第七章 始末屋の日常 ④

 安針が提案したのは、鰹の「炙り重」だ。前世で食べたことがある。鰹のたたきは皮の部分を炙って冷やすが、「炙り重」は刺身の状態でお重に盛りつけてある。つけだれに浸して食べてもいいし、その味に飽きたら一人用の小さな「七輪」で、客の好みに合わせて炙ってもいい。食感の違いを楽しめるし、そいつを飯の上に乗せてつけだれをかけ、葱を散らせば丼物にもなる。つけだれの代わりにわさびを添えて茶漬けにしてもいい。

「うまそうだね。『月見や』あたりに相談してみようか」

「兄さん、つけだれは店の工夫に任せましょう。『月見や』だけの高級品じゃもったいないですよ。『月見や』のは他の料理と組み合わせた形で客に出して店の者が炙ってやればいい。炙りながら食べ方を説明して広めるんですよ。ある程度広めたら、他の店で客に炙ってもらって、炙り加減の善し悪しを自慢させ合うんです。瓦版で煽ってやれば、鰹はいくらでも売れるようになりますよ」


 刺身以外では鰹節にするのがほとんどだった鰹。料理の幅が広がれば需要も増える。需要が増えれば水揚げも増やす必要がある。水揚げを増やすためには人手が必要で、人足くずれを漁に引き込み、陸(おか)で悪さをさせないよう仕向けることも可能だ。連中の全てが悪いわけではない。今までの調べでは、捨蔵とその取り巻きが厄介なだけで、あとはたいしたことはないようだ。清右衛門は、「月見や」の女将みさと、「月見や」から独り立ちして一杯飲み屋「大政」を切り回す政吉の二人に、使いをやることにした。


 鰹の「炙り重」に使うつけだれは、「大政」の政吉が工夫して、古巣の「月見や」にも渡したようだ。瓦版への手配も済んだ。まずは「大政」でお披露目だ。

「何だか、いい匂いがするな」

「おう、魚焼いてるのとは、違う匂いだ。何だか香ばしいような……」

店の前に台を置いて、小さな七輪に炭火を入れ、鰹を炙ってつけだれにくぐらせる。それを上手そうに食うのは春吉だ。

「こりゃあいいねえ。お兼さん、新しい食い方だよね」

「ええ、うちの旦那が出すんだから間違いありませんよ。つけだれをくぐらせた後、もう一度軽く炙ってもおいしいよ」

二人の掛け合いに人が集まる。「大政」が昼時に開いているのも珍しければ、その昼時に客が食っているのも初めてだ。もちろん春吉は「サクラ」である。


 集まった人たちに一口ずつ食べてもらい、早々に店じまいして夜の営業に備える。案の定、新しいもの好きの酒飲みが集まり、話題が広まった。政吉さんが切り身にした鰹をお兼さんが炙っていたのが評判になり、翌日、瓦版でも話題になる。「大政」だけでなく、あの「月見や」でも食えるらしいと聞いた商家の主たちが、話題に遅れまいと「月見や」の暖簾をくぐる。

「刺身でもいいし、軽く炙ってもいい。つけだれをくぐぐらせて炙ってもいいし、ほら、あつあつのご飯に乗せても、おいしゅうございますよ」

女将のみさが説明しながら食べさせ、酌をしながら宣伝すれば、評判はさらに広まる。お忍びで食べにきた勘定奉行の口から城に伝われば、鰹をもっとという声は、いやがおうにも高まってくる。一方「大政」では、炙った鰹にわさびを添え、飲んだ後の「〆の茶漬け」にする食べ方まで登場し、人気に拍車をかけた。


 実は、この炙り重の宣伝、黒鍬組の猪上様も一役買ってくれた。心月館の門弟に勧めてくれたのだ。

「強い体を作るにはの、本来なら猪肉を食すのがよいのだが、『けもの』の肉を嫌がる者もおる。じゃが鰹ならためらいもあるまい。刺身だけでなく、たくさん食わせるには丁度よいのじゃ」

さすがは心月館の猛者。食事にも一家言あるらしい。そうこうするうちに、網元の声がかりで、新しく漁に出る者が増えてきた。どこから集められたかは、言うまでもない。港の貯木場は、少しずつ落ち着いてきた。捨蔵の取り巻きも、ずいぶんおとなしい。あとはこちらから仕掛けるだけだ。


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