第2話
なにに支えられることなく、彼女は水中をくるくる回っていました。いったいどこに流されているのか。崩壊した地面に交じっていた石がぶつかって、彼女の目の上や掌が切れました。赤い血が周りにふわふわ浮かびましたが、不思議と痛くはありませんでした。
しかしどうやってもこの流れからは逃れられそうにないので、身体をぶらんとさせてそのままにしていると、どこからともなく影たちが現れて彼女の周りを囲みました。よく見てみるとそれは先ほど捨てた教科書たちでした。
教科書たちは次々に彼女の前に現れてはその身体を開いて幻を見せました。
ある幻の中では彼女は黒髪で、肩のあたりで揃えられたそれを靡かせながら歩いています。
スクールバックではなくビジネスバックを肩に掛け、グレーのスーツを着ています。その横には知らない大人たちがいて、彼女たちは生き生きとした表情でなにかを話しています。
その教科書の背表紙には「社会」と書かれてありました。
隣の「国語」の教科書では、眼鏡をかけた彼女が教卓に立ち、一生懸命、登場人物の心情の変化について話したりしています。
そんな感じで
「数学」ではエンジニア、
「理科」では研究者、
「英語」では旅行作家、
大人になった黒髪の彼女たちがそれぞれ、生き生きと仕事に就いていました。
そして最後に残った「道徳」の教科書では、やはり大人になった彼女が小さい子供に話しかけています。しかしその目は子供を通して、まっすぐにこちらを向いておりました。
その姿は穏やかで、その姿はまるで、彼女のおかあさんとそっくりでした。
おかあさんの姿をした彼女は言います。
「どうして、
彼女は答えます。
「いらなかったから」
彼女がそう答えると、おかあさんは傷ついたような表情になりました。
「いらない?
あなたはあんなにもいい子だったのに」
彼女はもう諦めて、その穏やかな姿に向かって飛び込んでわんわん泣いてしまいたい衝動を覚えましたが、そうしませんでした。
「私は、いい子じゃない。
ほんとうはいらなかった、何もかも、それで」
言葉の一つ一つが、おかあさんを傷つけていることは分かっていました。
それでも黙って聞いてくれるその姿に向かって、彼女は続けました。
「それで、私は捨てることにしたの、いらないものを。いい子の自分が抱えていたものを、捨ててしまうことにしたの。だってもう持てないから」
「そう、それで?」
「え?」
「何もかも捨ててしまって、どうだったの?」
「どうだったって…すっきりしたよ、悪いけど」
「そう、」
「最初にいらないって思ったものは、最期までいらないものだった。
そんなものを抱えながら生きていくぐらいなら、例えこのまま、何も手にしないまま死んだとしても、その方がましって思えるぐらい」
「そう」
「ごめんね、こんな子供で」
彼女が目を合わせずにそう言うと、おかあさんは微笑みながら、子供に戻った彼女のことを抱きしめました。
「………」
「謝らなくていいよ。あなたが悔いのない選択をしてくれたのなら、それが一番なんだから」
「……うん。あのね、おかあさん」
「なに?」
「私、本当は全部捨ててしまうつもりでここに来たのね。
だけど、私」
「………」
「私、私は…」
彼女は続きを言おうとしましたが言葉が出てきません。
それでも何とか伝えようと口を開きましたが、それよりも世界の崩壊が先でした。
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