第十四章 始末の行方 ③

 安針たちが日野国屋の件で忙しくしている間も、太郎は山に入っていた。山の婆さまが亡くなったのもそのころだ。どこかで咲夜に会えるのではと思いながら動き回っていることが分かるだけに、安針は不憫でならない。咲夜は山の婆さまの跡継ぎとして、婆さまのしてきたことを引き継いだ。山の神に仕える巫女となったのだ。もとから太郎の手の届くところにはいない。


 今の安針は、咲夜と心の「声」のやり取りをしている。咲夜の透視の力は、すでに安針のそれを超え、ある程度の未来まで見通せるようになっていた。蚊帳を吊って床に入ろうとした安針は、脳裏に青空の映像を受け取った。すかさず、西海寺の大銀杏の映像を送り返した。心の「声」をやり取りする前の「コールサイン」のようなものだ。青空が咲夜、大銀杏が安針である。

(安針さま、お久しゅうございます。いかがお過ごしでございましょうか)

(里は蒸し暑うてな。毎晩寝苦しいわ。山なら多少過ごしやすいのではないか?)

咲夜は微笑みの感情を送ってくる。若鮎のような瑞々しい感情の波を受け取って、安針は少々戸惑った。瑞々しい感情の波に乗せて、咲夜は

(子種をいただくことはできませぬが、心を通い合わせることはお許し下さいませ)

と語った。


 安針が前世で学習塾の講師をしていた際、教えていた女子生徒の中によく懐いてくれる子がいた。その生徒の面影が、一瞬だけ咲夜と重なる。一瞬だけだ。前世の記憶をもって生まれたこの世。この世だけの記憶で生きる者と同じように過ごすわけにはいかぬ。

(咲夜の心は、他の者と通わすわけにはいかぬのか?)

(すべては『縁』にございます)

(その『縁』は、今だ見えぬのか?)

(うっすらとだけしか見えておらぬゆえ、今は安針さまとのご縁が愛おしゅうてなりませぬ。おそらくその『縁』は、娘を授かる未来に繋がっておりましょう)

咲夜の予見する「縁」では、安針とは結ばれないらしい。


 太郎が、山から帰ってきた。城下の医者に頼まれた薬草を採ってきたようだ。届けた後、久しぶりに稽古がしたいとかで、診療所にも顔を出した。

「安針先生、俺の腕に『針』を飛ばしてみていただけませぬか」

裏庭で相対した太助は、だしぬけにそう言い出した。黒田屋の道場で、手裏剣のように飛ばす針のことを聞いてきたらしい。自分のことを「俺」と言えるほどには自信がついたと見える。

「飛んでくるところさえ分かれば、避けなくてすむようになりました」

小賢しい物言いが妙にうれしくて、旋棒を構えた太助の小手に向かって針を飛ばす。吸い込まれるように飛んだ針が小手に刺さるかと思いきや、気持ちよく弾かれてしまった。

「ほう、一瞬だけ力を入れて凌いだか。見事だ」

「手長は、矢も受け付けませぬ。おそらく、刀であっても切れますまい」

新しく覚えた技を、見てほしかったのだろう。太郎は嬉しそうに教えてくれた。


 山の民である手長は、里にない技を身につけているらしい。前世でも、空手家の呼吸法「息吹」は、腹を打ち据えた角材を逆に折ってしまっていたし、インドのヨガの行者は、無数の針が敷き詰められたところに横たわってもケガをしなかった。ヨガを武術に転用したのは、たしか「易筋行(えっきんぎょう)」とか言ったはずだ。山の民なら、遠い昔に大陸から伝わった考え方や技術が残っていてもおかしくない。里者の後知恵で体系化されていない分、そのままの形で残ったものも多かろう。

