第十二章 始末の変化 ④

 伊納藩は、杉の植林で知られている。植林するに足る山に恵まれているわけで、当然、山の獣の被害も受ける。特に多いのが、猪だ。畑の作物なら何でも食べるため、定期的に狩っていかないとひどい目に遭う。初めのうちは藩がしてくれていたが、いつの頃からか農村部で資金を積み立て、藩の先込め銃を借り受け狩るようになった。銃といっても数に限りがあるし、訓練しているわけではないから狙いもそれる。狩りに行って怪我をする者もいた。そのため十五年ほど前から、罠による狩りが主流となった。


 稲刈りにはまだ半月ほどあるため、人を集めて猪狩りをすることになった。春の繁殖期に出産できなかった猪は、秋に出産することがある。増える前に減らしておかないといけないということで、急遽決まったようだ。集まった男衆は、膝丈の短い着物に緩めの股引をはいて、足には脚絆。中にはハバキという猟師のすね当てを着けている者もいた。いずれにしても、皆似たような格好だ。農家の着物は、自給自足が基本。木綿の糸から自分たちで作るので、実用本位で似たものがたくさんできる。怪我が気になるため、今回は刺し子の着物を黒田屋が提供した。


 提供したと言っても、刺し子の生地自体は農家の内職だ。できた生地を黒田屋が買い上げ、着物に仕立てている。「始末」で汚れ仕事をする際の着物は丈夫なものが必要なので、刺し子の着物は黒田屋でも仕立てている。農家にとっては、自前の着物以外に二着目がただで手に入るため、情報集めの際、すすんで協力してくれるようになる。黒田屋にとっては必要な「投資」だ。今回は、猪鍋が食いたいという清右衛門のわがままで、太郎も参加させてもらっている。


 太郎は、刺し子で仕立てた筒袖の着物に麻の単衣の山袴、すねにはハバキを着けている。杖代わりの樫の三尺棒を持って山刀を腰に差した姿は、妙にさまになっていた。トレードマークになっていた旋棒(周囲には茶臼の『挽き棒』だと言っている。)は、さすがに持ってきていない。その代わり麻袋に小石を詰め込み、山刀と反対側の腰に吊していた。印地打ちで猪を牽制するのに使うらしい。太郎なら、襲われても素早く木に登って逃げることができる。


 集まった若い衆の一人が、太郎に声をかけた。

「ほんとに、おとっつぁんに似てきたなあ」

ここでの「おとっつぁん」とは、鳶をしていた佐吉のことだ。

「今、黒田屋だってね。鳶から『あきんど』ってのも、めずらしいよなあ」

「ああ、左手だめにしたからね。拾ってもらって、有り難いばっかりだよ。親子で世話んなってる」

「おっかさんは、あの『お清さん』だろ。目はだいじょぶなのかい?」

太助の母は、かつて安針の鍼のおかげで、目が見えるようになっている。そのせいか、安針を神のように崇める者も少なくない。黒田屋の使いで安針のところに通う太郎だからこそ、ここまでのことを聞かれてしまう。

「おかげさんで元気だよ。親父が忙しいから、今じゃ俺が相手をさせられてる。うるさいったらありゃしないよ」

太郎は肩を竦めた。そろそろ出発だ。


 三~四人で一組となり、予め仕掛けておいた罠を見て回る。この地域で使われるのは「くくり罠」だ。罠にかかった猪にとどめを刺すため、太郎以外の若い衆は山刀を杖につけ、手槍にしていた。太助は礫で牽制する役だ。太郎たちの組は、三ヶ所仕掛けていたうちの一ヶ所に雄がかかっていたので、とどめを刺してその場で血抜きをした。川の流れにつけておいて、二ヶ所めに向かい、かかっていないのを確認して三ヶ所めに向かう。


 途中で雉を見かけた。物欲しげな太郎に声がかかった。

「雉はまだ早いよ。もう少し寒くなったら一緒に行こうや」

狩人としては経験の浅い太郎である。自分の印地打ちなら仕留められるという自信があった。今日は何とかして、それを披露してみたいのだ。こうした気持ちになってしまうのが、太郎の「若さ」なのかもしれなかった。


 三ヶ所めの罠は、かかったばかりの雌が暴れていた。太郎が迷わず礫を打つ。

「おい、外れるぞ。逃げろ!」

くくり罠の「くくり」が、甘かったらしい。礫を打った太郎が敵として認識されているため、気の荒くなった目が太郎を睨む。罠を外した猪が、木を背にした太郎に突進した。

「危ねえ!」

山刀を手にした太郎は、猪をじゅうぶん引きつけて、軽く跳び上がる。太郎を見失った猪が木に激突。激突した猪が向きを変えようとした刹那、太郎の山刀が猪の頸椎に突き刺さる。首を振った猪に跨る太郎が振り落とされた。猪が数歩進み、痙攣しながら前脚を折る。始末屋としての稽古は、猟師としての太郎を育ててしまったらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る