第十二章 始末の変化 ①

 夏も近づく八十八夜。一年で一番いい季節だ。予定していた施術を終え、安針は晩飯の準備を始めた。鯵のいいのが手に入ったので、いつもの刺身ではなく、もう少し手を加えることにする。三枚におろし、細かく切り刻んだところに生姜(しようが)・味噌を加え、味を調える。ネギが欲しいところだが旬を逃しているため我慢。今夜のおかずは「鯵のなめろう」だ。酢飯を分けて貰っていたので、酒を飲みながら食事を始める。


 鍼医・安針。今年で四十五になる。古着を商う黒田屋の主人であり兄の清右衛門は、今年で五十。もういい年だ。店は、とうとう番頭になった利吉改め利之助がにらみを利かせている。この利之助、今では清右衛門の立派な右腕である。利之助の下で働く手代としては、意外な商才のあった鳶の佐吉が付き従っている。左腕を痛めて鳶の仕事ができなくなった佐吉を清右衛門が拾ってやったところ、外回りでのやり取りが上手なことが分かってきたのだ。交渉事や各種の聞き込み、さらにはその内容のとりまとめの際、重宝している。


 佐吉は、鳶のころより実入りが良くなったようだ。嫁のお清もふっくらしてきている。佐吉夫妻の息子・太郎は二十歳(はたち)。生まれたときに丸々としていて、足柄山の金太郎さんのようだと言われてついた名前だ。今年の春から黒田屋の蔵の管理を任されている。佐吉に似て、身軽な男だ。安針は、鍼医の傍ら何度か、汚れ仕事の方の「始末」を手がけてきた。初めのうちは利吉と一緒だったが、利吉が利之助になったころから太郎を使っている。まだ聞き込みくらいしかさせていないが、自分が使えなくなる前に仕込んでおけというのは清右衛門の口癖である。


 古着の流通ルートは広い。新しい着物が高価で手が出ないため、庶民は古着で間に合わせようとする。仕立て直しや繕い仕事も手がけている黒田屋は、店の者がいろんな所に顔を出す。自然と情報通になってきた黒田屋を、伊納藩は密偵として活用することにした。巷の情報を報告する見返りとして古着販売の独占権を得た黒田屋は、名主たちの仲を取ってさまざまな旨味を分配した。


 農家の次男坊や三男坊に読み書きそろばんを教えた上での商家への斡旋や、祭りの差配を任せた上での出店(口入れ屋の不利益にならないよう、新規で他と競合しないものに限る)の紹介など、知り得た情報を生かして名主に儲けが回るよう動いてきた。見返りに情報だけを望んだ黒田屋は、決定権を持たない代わりに全ての名主の相談役として、ゆるやかな影響力を持つに至った。名主の間では、もめ事を解決してくれる黒田屋を「始末屋」と呼んでいる。


 始末にあたっては、しっかりした「手続き」があった。まず、もめ事は手代の佐吉が集約する。佐吉は利之助と清右衛門に報告し、関係の深い名主にも伝える。その上で、可能な限り名主に仲裁させるのだ。解決できない大きな問題については、奉行所に直接伝える。そうした案件の中には、表沙汰にしてしまうとかえって正直者が馬鹿を見るようなものもある。また、下々のささいなもめ事ゆえ奉行所が関わらないものもある。そんなとき「暗殺」を含めた「始末」を請け負うのが、黒田屋というわけだ。ただし、こうした汚れ仕事のことまでは、名主に知られていない。


 今のところ、汚れ仕事のできる「始末屋」は、安針だけである。二十年前の「始末」の折、後味の悪いしくじりをしてしまったのだ。それ以来、安針はひとりで「始末」を請け負ってきた。少なくとも、殺しに関してとどめを刺すことだけは、誰にもさせていない。太郎は聞き込みだけに使い、後始末も努めてひとりで済ませている。自分以外の手を、血で汚したくないのだ。兄の清右衛門からは、汚れ仕事のできる始末屋を育てるよう言われてはいる。だが安針は、太郎の体を鍛える他、何もしていなかった。


 昨夜の始末は、安針の「ひとり働き」。最近の安針は、何もかもひとりですませることが多い。今回の相手は、若い娘を手込めにして死に追いやった破落戸(ごろつき)。太腿外側の付け根に鍼を打ち込んで足を麻痺させ、そのまま幸川の河口に放り込んだ。足を滑らせて溺れ死んだことになるだろう。河口からは潮の流れが沖に向かっている。こいつが人目にさらされることは、まずあるまい。


 安針の「始末」は、鍼で麻痺させて海に放り込むか、盆の窪(延髄)に細いのを一刺しして心臓麻痺を装うかのどちらかだ。かつて作ってもらった仕込み杖は、手入れだけしているものの封印している。明らかに殺しだと分かるやり方は、「お上(かみ)」も動かざるを得ない。黒田屋の始末が「構無(かまいなし)」であっても、余計なトラブルは避けたい。黒田屋を通さず安針ひとりで済ませる「始末」が明るみに出ることは、今までなかった。殺める悲しみは、自分ひとりの胸にしまい込んでおきたい。安針はそんな気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る