第十章 山椒は小粒で ②
伊納藩での酒といえば、清酒ではなく焼酎。主流は芋焼酎である。薩摩ほどではないが、芋の栽培も盛んで、酒造もいくつかある。アルコール度数は低めの二十度で、お湯で薄めたりせず、そのまま飲む。ほんのりと甘みを感じさせる飲み口のためかつい飲み過ぎてしまい、翌朝顔色の悪い男たちを増やすことになる。
城下の外れにある一杯飲み屋「大政」は、今日も繁盛していた。包丁を手にする政吉は、今年で四十五。一緒に切り盛りしている女房のお兼さんは二つほど下のはずだ。もっとも、お兼さんに年のことを話すと、旦那の包丁を取り上げて振り回すため、客は誰もそのことに触れない。安針が若い頃、診療所の炊事を手伝ってもらったことがある。その縁で、ときどき顔を出すのだ。
夕方になると、暑さも少し和らいでくる。軽く飲むつもりで顔を出した安針は、腰掛けるとすぐ、奥の政吉に声を掛けた。
「来たよ。まだ、茄子はあるかい?」
奥で話し込んでいたらしいお兼が顔を出した。
「おや先生、いらっしゃい。まずは一杯飲んどくかね?」
返事を待たずに、ぐい飲みに注がれた焼酎を持ってきた。とりあえず、ぐっと飲み干す。
「いい飲みっぷりだねえ。今日はちょっと変わったのを出してみたいんだけど、先生いいかい?」
「ほう、お試しってやつかね? それは楽しみだ」
しばらくすると、油で焼くような音がした。ほどなく出されたのは、焼き茄子である。味噌をからめているようだ。それにいつもと香りが違う。
箸でほぐして一口、甘い味噌の味の次に、ピリリときた。なるほど、山椒を粉にして入れているらしい。味噌の甘みを引き立てているのは、ほんのわずか入れた塩のせいだろう。あとは味醂か・・・・・・。味噌が甘口な分、砂糖は使ってないだろう。安針の顔色をうかがっていたお兼が一言
「お気に召したみたいだね」
安針は大きくうなずいた。これなら、いくらでも飲めそうだ。もっとも、食いながら飲む安針は、自分の目方が気になり始めていた。
* * * * * * * * * *
ほろ酔い気分で帰る安針は、もうすぐ帰り着くというところで、余計な騒ぎに出くわした。おそらくは若い男だろう。三人の男に囲まれて蹴られ、踏みつけられして、ぐったりしている。
「おい、そのへんでやめたらどうだ。お寺の近くで殺生なんて、勘弁してほしいんだがな」
安針の顔は、そこそこ知られている。たいていはこれで収まるのだが、この日は違っていた。
「先生ですかい。こいつだけはだめだ。賭場で大人しく遊んでいりゃあいいものを、いかさましようとしやがったんだ」
横たわった男は、うめきながら起き上がれないでいる。周りにいるのは、藩士に使える中間たちだった。普段は大人しいが、いったん怒り出すと手に負えない者が多い。
「へえ、負けがこんでたのかね」
「そのとおり。だからといって、いかさましていいってもんじゃない」
「まったくだ」
そう相づちを打っておいて、間を置かず安針は言葉を継いだ。
「だからといって、殺していいってもんじゃない」
安針の言葉に毒気を抜かれた中間たちの動きが、一瞬止まった。男たちの間に割り込んだ安針が、横たわる男の胸ぐらをつかんで横っ面を張る。かくんと糸が切れたように気を失うのを見て、死んだのかと慌てる男たちに、安針は笑いかけた。
「もう気が済んだだろ。身ぐるみ剥いで、番屋の前に転がしときなさい。大丈夫、死んではいないよ」
自分たち以上の勢いで張り倒されたのを見て、男たちは本当に大人しくなった。よく見れば、筋肉のかたまりのような安針である。ぺこぺことお辞儀をして、気を失ったのを抱え、去って行った。
「思わず開掌で打ってしまったが、似たようなことが手軽にできぬものかな。佐吉にでも相談してみるか」
すっかり酔いの覚めた安針は、今度こそ本当に、家路に就いた。
後日、佐吉と話し合って作ったのは、長さ一尺五寸の細長い袋だった。木綿を三重にして作ってある。黒田屋の若い衆を前に、安針はこう語った。
「一番いいのは、この中に砂をつめて使うことだ。なければそこいらの小石でもいい。お前さんたちは、心月館で踏み込む『拍子』を身に付けてるはずだ。その『拍子』で、この砂袋をたたき込むといい。あたりどころ次第では、相手を殺さずに大人しくさせられるだろう」
安針が提案したのは、いわゆるブラックジャックだった。鈍器だが、見た目では何で殴られたか特定できない。公儀の目をかいくぐって「始末」するために、用心し過ぎるということはないのだ。
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