第十三章 山の民 ②

 太郎が猪を狩れなかったのは珍しい。清右衛門は、たまにはそんなこともあると笑っていたが、準備しておいた鍋をこっそり片付けていた。最近の太郎は猟ばかりで、蔵の番は父親の佐吉に任せっぱなしだ。山に入ること自体が「始末屋」としての力をつけることにつながるので、黒田屋として言うことはないというわけだ。今日は稽古をつけてほしいとのことで、安針の所に来ている。施術は昼前に一段落したので、暇な午後ではある。

「で、太郎よ、何か相談があるんじゃないのかい」

稽古に来たと言いながら部屋で正座をしたままの太郎に、安針は声をかけた。


 太郎自身も、何から話したものか迷っていたらしい。しばらくして、ぽつり、ぽつりと話し出した。

「山で、『手長』ってやつに会いました」

「『手長』?! 妙な名だな。」

「話がかみ合わないやつでして・・・・・・。詳しく聞こうと手首を取ろうとしたら、投げられちまいました」

「お前が遅れを取るってのも珍しいな。『手練れ』なのかい?」

「いえ、殺気はなかったのです。その・・・・・・獣から襲われて、それをいなすような感じでして」

裏庭で、どんな形で手首をつかもうとしたのか実演させ、安針はいくつか投げ技をかけてやった。投げられる方向に自ら跳ぶことで、受け身が取りやすくなる。太郎はそのまま帰した。


 結跏趺坐。安針にとって、久しぶりの「透視」である。今ここにいた太郎に意識を集中して、その姿を少しずつ「引」いていく。猪狩りの時点まで「引」いたところで、「手長」の姿に意識を移し、「手長」の行動を少しずつ「押」す。ずいぶん山奥まで分け入って行くようだ。このままこいつのムラまで行こうと思っていたら、途中で目の前が白くなった。白い靄に遮られているようだ。この世に生まれ変わる以前「湧き水の村」で、「山」にかかっていた「霧」に似ている。


 翌日、支度を調えた安針は、山に入った。四十を過ぎると、山道はきつい。前世と違い、この時代は徒歩の移動がメインなので、ある程度足腰は鍛えられている。それでも、風の冷たくなり始めたこの季節、まむしや獣に気をつけながら山に分け入るのは、負担が大きかった。つがいを求めて歩き回る猪に出くわしたときは、側面から小石を念動で飛ばして自分に突進してこないようにした。まむしは、念動で飛ばした小石を頭に当てて潰し、麻袋に入れた。こいつで「まむし酒」を作ると最高だ。


 太郎が小型の猪を見逃したあたりに、男が立っていた。「透視」で「観」たとおりの男だ。

「お前が『手長』だな」

「婆さまが呼んでる。来るか?」

「無理だ。俺の足じゃこれ以上は歩けぬ」

「『白い霧』の先を、見たくはないのか」

「『白い霧』だと。婆さまとやらが言われたのか」

「そうだ。来れぬのなら、婆さまが『声』を『届ける』と言われた」

「どういうことだ?」

「俺は伝えたぞ。これで帰る」

走り去る手長の姿は、まるで獣のようだった。


 休み休み歩いて帰り着いたころには、すっかり暗くなっていた。まむしを酒に放り込んで、そのまま泥のように眠った。

(・・・・・・あなたさまが、里の『観る者』じゃな)

(誰だ?)

(手長から聞きました。たとえ『観る者』であろうと、『結界』の中までは見通せぬ)

(手長? 手長の言う『婆さま』とは、あなたのことか?)

(『婆さま』とは失礼な。あなたさまのほうが、年は上でしょうに)

(年? 四十五で爺さんと呼ばれようとは思わぬが・・・・・・)

(前の世で五十年以上過ごしておられよう。それを加えれば九十過ぎの爺さまじゃ)

(何もかもお見通しということか。今の世では、あなたのほうが年寄りであろう。手長の言う『白い靄』は、婆さまの『結界』なのだな)

(左様。我らは『山の民』と呼ばれておる。聞いたことはあるか?)

(ああ、前世で俺の曾爺さんが『山の神様の使い』に会ったことがあるらしい。爺さんからのまた聞きだがな)

(太古よりこの地に住まう者が、大陸から移り住んだ者たちに追われ、山の恵みにすがるようになった。木地師やタタラ衆が体を休める集落じゃよ)

(なぜ『結界』を?)

(愚問じゃな。例えば、タタラ衆の鍛える鉄が、里の者の『境界』を超えて行き来すれば、戦の火種となろう)

(ならばなぜ、手長は太助の前に姿を現した? 隠れ続けることはたやすかったのではないのか)

(あなたさまの『観る』気配が、何度かしたのでな。手長を使って、里の様子をうかがわせておった)

(婆さまの『声』は、ずいぶんはっきり『聞』こえるな。本当は若いのではないか)

(もう寝たきりの暮らしじゃ。ムラの者に世話してもらいながら、こうして心の声を飛ばし、心の力で結界を巡らせておる)

(ここまでムラのことを伝えたのは、何のためだ?)

(くわしいことは、手長が連れて行く者に聞いて欲しい。これ以上『声』を『飛ばす』のは辛いからの。何か聞きたいことがあれば、この『場所』に心を据えるとよい。短い間なら、『声』のやり取りができよう)

目を覚ましたのは、夜明け前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る