩かれることもあったのだけれど。さしずめ小さな狩人だった。小さな狩人は徒党を組んで、猿に立ち向かった。一人だと逆に襲われる。複数なら、かつてのように拐かしに遭うこともない。村の子どもは、逞しくなっていった。


 大人は大人で、猿以外の獲物も狙うようになった。野兎である。たまには肉も食べたい大人は、農作業の合間に山へ入った。獣の肉を食することは忌避される時代だったが、兎は一羽、二羽と数える。長い耳を羽に見立て、鳥であるかのように扱われていた。猪肉は季節を選ぶが、兎は手軽なタンパク源だった。むしろ喜んで山に入る者が増えると、猿の縄張りは、やがて人の縄張りになっていった。


 もちろん、この「投石手ぬぐい」は、黒田屋の若い衆も稽古して、ものにしていくことになる。あくまで「始末」のためだ。決して兎のためではない。だが、黒田屋の夕食に、ごぼうや人参、こんにゃくと一緒に炊き込んだ「兎まんま」が出されるようになったのも事実。

「とうちゃん、今日はついて行ってもいい?」

坂上村に出かける佐吉に、太郎が声を掛ける。息子に甘い佐吉が、拒むはずはない。

「とうちゃんが仕事してる間は、太郎・・・・・・頼むぞ」

「うん」

満面の笑みである。太郎にとっては、新しい遊びが増えたようなものだ。実は太郎も、かなりの「達人」だった。「投石手ぬぐい」を使って、黒田屋の食卓を豊かにしてくれていたのである。ただ、息子を連れて村に足を運ぶ回数が増えた佐吉の言い訳は、だんだん苦しくなっていた。ともあれ、黒田屋にも立派な「狩人」が生まれたことは間違いない。これからの成長が楽しみな佐吉だった。手代の先輩・利吉に言わせれば、ただの親馬鹿でしかないのだけれど。

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