第8話 決壊寸前

「では、姫様。夕食を置いておきます」


 扉の向こう側から声がして、扉の下の隙間からトレイと一緒に料理が差し込まれる。

 先入観で、お姫様は見た目、豪華な高級品を食べているんだろうなあ、とかよく言われるけど、わたしを見たらわかるよ……、高級品とか、食べないから。


 そんなところにお金はかけない。

 ウスタが管理をしているから、許さないだろうし。


 海浜の国だから魚料理なんでしょー? 

 という予想を裏切って、実はわたしは魚料理が嫌いだった。


 魚が嫌いなんじゃなくて、魚料理が嫌い。

 みんなだって人肉料理とかあったら食べないでしょ? それと一緒。


 なのでわたしは基本的にお肉を食べてる。

 ソーセージとか、チキンとか。


 お皿の上に乗っているのもそれだった。

 あとは果物がいくつか。正直、メインはそっちだけど。


「んー、おいしー」

 果物にかぶりついて、至福の時間。


 ほとんど水分である果実があるためドリンクはいらない。

 そう先読みしたのか、ドリンクはトレイに乗っていなかった。

 コップを使うと扉の隙間から入れられないから、かもしれないけど。


 満腹状態を嫌うので腹八分目で食べ終わり、ちょっと眠くなった……。

 ごろんと横になり、大の字になる。

 それにしてもこうして夜になっちゃったけど、アルアミカ、こないな……。


 待ってるって言ってたけど……さすがに帰っちゃったか。

 アルアミカは、たぶん、旅人だよね……なんでこの国にきたんだろう。

 どういう目的で。


 いずれ、国を出る事があるんだろうなあ。

 当たり前に。それはティカもカランも同じく。

 ……滞在するなら日数とか、どこに泊まるのか、聞いておけば良かった。


 そうだ、ウスタに聞けばいいんだ! 

 扉を開けようとしてドアノブを回したけど、開かずにその勢いのまま顔がぶつかる。


 っ、た~~!! 

 と、忘れてた。扉は縛られているんだった。


「じゃあどうやって――」


 あ。メガホン、がある。

 ああ、これで呼んでって言ってたね。


「ウスター! ちょっときてー!」


 …………しかし、シーン、と。

 ウスタがいなくともお手伝いさんが数人いるはずなんだけど……。

 メイドさん達は帰っちゃったのかな? 

 全員、定時帰りとは、ホワイトな職場だなあ。


 誰もいないと気づいたわたしの今の気持ちはブルーだけども。


「うーすーたー」

 うすたん、うっすー、うすたらったった、と遊びながら呼んでいると、


「なんですか? 

 課題が終わったわけではないのは確実ですから、用件を言ってください」


「確実だけどさ!」

 くるのが遅いよ、なにしてたの!?


「普通に家事ですが。手が離せなかったので無視しました」


 あ、うん。

 もっと違う言い方があったと思うけど……、それより。


「アルアミカってまだいる?」

「誰ですか、その魔法使いみたいな名前」


「魔法使いの子だよ。ほら、さっき一緒にいた……」


「ああ、姫様と同じくらいで低身長の」

 誰が低身長だ! ウスタと比べたら、そりゃそうだけど!


「同年代の子と比べても小さいですよ」


「平均値くらいだよ! 

 で、アルアミカ、さすがに庭で待ってるわけないよね? 

 どこで泊まるとか聞いてる?」


「いえ、分かりませんね。一度も訪ねてきてはいませんし」


 あれから会ってはいません、とウスタ。

 ……じゃあ、アルアミカは、この辺にはいないのか。


 ってことは、

 手紙の作戦は、やっぱり成功率は低いよねえ。

 どうしよう、新しい手を考えないと。


「それで、課題はどうですか?」

「まあまあかな。それなりに。順調順調」


「はあ、手をつけていないのですね」


 なぜ分かったし!


「目は口ほどにものを言うのですよ」

「扉越しなんだけど!」


 すると、ふあああわ、とあくびの声が聞こえた。


「ニャオーラ姫、

 メガホンを使って呼ぶのは、真夜中はなしにしましょう。

 でないと私の体力が持ちません」


「そうだね、うん、じゃあ気を付けるよ」


「そういう素直なところは昔から好印象ですよ。

 ですけど課題は減らしませんので」


 ちぇー、と残念そうにしておく。

 そんな意図を隠しておく余裕はなかった。

 そこまで頭、回ってなかったなー。


「では、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 扉から離れて窓を見る。

 部屋の中心まで戻ったところで、背中を突き刺す寒気があった。


 王城に帰ってきた時、庭で感じたそれと似ていた。

 昼間の温度とのギャップで冷え込んできたってわけじゃない。

 そういう寒さじゃなかった。


「なんか、怖いな……」


 だから早く寝る事にした。

 課題がやりたくないってわけじゃなくて。



 さっき感じた怖気の正体が分かった。

 もぞもぞと毛布を取っ払い、ベッドから降りる。

 部屋の端っこに置いてある袋に手をかけるけど、これを使うのは人としてじゃなくて、姫としていいのかなって、思うんだよね……。


「で、でも、もうがまんできない……」


 屈んで、なんとか耐えるけど、長時間は無理だった。

 冷静に考えたら課題が終わるまでの数日、一度もトイレをしないのは人間の構造上、不可能。

 どこかで必ず、しなくちゃいけない。

 極限までがまんし、栄養を取らなくとも、出ちゃうものだ。


 簡易的な袋にしなくちゃいけないなんて……、ウスタは鬼畜だった。


「さすがに、こればっかりはちゃんとした所で……」


 思ってウスタを呼ぼうとしたけど、真夜中はダメだと言われたし、どうせ起きてこない。

 日頃から疲れているウスタは、寝てしまえば滅多な事では起きないのだ。


 いつもなら顔に落書きしても気づかれない(気づかれないだけで後々ちゃんと怒られる)と喜ぶんだけど、今だけはその体質が憎い。

 ううう……、袋、に――、


 出してはいけない手を出しかけたところで、



「よっと。

 ん? ……どうしたの?」



 現れたのは、見知らぬ少年だった。

 アルアミカかな、と期待したけど、全然違う。


 期待はずれでも、がっかりはしなかった。


 窓の外の鎖をどうしたのか、とか、まったく音とか気配がなかったけど何者なの、とか、聞きたい事がたくさんあるはずなのにわたしはとにかく、現れた少年に抱き着き、


「――連れてって!」


 少年は行き先がトイレである事を知らぬままに、良い顔で、

「――仰せのままに」


 爽やか系の美少年はわたしをお姫様抱っこして窓から飛び降りた。

 ……抱っこはいいんだけど、一番の敵は振動だった。


 ひたすらがまんし、少年の服をしっかりと掴んで、身を任せる。


 初対面で警戒心がまったくなかったのは、この少年が初めてだった。

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