第十三章 山の民 ⑤
伊納藩の冬は、雪が降らない。今夜のおかずは、網元の権蔵にもらったブリと、西海寺の檀家さんからもらった大根を使った「ブリ大根」だ。黒砂糖があれば、また一手間かけて作れるのだが、今日はあいにく普通の「ブリ大根」だった。
「安針先生、すみません。今日は何もできなくて・・・・・・」
「いいんだよ咲夜。山のムラに、海の幸があるわけがない。魚の捌き方なんて分からないだろう」
自分が好きで包丁を使う安針だから、かえって機嫌がいい。咲夜の酌で飲みながら、味のしみこんだ大根をつまんで、安針は言葉を継いだ。
「朝の瞑想のときは、言いつけを守っているかい?」
「はい、まず呼吸を深くして、腕が重くなるって言葉を、心の中で繰り返します。それから、えっと・・・・・・」
前世の道場で慣れ親しんだ、自律神経訓練法の基本・重感暗示だ。呼吸法についても確認しておく。
「呼吸は、三つ数える間に吸って、二つ数える間止める。その後十五数える間に、少しずつ吐くんだったね。腕が重くなるように心の中で自分に言い聞かせるときは、数えるのをやめて楽に息をするんだよ」
こちらは、座禅や瞑想のときの呼吸のリズムの平均値らしい。平成の世で、どこかの大学教授の本に書かれてあった。親子に近い年齢差もあって、咲夜と話すときは娘に対しての言い方になってしまう安針である。
「あの、今朝は、ぐるぐる回る穴の中に入っていきました」
「ほう、それで?」
「山が見えました。ムラの近くだったと思います。でもすぐ、青い空に変わりました。あと、手長兄さんや・・・・・・」
咲夜の言葉を遮って、安針が語りかけた。
「ようやく『観』えてきたようだね。でもその『観』え方は、仏の教えでは『魔境』と呼ばれている」
「『魔境』ですか? それって怖ろしいものなんですか?」
「いや、お坊様がこいつを『観』るようになると、何だか自分がとんでもない『力』を得たと勘違いしてしまうところから名づけられたらしい。要は、自分が『観』たいと思うものを選べないだけなんだよ」
「選べるんですか?」
「ああ、選べる。ただし、気持ちを楽にしながら『いつかは望むものを目にすることができる』という言葉を、繰り返し自分に言い聞かせるといい」
「瞑想から『戻』れなくなりそうなときは、自分の名前を呼ぶか、あらかじめ『戻』と書いた小石を手に握ったまま瞑想にはいるといい。瞑想の途中でも、手に握った小石は感じることができる。大事なのは、いつでも『戻』ってこれるということだよ」
咲夜が、婆さまの「飛ばす」「言葉」を聞けるようになる日は近い。
年が明け、寒さが緩み始める二月。咲夜はムラの様子を「観」ることができるようになった。生まれ育ったムラから離れた寂しさも手伝い、「観」たいという気持ちが強かったのだろう。食事のおかずに出てくる魚の「過去」の姿も、「観」えるようになった。山育ちの咲夜に、海の映像は新鮮だったようだ。ムラに届いた咲夜の「観」る「力」を、婆さまも感じ取ったとみえる。安針に「声」を「飛」ばしてきた。
(咲夜が世話になったようですね)
(『力』が鍛えられるものだと思わなかったのか?)
(今まで、直系の女にはすべて『力』がありました。元からあるものとして、鍛える方法は失われてきたのかもしれませぬ)
体系的な宗教や哲学でもない限り、何らかの「失伝」は致し方ない。
(俺の方法だと、『観』る『力』くらいしか身につかないかもしれぬぞ)
(もともと血のつながりがありますゆえ、婆の『声』を咲夜に『届』ければ、何とかなりましょう)
(咲夜を、山に帰したほうが良さそうだな)
(子種はいただけませぬか?)
笑いを含んだ「声」が「届」く。
(親子ほども年が違う。俺が別の世から来ていることは承知のはず。自分の血を残して、こちらの世の『ことわり』を乱したくないのだ)
(左様ですか。とりあえず咲夜は山にお返しくださいませ。またご縁がありましょうほどに)
婆さまとのやりとりが終わって数日後、咲夜は山に帰って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます