第六章 運河 ⑤

 二年半かけて、運河が完成した。一年後、宗右衛門がひっそりと息を引き取り、碁敵の鷺庵も後を追うように他界した。引退後、清右衛門のすることに一切口出ししなかった潔さは、今でも忘れられない。藤吉夫婦は、老いてますます盛ん。甚介のところのお清は、黒田屋に拾われた鳶の佐吉と夫婦になった。佐吉は今、利吉の指導よろしく商売の「いろは」を学んでいる。


 一時期縁談の話があったはずの清右衛門は、けっきょくのところ独り身のままだ。父と鷺庵の「始末」や自分たちの「始末」、さらには葬儀の忙しさのため、縁談の話はうやむやのまま立ち消えになった。店は、利吉を鍛えて後を継がせるつもりのようだ。始末屋の「血筋」を残すくらいなら、腕のいい他人に任せたほうがましかもしれない。清右衛門はこのまま、独り身を通すだろう。


 幸川や小谷川の「弁甲下り」は、相変わらず危険な仕事だ。でも河口から峯津の港までは、ずいぶん楽になった。港の貯木場には、伊納杉が山積みになっている。暮らしが安定すれば、気持ちも穏やかになる。気持ちが穏やかなら、もめ事も減る。もめ事が減れば、黒田屋の「始末」もしばらくは穏やかなものになるだろう。始末屋の安針は、鍼医の安針でいられる。


 弁甲材の安定供給は、藩の財政を豊かにした。運河にはハゼが泳ぎ、子どもが釣って楽しむようになった。小谷川の上流では幼魚を網で取る「ノボリコ漁」があるそうだが、下流の運河ではハゼ釣りが流行っている。ハゼ釣りは、安針にもできる気軽な遊びになった。前世で慣れ親しんでいたため、釣れる場所にも詳しい。そのせいか子どもに人気があったりもする。


 のんびりした毎日だ。安針もまだ若い。前世では合気道の師匠がいて、魂のままでいたころは居合いの型まで見せてもらった。この世では鷺庵に鍼を習った。「透視」で見た鷺庵の剣術も、しっかり覚えている。お兼の包丁捌きも良かった。いろんな人にいろんなことを習って、今の安針がいる。


 鍼医の仕事といえば、黒鍬組の猪上のつてで、心月館にも顔を出すようになった。打ち身だけでなく、筋を痛めたり筋肉がこわばったりした門弟を診ているのだ。道場主の堀内小十郎も元気だ。ときどき鍼を打ってやりながら、道場の型稽古を見せてもらうのが最近の安針には楽しみだ。「透視」でリピート再生すれば身につけられるので、高弟の動きが先読みできたりもしている。


 この幸せが、どこまで続くかは分からない。いつかはもめ事が湧いてくるだろう。でもそのときの「始末」は、できれば穏便なものでありたい。少なくとも数日に一度はハゼ釣りを楽しめる程度の幸せは欲しい。釣り糸を垂れながら居眠りをする安針の肩を、秋の風が通り過ぎていった。安針二十歳。前世の記憶のためか、年の割に老け込んだ考え方をする秋の夕暮れである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る