最終章 6話 それぞれの決意 2
「薬師……に……なると?」
目の前に座るあずさの言葉に、驚きの言葉と戸惑いの混じった声で鷹綱は聞き返した。
「はい。あずさは、薬師の道を学びたいと思いますゆえ、鷹兄さまにお許し願いたいと」
甲府へ戻って来た鷹綱に、彼の弟と妹の政宗とあずさが、話があると彼に告げ、彼等は屋敷の一室で鷹綱を前に、政宗とあずさが対面に座る形で話し合いを始めた。
開口一番、あずさが言葉にしたのは、彼女自身が薬師として歩みたいとの事であった。
「そ・・それは構わぬが、それにしては、突然では無いか……?」
「鷹兄様が居ない間に、このあずさも一生懸命に考えました。非力な私に何が出来るか……」
「それで、導き出した答えが、薬師であると?」
「はい」
鷹綱の言葉に、あずさははっきりと答えた。その瞳には揺ぎ無い思いが感じられ、真っ直ぐに目の前に座る兄へと注がれていた。その視線をしばらく見つめ返していた鷹綱だったが、彼は意を決した様に、ゆっくりと言葉をかける。
「あずさが、自らの考えで導き出した道であるならば、無論、拙者は反対など致さぬ。が、本当に良いのか?あずさには、母君の力が濃く流れておる」
そこまで言葉に出して、鷹綱は少し言いよどむ。しかし、彼を真っ直ぐに見つめ返すあずさの表情は揺るがなかった。先日の一件で、あずさには巫女であった彼等の母の血を色濃く受け継いでいる事が判明した。
薬師となれば、人の生死に関わる仕事である。もちろん、多くの命を救える事になる。だが、同時に救える事の出来ない命もあるはずである。その時、彼女には死後の相手の姿も見えるのである。それは、時には彼女自身を深く傷つける事になるはずである。その事を鷹綱は心配していたのである。
「覚悟の上にございます」
鷹綱の言葉に、しかし、彼女は揺ぎ無い自信を持って答える。
「あずさは、大事な人が目の前から去るのを、何も出来ず、見守るだけと言う悔しさを、二度と再び味わいたくありません。たとえ、救う事が出来無かったとしても、死力を尽くしたく思います。それに……」
あずさはそこまで一気に話すと、一息入れる。その彼女の言葉を繰り返すように鷹綱は、ゆっくりと彼女に問いかける。
「それに?」
「それに、このあずさは、松本鷹綱と桔梗姉上様の妹に御座います。
あずさの言葉に、鷹綱は彼女の決意の大きさに言葉を失った。しばらく沈黙が支配していたが、彼は優しく微笑むと、ゆっくりと頷き言葉を発した。
「あずさの決意。この鷹綱、しかと
「ありがとうございます」
「だがな、俺はあずさの兄であるからな。辛い時はいつでも申せよ?」
「はい。もちろんですよ?兄さまには、まだまだ、たっぷり甘えますかね!」
鷹綱の言葉に、普段の彼女の調子で返事を返すあずさであったが、嬉しそうに微笑む彼女の頬を一滴の涙が流れた。鷹綱はあずさから、彼女の横に座る政宗に視線を向ける。
「それで、お前も何か申す事があるのであろう?」
「はい」
政宗は姿勢を正すと、両手を着き鷹綱に口上を述べる。
「政宗。本日より兄上を主君と
政宗は一気に言葉にすると、鷹綱に
「お・・俺の直臣?」
「はっ!」
「待て待て!政宗、お前は頭も良ければ器量も良い、武田家に仕えれば、この兄よりも
「戦国にあって、
鷹綱の言葉を遮って政宗は力強く思いを言葉にした。彼の決意の強さが伝わって来る。
鷹綱は真っ直ぐな性格である。そんな彼に代わって政宗は、時には汚れ役を引き受ける事を兄に進言したのである。それは、
「光と闇はどちらが欠けても存在出来ぬ、と俺は思う。光在る所、闇が在る。闇が在れば、そこには光も存在する。無理に影に徹しなくても良いと思う。お前はお前らしく輝け。お主の努力を兄は知っているぞ。お前は俺の自慢の弟だ。それだけは忘れないでくれ。そして共に進もう。これからも苦労をかけると思うが、よろしく頼むぞ。政宗」
「はっ!心得まして御座います」
