最終章  8話  解き放たれた鷹

 緩やかに下へと続く道は、やがて平地へと至り。再び、なだらかに昇り始め、やがてその先に在る城の城門へと続いていた。そこにそびえるのは、難攻不落の砥石城である。

 一年前の合戦では、多くの死者を出した。砥石城を見つめる男の親友や、尊敬する先人もその戦死者に含まれていた。男の背後には数十人の兵士が並び、馬上の彼の背中を見つめていた。


「鷹、配置は済んだぞ」


 声をかけられ振り向くと、彼の親友の一人である天波寛大が、彼の弟の政宗を引き連れ、こちらへと近付いて来ていた。


「そうか……。すまんな、助かる」


「いや、礼にはおよばぬが……、皆、不安がっておるよ」


「恐らく、此度こたびの戦での囮……と申す事に不安や不満も在る様に感じられます。如何致いかがいたししますか?兄上」


 寛大と政宗の言葉を聞いた鷹綱は、背後の人々に視線を向ける。

 彼に与えられた部隊の人数は五十人。決して少なくはないが、彼等は山本勘助が密かに砥石城まで掘った横穴から、武田の精鋭部隊が城へ切り込むまでの間、敵の注意を引き付ける、言わば囮役であった。その為、先陣せんじんの名誉は与えられても、生きて戻る事が出来る確率は低かった。


「無理もあるまい……。敵将の首を取るのが、いくさはな…と思う者が多かろう……」


 戦で敵の首を上げれば、それは手柄てがらになる。一番単純で目に見える手柄とも言える。

 その為に、兵士は死に物狂いで戦うのである。無論、戦では色々な役割の人々が居る。それぞれの役割をそれぞれが無事に終えてこそ、戦は勝利へと導かれるのである。

 だが、やはり目に見える手柄に兵士がかれるのも、鷹綱には痛いほど理解出来た。彼自身もそうやって手柄を立て、立身出世して来たからである。

 一年前にこの場で散った敬愛する人物の教えが無ければ、戦の大局を見極める事の重要性には気が付かなかったであろう。


「ここは、一つ、皆を鼓舞こぶしてみるか……」


「お手並てなみ拝見はいけんといこう……」


「お願い致します」


 天波、政宗がそれぞれに言葉を返すと、鷹綱の為に道を譲る。二人に照れた様に苦笑を向けると、彼は部隊の兵士の眼前に馬を進める。彼等の視線は指揮官である鷹綱に集まった。その彼等を見渡し、ゆっくりと鷹綱は語りだした。


各々方おのおのがた!我らは武田家の主力部隊が、敵城へ突入する為の活路を切り開く、先陣の囮部隊である!さらに、此度の砥石城攻略のかなめである、山本勘助様の精鋭奇襲部隊が、城内へ侵入するまでの時間。敵の目を城門へと引き付けねばならぬ!」


 そこまで一気に話すと、鷹綱は一同を見渡す。彼等は黙って彼の言葉を聞いていた。


功名おうみょうを焦るな!只ひたすらに戦場を駆け抜け、敵の注意を引け!」


 鷹綱は部隊の兵士一人一人に語り掛ける様に心がけ、ゆっくりと言葉をかけながら、彼等の前を移動する。その鷹綱を部下の兵士は視線で追いかける。


「これより我等われらは死地へとおもむく。なれど、死を恐れるな!死と直面しても、笑ってくれようぞ!されば、死の方が驚き逃げて行く!」


 鷹綱は大胆にも愉快そうに大声で笑った。彼の笑いに兵士達の間からも笑い声が聞こえる。


(少し、緊張は取れた様だな……)


 彼等の表情の変化に納得すると、鷹綱は兵士の笑い声や囁きが静まるのを待つ。そして、彼等が静まり返ると、彼は優しく微笑み彼等に語り掛けた。


「生きて再びあいまみえ様ぞ。そして、愛する家族、愛する恋人の元へ帰り。己の勇気と武名を誇れ。敵将の首は無くとも、我らは最強武田軍団に在って、何者も恐れず、真っ先に敵陣へと切り込んだと。我らの勇気の前では、死神すら逃げ出したとな……」


 鷹綱の言葉に、彼を見つめる兵士の顔つきは、凛々りりしい物へと変わっていた。先程までの、迷いなど微塵みじんも感じさせず、笑みさえ浮かべ、覚悟を決めた漢の顔があった。

 そんな彼等に笑顔で頷き返す鷹綱の視線が、ある一箇所で止まる。そこには彼より若い一人の武者が、鷹綱の視線に頷き返した。鷹綱は微笑み返すと、彼を手招きする。


「団十郎。お主、初陣ういじんか?」


 鷹綱に声をかけられた若武者は、響団十郎と言い。鷹綱や天波達と何度か任務を共にし、戦の訓練等に汗を流した仲間の一人である。その団十郎にとってこの戦が初陣であった。


「は・・はい!」


「そんなに緊張せずともよい。よいか?団十郎、稽古と同じ気持ちで気楽にな」


 緊張の趣の団十郎に鷹綱は笑いかける。団十郎も少し安心した様に、深く息を吸い込み、深呼吸を繰り返した。


「なかなか、どうして、良い演説じゃったの?鷹」


 いつの間にか彼の側まで来ていたエルヴィスが、可笑しそうに笑いながら鷹綱に話しかける。


「笑いたければ、笑うがいいさ……。それよりもエル。お主が来たとなると……」


「ああ、山本様、準備が出来たそうじゃ。鷹……どうやら始まりの刻限こくげんの様じゃの」


 鷹綱の問いかけに、彼には珍しく真顔で答える。鷹綱は頷くと、周囲を見渡した。そこには親友の天波、エルヴィス、そして弟の政宗。若武者の団十郎の顔があった。彼等一人一人に視線を向け、頷きあう。


「寛大は先頭で道案内を頼む。エルは後方で味方の支援を、政宗と団十郎は、隊の中間にいて、何事かあれば拙者に知らせてくれ」


 鷹綱の言葉にそれぞれが頷く。彼は馬首を巡らせると、砥石城へと視線を向け、そして、天を仰ぐと、右手で刀を握り締める。


(エルの言葉ではないが……。どうやら、ここが始まりの刻の様だ……。共に行こう桔梗……。そして、命尽きるまで進もう……夢の彼方まで……。そこで再び逢おう)


 心で桔梗に語りかける鷹綱には、桔梗の言葉が聞こえた気がする。その声に鷹綱は優しく微笑む。

 しばらく瞑目していたが、目を見開くと右手で太刀を鞘から引き抜いた。それは、今は亡き最愛の女性である桔梗の形見となった太刀であった。


「さぁ!いこう!」


「おおおおぉ!」


 鷹綱の言葉に、部隊の怒号が木霊こだまする。彼は馬の腹に気合いを入れる。彼の愛馬は、主人の意図を理解し、駆け出した。

 鷹綱は左手でも太刀を鞘から引き抜く、その太刀は彼の愛刀である。彼は二刀と広げ、両手を水平にする。


「甲斐の蒼き鷹!死地への道!先陣仕せんじんつかまつる!」


 鷹綱の怒号と共に、彼の両手に持つ太刀の刃が、太陽の光を反射し、煌く。彼の背後の続く天波、エルヴィス、政宗、団十郎は元より、彼等に続く囮部隊は、後にその光景を「光の翼を持った蒼い鳥が、自由に羽ばたいた様だった」と嬉々として家族や愛する人に語ったのである。

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