第十章 山椒は小粒で ①

 関ヶ原で外様として位置づけられた伊納藩、幕府の覚えがめでたいわけではない。むしろその力を削がれ、お取りつぶしにして他藩にまとめてしまうほうが、幕府にとって都合がいい。江戸から離れた九州南部の小藩である。多少の「お目こぼし」はあっても、俗に言う塩対応に終始するのが常だ。他藩からの侵入者が公儀の隠密であり、忍びの技を使って民の不安をあおっている。その事実は、伊納藩が少しずつ豊かになり、落ち着いてきたからに他ならない。運河の普請は、外様が力をつけてきているという印象を幕府に与えているようだ。


 北と西を険しい山に囲まれ、南の峠を越えれば武勇を誇る薩摩藩。伊納藩が躍進できる要素は少ないはずだった。だが、峯津港から沿岸沿いに北上し、いくつかの港を経由すれば、江戸までの「海の道」が通じている。風早村の盆踊りや、伊納城下の祭りで披露される太平踊りの歌詞には、経過地の港が歌い込まれている。他藩との物流が増えれば、経済的に潤う。幕府が警戒するのは、その一点であろう。忍びの技で攻め込まれてしまえば太刀打ちできない。黒田屋にできるのは、藩内だけで経済を回し、幕府に異心のないことを示すくらいだ。


 こうした表向きの「始末」と並行して、忍びの攪乱に巻き込まれた者の目を覚ますのは、境吉次郎をはじめとする町方の同心や、下っ引きとして送り込んだ治吉たちの仕事だった。治吉から提供された情報を生かし、黒田屋の情報とすり合わせることで、泣きを見る者の数は少なくなった。だが、無くしてしまうことだけは、どうしてもできない。捕縛されて藩から追い出される者もいれば、網元の権蔵の指示で、外海に突き落とされる者もいた。そこからもすり抜けていこうとする者は、安針が一刺しすることになる。


 裏の「始末」を忍びに見られることだけは避けたかった。安針たちは、町方が踏み込んで忍びの姿が消えた後、こっそりと「始末」を済ませた。あくまで事故に見せかけ、彼らの意図に沿って動く者を減らしていくのである。どこかで対決する必要はあるだろうが、正面からではなく、少しずつ力を削いでいく形で進めていくほうが良かった。藩外の情報を知らない黒田屋に、公儀と張り合う力はない。伊納藩の外交の影で、あくまで補助的に動くことしかできないのである。


* * * * * * * * * *


 最近の安針は、自らの一刺しでの「始末」が減った。先日も、女がらみで博打に手を出し、借金で首が回らなくなった男を「始末」した。自分の若い女房を、借金のかたにしようとしたのである。女房を売って金を作るからと言い張る男に、それを信用しない賭場の衆がついてきた。帰ってきても、女房はいない。黒田屋が保護済みである。男は逃げ出した。

「こっちだ」

わずかな月明かりの中で聞こえた声に誘われるように、男は逃げる。賭場からの追っ手も増えてきた。捕まりそうで捕まらないまま、笑えぬ鬼ごっこが続く。

「隠れろ」

路地裏の暗がりに飛び込む。追っ手が通り過ぎるのをやり過ごしてほっとした男に、痛みが走る。背中を押されて、またよろよろと通りに出てしまう。足がしびれて、思うに任せない。


 通り過ぎた追っ手が戻ってきた。たちまち取り押さえられる。黒田屋の若い衆が誘導し、待ち受けていた安針が物陰で太ももの外側の付け根を強打して放り出してやったのだ。針で刺すと、足が完全に動かなくなる。使ったのは、三寸ほどの鉄棒だった。黒田屋の手代・佐吉の発案である。太さは五分ほどであろうか。針ほどではないが、経穴を強打すれば一定時間麻痺が続く。借金のかたに何をされるのかは分からないが、身ぎれいになれば女房とよりをもどすのもよい。できなければ、最悪本人だけの命で済む。


 安針は刺突に使っていたが、黒田屋の若い衆は手首の内側に隠して使っていた。親指で押さえて隠し持ち、手の甲を相手に向ければ、匕首をもった相手が狙うのは、まず手首だ。仕留めたと思わせて鉄棒で刃をしのぎ、その隙に反撃を加える。複数で取り押さえる際の、最初の一手である。相手が先に手を出した形にすれば、誰かに見られていたときに有利になる。表でも裏でも、「始末」の際に目立つわけにはいかなかった。表向きの「専守防衛」である。前世の安針が入れ知恵した結果、黒田屋の「始末」が変わってきた。

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