第十二章 始末の変化 ⑤

 伊納藩の猪は、けっこう大きい。琉球から伝わったサトウキビを栽培していて、それを食う猪が妙に大きく育つのだ。先日の猪狩りでも、大物がけっこういた。その狩りが終わると、太郎は農家の衆からの受けが良くなった。腕のいい猟師として、折に触れて猪狩りを頼まれるようになったのだ。商家と違い、古着を買う習慣のない農村部には、黒田屋の者の出入りが少ない。庄屋を通して関わるだけだった。太助が猟を通じて関わるようになって、農村部の様子が詳しく分かるようになってきた。猪鍋の回数が増えて、清右衛門も機嫌がいい。

「牡丹鍋にも、そろそろ飽きてきたねえ」

そんな贅沢をぬかす清右衛門に、同じく猪肉を堪能している安針も文句は言えない。


 かつて安針に、「始末屋」として仕込むよう言っていた清右衛門。だが主の意をくんで山に入る太郎が、かわいくて仕方ないと思っているのも清右衛門である。山に入っていないときの太郎には茶臼で抹茶を挽かせ、覚え始めた「茶の湯」に明け暮れる毎日だ。

「『伊納茶』だけじゃ物足りないよ。名主の皆さんにも『茶の湯』を広めなきゃ」

番頭の利之助がしっかりしているからいいものを、この主は趣味人を気取って遊び放題。幸い「伊納茶」が幕府に献上されたおかげで、わずかながら他藩との取引きも増えた。茶の名産地としては宇治が名高いため、さほど目立っているわけではないが、経済が潤い人心も落ち着いてきた。「始末屋」が汚れ仕事をしなくて済むなら、それにこしたことはない。太郎はこのまま、狩人にしてしまったほうがいいのかもしれぬ。安針はそう思った。


 その後も、太郎は猪を狩った。単独でも狩る自信がついたのか、山にふらりと入って行っては狩ってくる。くくり罠を使わず、自らの体術を磨くために、太郎は猪を狩っていた。猪を見かけるとまず印地打ちで注意を引き、突進してくる猪の脳天に旋棒の一撃。取っ手の反対側の突起を叩きつけ、頭蓋を砕いて仕留めてしまう。


 最近では、旋棒ですら荷物になると言い出し、鋼の握りの先に鉄球をつけたのだけを持って狩りに出かけている。以前、安針が佐吉に作らせた短い鉄棒を太くして鉄球がついた形だ。鉄球の反対側には輪が付けられていて、そこに親指を差し込み、握り込んで「鉄槌」を見舞うのだ。それを見た安針が連想したのは、前世でウォーキングする人たちが持っていた小さなダンベルである。よく工夫したものだ。


 狩りに出かける太郎は、実にのびのびとしていた。太郎はその身に野生の凄みを纏わせるようになり、城下を歩くだけで破落戸(ごろつき)も大人しくなった。これなら余計な「始末」も不要だ。童顔の太郎だが、「猪殺し」の二つ名で有名になってきている。兄貴分として慕う若者もいるらしい。


 田畑を守る者にとっての「狩人」であり、城下の破落戸(ごろつき)にとっての「押さえ役」でもある太郎は、安針のところで鍛えるのを辞めようとしなかった。対人の戦いでは、獣相手とは違った気配りが必要だし、そもそも「始末屋」としての鍛錬だったはずだ。だが本人にとって鍛錬は、自分の体が自分の思うように動かせる「満足感」にしか、つながっていないらしい。


 太郎の今の目標は、刀を構えた相手に素手で立ち向かうことらしい。安針は、「投石手ぬぐい」の先に石を結わえ付けたものを渡し、刀の柄や手首を巻き取る稽古を始めさせた。伸び盛りのこの時期は、何をさせても面白いと見える。安針の手から仕込み杖の刀を巻き取って喜ぶ太郎は、まだ少年の顔をしていた。本格的に剣術をしたことがない安針は、利之助あたりにも稽古をつけてもらうことを、本気で考え始めていた。


 始末屋の仕事も様変わりした。汚れ仕事ではなく、抑止としての強さを示すのも必要かもしれぬ。だが黒田屋はあくまで古着の商いをする店。出過ぎたまねをしているとの誹りを受けぬよう、気をつける必要がある。若いころのしくじりが忘れられない安針は、始末の在り方についてまた思案を巡らすのであった。

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