第十三章 山の民 ④
安針の身の回りの世話は、咲夜がすることになった。薪割りなどの力仕事は、黒田屋から通う太郎が引き受け、炊事・洗濯は咲夜の役目だ。意外なことに、咲夜は鍼灸の心得があり、それが婆さまの世話の一部にもなっていたらしい。患者の間で、咲夜は安針の助手としての立場を確かなものにしていった。
子種云々の話は、咲夜の思い込みのようだ。婆さまの「声」が聞こえた「場所」に心を飛ばして安針が問い質すと、
(安針さまのところに行けば、婆と同じになれるかもしれぬと言うただけですよ)
と返ってきた。婆さまと同じように透視ができる安針を婆さまと同一視した上で、必要以上に崇めてしまったらしい。「子種」の話題を出すと、
(それも面白いかもしれませぬなあ)
と軽くいなされてしまった。未来は本来、さまざまな可能性の集まりだ。透視のできる婆さまの孫と透視のできる安針の間にできた子なら、生まれつきの才能として花開くかもしれない。だが、婆さまの孫である今の咲夜に、透視ができないのはおかしい。
安針とて男である。咲夜が嫌だというわけではない。だが前世の離婚歴からくる拗れた性格は、そう簡単に直らない。第一、親子ほども年の離れた相手を娶るなど、この時代では非常識の極みである。ただ、しばらく里で面倒をみることだけは約束しているので、咲夜を今更追い出すわけにはいかない。
「咲夜は、鍼や灸を誰から習ったんだ?」
夕食の器を洗う咲夜に、安針が声をかけた。
「婆さまです。婆さまは何でも知ってますから」
「確かに、居ながらにして里の俺に『声』を『届ける』んだから
何でも知ってそうだな」
「私は鍼灸を習って、婆さまが楽になるよう灸を据えてあげたりしてたんです。手長兄さんは、薬になる草を習ってました。狩りをしないときは、薬草を集めてたんです」
「『呼吸』や『整体』は習わなかったのか?」
「呼吸って・・・・・・息をするのに、何かコツでもあるんですか? それに『せいたい』って何でしょうか」
整体の考え方は、まだこの時代になかった。大正時代を待たないと理解できない考え方である。
「『整体』ってのはな、まあ按摩みたいなもんだ」
前世で合気道を習っていたとき、スポーツ整体の世話になっていた時期がある。簡単な施術ならできる安針は、生まれ変わったこの時代でも、骨格のゆがみを治していたのだ。咲夜は、呼吸法については知らなかった。呼吸を整えて「透視」の力を磨いてきた安針は不思議だった。
子種が欲しいと言っていた咲夜だったが、夜にことさら迫ってくるわけでもなく、安針の身の回りの世話を淡々とこなしていた。洗い物が終わった咲夜は、土間から続く畳敷きの部屋に上がって、安針の話し相手になっている。
「咲夜には、婆さまのような『力』はないのか?」
「婆さまの血は受け継いでますけど、『力』はないみたいです」
「鍛えてみなかったのか?」
「鍛えるって、鍛えれば身につくものなんですか」
なるほど、話がかみ合わないはずだ。不思議な「力」が、生まれつきのものだと勘違いしているらしい。簡単な「透視」程度なら、呼吸法で心を静め、正しくイメージすればできるようになる。
山の民に、「瞑想」の考え方は伝わっていない。伝わっていても、失われた可能性が高い。だが真言宗が山岳宗教に与えた影響を考えると、真言宗の「瞑想」を教える価値はあるかもしれない。
「この家の前の石段を上がると寺がある。知ってるか?」
「西海寺ですね」
「ああ、真言宗だ。『真言』は、心の底からの言葉って意味だ」
安針が何かを教えようとしていることが分かったのか。咲夜は居住まいを正した。
「湧かしたお湯がかかったとき、思わず『熱い』って言ってしまわないか?」
「ええ、それは分かります」
「そのときの『あつい』の『あ』が『真言』なんだよ。『真言』には、自分の『力』や世の『ことわり』を動かす力がある。そう教えているのが真言宗だ」
咲夜もようやく分かってきたようだ。
「俺もな、失せ物探しくらいなら、山の婆さまのように『観』えるんだ。最初は呼吸を整えて、心を静めることから始めた」
「咲夜、お前も婆さまの血を継いでいる。『すじ』はいいはずだ。俺と同じことをやってれば、すぐに俺以上の『力』が身につくんじゃないか」
咲夜本人の「力」が目覚めてくれるなら、安針の子種などいらない。
翌朝から、患者がくるまでの時間を使って、瞑想の手ほどきをすることになった。咲夜は、思った以上に覚えがよかった。
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