第十四章 始末の行方 ②

 伊納藩の殿様が代替わりして五年。藩のお偉方の顔ぶれもずいぶんと変わった。運河の普請で采配をふるった黒鍬組の猪上は隠居した。長男に家督を譲った後、運河の見張り番だと言い続けて毎日釣り糸を垂れている。脇差しだけで運河のほとりに腰掛ける姿も、今ではすっかりお馴染みになった。道場・新月館で目録であった腕前は衰えておらず、今でも入門した子どもに型を教えている。


 そんな猪上のご隠居が、ふらりと安針の診療所にやってきたのは、新緑の眩しい昼下がりだった。

「安針、元気か?」

磊落な性格は相変わらずだ。喉が乾いたと言いながら、勝手知ったる土間の水瓶から柄杓ですくって飲む。

「これは猪上のご隠居、わざわざのお越しありがとうございます。いかがなされましたか?」

「年取ると、あちこちガタがくるのだ。先日道場で型を教えておったら肘を痛めてしもうてな」

「そうでございましたか。まずは痛む場所を確かめますゆえ、こちらにお上がりくださいませ」

安針は指圧しながら患部を確かめ、鍼ではなく灸を据えることにした。痛みのある右肘を台に乗せ、もぐさに火を点ける。ご隠居は、気持ちよさそうに目を細めた。


 後は世間話しかすることがない。元から話好きのご隠居は、道場に通う子どもたちの様子や、小谷川で釣ったハゼのことなど、とりとめもなく話し始めた。

「儂が若い頃、よく『最近の若い者はだめだ』なんて言われたものだが、まさか自分が同じ愚痴を言うようになるとは思わなんだ」

珍しく気弱な言い方が気になった安針は、

「猪上様がおっしゃるなら、皆、首を縦に振りますよ。そのだめな若い者ってのは、何をやらかしたんです?」

と尋ねた。


 猪上のご隠居の長男・徳治郎様は、剣術よりそろばんの方が得意だそうな。城の修理に使う材料や大工への手当など、細かいところまで気を配るという。そんなことより、ご隠居の名前が馬之助だということを初めて知った。猪に馬の組み合わせとくれば、心月館の目録もうなずける。せめて息子には、「けもの」にまつわる名付けををしたくなかったのだろう。名前のおかげか、ご隠居と違って、妙に頭の切れる御仁に育ったようだ。安針は、お茶を勧めながら

「徳次郎様のおかげで、藩の出費も抑えられてよろしかったのではございませぬか?」

と、息子をかばってみせた。愚痴のようで息子自慢かもしれぬと思ったのだ。すると、苦虫を噛み潰したような顔でご隠居が応じる。

「いや、その節約がの・・・・・・行き過ぎておるようなのだ」

ご隠居によれば、材料にかかる費用だけでなく、修理にかかった日数で手当を出すため、大工に無理をさせて早く仕上がれば、日当も安くなってしまう。


 ご隠居の愚痴は止まらない。

「それだけではないのだ」

徳治郎様は大工が持ち込む材料にまで口を出し、少しでも安いものを自ら探し出して使わせるという。安針にも、ようやく話が見えてきた。

「なるほど、大工が良かれと思って持ち込んだ材料に駄目を出されてしまえば、大工のやる気もなくなるって話でございますね」

安針の言葉に、ご隠居は大きくうなずいた。

「その通りだ。大工をはじめとする職人の言い分を聞かず、節約に努めるだけではならんのだ。そんな仕事をさせてしまえば、修理したところは、たちどころに壊れてしまう」

運河の工事を差配した経験が、ご隠居の言葉を支えている。

「いちばんの問題はな、徳治郎に建材を都合するやつなのだ」

ご隠居の顔が、ますます不機嫌になった。


 徳治郎様は、まず生え抜きの商人に建材を発注したらしい。だが藩で奨励している伊納杉は、植林面積が足りないため、簡単に伐採できない。その分だけ割高になる。節約のため、徳治郎様は別の商人を探した。伊納藩の西に位置する隣藩の商人・日野国屋である。四方を山に囲まれた伊納藩は、他藩との交易が少ない。日野国屋は、なぜか破格の値段で、材木を都合してくれたという。急に話が「きな臭く」なってきた。


 日野国屋は、火事で財を成した豪商である。木造建築ばかりのこの時代、いったん火事になると、延焼を防ぐために建物を倒す以外、手の打ちようがなかった。火事の後で必要なのは木材。日野国屋は、時化にもかかわらず船便で木材を運び、大きく儲けたという。商機に敏感な日野国屋は、言い換えればしたたかな商人でもある。徳治郎が売りつけられた木材の質がどうだったのか、気になった。

「徳治郎が買った木は、悪くはなかった。日野国屋は、銘木を扱わせれば右に出る者がないとも言われておるからな。だが、日野国屋の扱う杉は、伊納杉に比べて堅かったのだ」

ご隠居が言うには、弁甲材つまり船のために使われてきた伊納杉に比べ、日野国屋の杉は堅く、大工が扱うには違和感があったらしい。作業効率の低下だけでなく、いままで伊納杉で組み上げてきた家に別の木材を使うことで、季節ごとの木の反り具合が変わり、いわゆる耐用年数にも影響があるという。大工のこだわりと言ってしまえばそれで済むのかもしれないが、年季の入った人間の意見は無視できない。ひとしきり話して落ち着いたのか、ご隠居はお茶も飲まずに帰って行った。


 安針は黒田屋に連絡し、大工への聞き取りと並行して日野国屋にも探りを入れさせた。ここまでは、いつもと同じ様な段取りだ。いつもなら、探りを入れた日野国屋の仕事ぶりにケチがついて、何らかの「始末」をして終わりになる。だが今回は違った。日野国屋の仕事には誠意がある。問題は、日野国屋から木材を取り寄せた徳治郎の方だった。


 ご隠居に言わせれば、黒鍬組の仕事はあくまで「差配」。大工や職人が気持ちよく仕事ができるよう調整することに尽きるという。結果として割高の仕事になろうとも、長い目で見れば必ず元が取れる。元が取れることを上役に納得させるのが、黒鍬組の仕事なのだそうだ。材料費や人件費をケチっても、いわゆるランニングコストが高くなれば何にもならない。この案件は、清右衛門兄さんに丸投げして、藩のお偉いさん方に動いてもらうしかなさそうだ。


 夏の日差しが眩しくなったころ、猪上徳治郎の名前で、地元の木材の発注があったと聞いた。ご隠居が方々に頭を下げて回ったらしい。藩の側用人に口利きした黒田屋にも、ご隠居が挨拶に行ったそうな。ご隠居も、のんびりはしていられないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る