鷹綱の言葉に力強く政宗は頷いた。その言葉を聞いていたあずさが興味津々の視線を鷹綱に向けていた。その視線に苦笑を浮かべると、彼はあずさに言葉をかける。
「あずさと、虎は俺の可愛い妹と弟であるよ。忘れぬな?」
「合点承知しました!」
あずさは嬉しそうに微笑み、元気に返事を返した。
「なるほどねぇ、あの二人がねぇ……」
鷹綱の話を全て聞き終わった金次郎は、腕を組み頷いていた。
「それはきっと、あの娘の影響だねぇ……」
さやかも、目を細めると優しい笑顔を浮かべる。
「桔梗の死が……。それぞれに心の変化をもたらしたのだと……。思っております」
そんな二人に鷹綱はゆっくりと想いを言葉に出した。鷹綱の言葉に二人は静かに頷く。
「人の死は多かれ、少なかれ残された人に影響を与えるもんさね。政坊も虎もあずさも、いつの間にか、成長しているんだねぇ」
さやかの言葉に鷹綱は頷く。彼等の両親の生死は不明なのだが、恐らく生きてはいないと、鷹綱は思っている。彼は両親の訃報を聞いた時に、何とかその事実を受け入れる事の出来る年齢になっていた。
だが、彼の弟や妹は幼すぎた。しかし、今回の桔梗の死と言う現実は、彼等にも十分に理解出来たのである。悲しい現実を受け入れ、乗り越え、そして、故人の意志を受け継ぐ為に、悩み苦しみ、そこから自分自身で答を出したのである。先日の村娘の事もあり。それぞれの心の中で生き続けるであろう、最愛の人に語りかける。
(桔梗……。本当にお前は多くの、本当に多くの幸せを与えてくれた……。喜んでくれるか?みな桔梗の遺志を、それぞれ受け継いでくれたよ……)
遠く透き通る蒼い空を鷹綱は見つめた。そんな彼を黙って見ていた金次郎は呟いた。
「いい
その言葉に鷹綱は金次郎へと視線を向けた。彼はいつもの様に満面の笑みを浮かべていた。
だが、普段とは違う事がその言葉には含まれていた。初めて、父と母の戦友である目の前の漢は、彼を名前で呼んでくれたのである。
「拙者には、今日が本当の
「ははははっ!まぁ、そう言ってもらえると、こっちも嬉しいねぇ。嬉しいついでに、元服の祝いといっちゃ~なんだが、お前さんの頼まれた品、貰ってくれねぇか?」
「えっ?」
「さぁ!見な!これが、鷹綱の依頼に答えて、俺が命を吹き込んだ最高傑作だ!」
そう言って金次郎は武具庫に置かれた台座に掛けられていた布を、思い切り引っ張る。その下から現れたのは見事な鎧一式であった。
「こ・・これは!なんと見事な!」
鷹綱は目の前の鎧一式に目を奪われた。彼も戦場に身を置く一人の
「これほど見事な品は、初めてにござる……」
「そりゃ~おめぇ。俺にさやかに虎が、命懸けでこしらえた品だからなぁ。遠慮はいらねぇぜぇ。これを着て次の戦に、そして、これからの戦いに持っていきな!」
「いや、しかし、それでは……」
「ここは素直に受け取ってくれないかい?うちの人が、真夜ちゃん仕える神社に道具一式を奉納して造った一品だからねぇ。神宿りとまでは行かなくても、あたし達の想いは十分に詰まっているさ。鷹坊を守ってくれるはずさ」
さやかの言葉に、鷹綱は二人に視線を向ける。二人は笑顔を浮かべると、優しく頷いた。その二人の想いに、目頭が熱くなるのを感じ、ただ頭を深く下げ礼を述べた。
「だが、いいのかねぇ~武田家の武者が、この……」
さやかは呆れた様に囁くと、そこに在る鎧に視線を向けた。金次郎と鷹綱も彼女の視線を追いかける。金次郎は「ニヤリ」と不適に笑う。
「な~に、それは、おめぇ、鷹綱の腕の見せ所ってもんよ!なぁ?」
「ええ!拙者にお任せ下さい!」
鷹綱の笑顔にさやかも苦笑を浮かべるが、やがて三人で笑い出した。そして、鷹綱は蒼龍家の人々の想いが篭もった鎧を受け取り、再び戦場へと向かったのである。
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