第十二章 始末の変化 ②

 黒田屋の裏にある蔵には、ちょっとした秘密がある。蔵の中央にある大樽に梯子をかけて、中央に蝶番のついた蓋を開けると、遥か下まで続く急勾配の階段が作られている。城下から二里ほど離れた町外れの丘にある黒田屋。上士や中士の屋敷の集まる区域と、商家の界隈の中間地点だ。裏手には竹林が広がっているが、その奥は小さな崖になっている。崖下は川が流れていて、半里下れば藩一番の大河・幸川(さちがわ)だ。土蔵の地下は、崖下の洞窟に通じている。洞窟の奥を整備して、神棚を設えた板張りの部屋ができていて、始末屋の修練が可能な「道場」になっている。


 太郎は、蔵の管理を任されている。鳶をしていた父親に似て身軽な太郎は、助走なしで六尺程度は跳躍できる脚力と、ある程度の暗がりでも遠くを見渡す目を持っていた。太郎が受け持っているのは、蔵への侵入を防ぐ仕組みの工夫と管理。蔵の入り口、蔵の屋根裏、蔵の裏にある竹林、崖下の洞窟入り口の四ヶ所に、太郎が工夫した「警報装置」としてのからくりが仕組んである。明け方と夜半の二回、そのからくりを点検するのが太郎の仕事だ。屋根裏や崖下の作業は、身軽な太郎にしかできない。蔵の入り口と竹林については、父の佐吉も手伝ってくれていた。


 明け方の点検が終わった太郎は、父の佐吉に報告した後、安針の診療所に向かう。「始末屋」として働くことは認めてもらってはいるが、誰かを殺めたことはまだない。指示された聞き込みの結果を安針に報告したり、しくじりをしでかしたやつの気を失わせて名主の家に運び、名主に解決させたりするくらいであった。診療所に着くと、安針は冷や飯を湯漬けにしてかき込んでいる最中だった。

「おお、太郎。飯は食ったか?」

「いえ、まだでございます」

「漬け物しかないが、食うか?」

「ありがとうございます。いただきます」

漬け物しかないと言いながら、安針は七輪に炭を入れ、干物を焼き始める。

「一人だと簡単に済ませるんだがな、誰かが来れば一品増えるのさ」

手早く焼いた干物を皿に乗せ、太郎の分を出してやる。独身のまま年を取った安針にとって、太郎は息子のようなものだ。


 安針の診療所兼自宅は、真言宗・西海寺のそばにある。西海寺が山の中腹にあって、寺に向かう長い石段の入り口付近に、安針の家があるのだ。裏庭からよじ登れば、寺に行けないこともない。お寺に向かう信者が、ついでに寄ってくれるおかげで、安針の生計が成り立っているようなものだ。石段を登り切ってお詣りするためには、鍼灸や指圧で体を丈夫にしておかねばならない。加えて安針も頭を丸めているので、信者も気安く施術を頼めるというわけだ。今日は寺の集まりがないせいで、安針も暇である。


 始末屋としての経験は、安針がはるかに上だ。身軽で力の強い太郎の長所を生かして、太郎の体術や始末の手段を工夫してやるのが、安針の今の仕事である。今日は患者の予約がないので、太郎の面倒を見る予定になっていた。食器洗いを太郎に任せ、安針は家の裏に回る。畳六畳ほどの庭の端には竹林があって、ちょいと登れば西海寺に続く雑木林だ。竹林に囲まれた庭を背にする形で家が建っている。この竹林、要らぬ客から逃れる際に重宝していた。ちょっと入り込めば身を隠せるし、見られたくない道具の隠し場所にもなる。


 安針は、竹林から妙な形の丸太を引きずり出した。太さ一尺三寸、長さ六尺の丸太から、垂直に生えるような形で太さ三寸の丸太が埋め込まれている。長さはさまざまで、大きな丸太に十本の枝が生えているような感じだ。太郎の体を鍛えるために安針が工夫した道具である。庭の中央の地面にある木蓋を開け、予め掘られてあった穴に丸太を固定すれば準備は完了だ。太郎が出てきたところで、庭先に置きっぱなしの薪の山に座り、安針は太郎を促した。


 下帯ひとつで、両手・両肘・両ひざに布切れを巻き付けた太郎は、枝を避けながら掌底で丸太を打った。両肘・両ひざも使いながら、あらゆる方向から丸太に打撃を加える。足腰の強さを生かし、空手や拳法をイメージした動きを工夫させてみたのだ。むろん、立ち稽古で合気の技をかけてやり、投げ技や関節技を避けながら打撃が繰り出せるよう意識づけをしている。稽古を始めて一ヶ月過ぎたころ、太郎の動きに「個性」が出てきた。


 太郎は、蹴りをあまり使わない。掌底で牽制して肘を入れるか、拳を握りしめて小指側を振り下ろす動きが多い。空手の「鉄槌」だ。日頃から目にしている武器が匕首や脇差のため、振り下ろす動きでとどめを刺そうという気持ちが強いのかもしれない。だが、琉球から空手が伝わっていないこの時代、素手の鉄槌の威力を極めるのは難しい。


「太郎、なかなかいい動きになってきたな」

太郎に声をかけて稽古を止め、丸太を竹林に隠すよう言いつけた。戻ってきた太郎に、

「お前の動きに合わせて、お前に合った『得物』を工夫してあげよう。出来上がったら黒田屋に使いをやるから、それまでは向こうの『道場』で、利之助に鍛えてもらうといいだろう」

日はすでに中天にさしかかっていた。太郎は目礼を返し、黒田屋へと帰って行った。安針の考えているのは、殺すのではなく、相手を無力化するためだけの「得物」である。

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