「手長に刀は効かぬか。ところで太助、今度手長に会ったら、『石鬼』について尋ねてはくれぬか」


 前世と同様、この辺りには「石鬼」の伝説が残っていた。いわゆる鬼退治の伝説である。ただ、他の言い伝えと違うのは、鬼を「石鬼」が退治したという部分だ。英雄的な人間が退治したのではないところが珍しくて、安針の記憶に残っていたのだ。


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 伊納杉の植林が始まるはるか昔、まだ貧しかった村に、悪い鬼がやってきたらしい。村人は氏神さまに頼った。氏神さまは、幸川の上流の岩を抉って石鬼を作り、悪鬼に対抗した。だが数を頼んだ悪鬼に返り討ちに遭う。そこで氏神さまは、さらに上流の大きな岩を抉り取り、巨大な石鬼を生み出した。何日もの間、悪鬼の咆哮がやまず、地は震えた。やがて静かになった頃、村人が外に出てくると、悪鬼を退治した石鬼が尾根に横たわり、村の北側にある山が大きくなっていた。石鬼の頭は頂上付近にそのまま残り、村を見守っているという。幸川の上流で氏神にえぐり取られた跡は、美しい滝となっている。


* * * * * * * * * *


 山間部の集落の一部からは、確かに鬼の頭に似た巨岩が見える場所がある。険しい山の頂上ゆえ里者は寄りつかないが、それなりに畏怖の対象にはなっている。太郎に話をした数日後、床に就いた安針塚に咲夜の「声」が届いた。

(安針先生、太郎さんに面白いお話をされたようですね)

早速、手長を通して聞き及んだらしい。

(うむ。昔からの話には、必ず何かの因果が関わっておるものだ。山の民に似た話は伝わっておらぬか)

(里の話とは、少し違うかもしれませぬが、よそから攻めて来た者を追い払った話ならございます)

山の民に伝わっている話は、少し違っていた。


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 山の民が里と関わっていたころ、海から異国の民がやってきた。里にはない耕作の技術や道具、仏の教えなどをもたらしてくれた。仏の教えをもたらした者の一部は山に分け入り、修行を始める。その教えは、山の民にも影響を与え、彼らの生活の知恵は修行者の安全に寄与した。教えの中には、精神集中の技法や身体操作、体術もあった。山の民の狩猟や採集に役立つ身体操作は、獲物に近寄る際の穏形(おんぎょう)も含め、自然な形で取り入れられていった。


 それから数十年の後、里の漁民の中に海賊行為をはたらく者が出てきた。後の「倭寇」である。乱暴者が多かったため里でも持て余していたという。里に迷惑をかける海賊くずれを、山の民が制止したところ、争いが大きくなった。海賊くずれは山の麓まで迫り、山の民を平らげようとしたらしい。だが、大陸伝来の技術を身につけていた山の民は「石の拳」をもって撃退したという。


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 山の民に伝わる伝承は、里の伝説とはずいぶん違っていた。咲夜によれば、代々の「長」は先代の「記憶」を引き継ぐため、里の伝説と違ってかなり正確な言い伝えとして伝わっているという。安針は、咲夜の話にあった「石の拳」が気になった。

(『石の拳』が、里では『石鬼』となったのであろうな)

(おそらくそうでございましょう。兄の手長も、刃を通しませぬゆえ)

(ちとものを尋ねるが、刃を通さぬ手長の技は、呼吸と共に様々な姿勢を整えながら培ってきたのではないか)

(ご明察でございます。なぜお分かりに?)

(天竺に、そういう技があると聞いたことがある。咲夜に教えた瞑想も、同じ流れをくんでおる。以前、婆さまとも話したことがあるが、瞑想の仕方については、山の民の間で失伝したのではないかのう)

(前世のことを覚えておられる安針先生ならば、山の伝承についても違った見方ができるかもしれませぬ。そろそろ里から山に来られてはいかがですか?)

咲夜の心の「声」は、少しだけ笑いを含んでいた。少し考えた安針は、こう答えた。

(里で暮らすので精一杯だ。勘弁してくれ)

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