最終章  4話  祭りの後

 夕焼けの空を見上げると、一際大きくきらめく星が輝いていた。気の早いその星が煌き始める。

 それを合図に夜が駆け足でやってくる。太陽は一日の役目を終え、甲斐の山々の間へと顔を隠し、月が顔を出し始める。

 そんな光景をぼんやりと鷹綱は眺めていた。酒に酔った真夜の相手をたっぷりさせられた三人は、静かに酒を飲んでいた。真夜は喋り疲れて、鷹綱の肩に寄り掛かり静かに寝息を立てていた。


「しかし、よく眠っているな。真夜は……」


 鷹綱の横で静かに寝息を立てる真夜の姿に、天波が笑みを浮かべる。


「恐らく、あの事件からあまり寝ておらぬのであろうよ。ここは、ゆっくりと眠らせてやるとしてだな……。お主達、よくここがわかったな?」


 天波の言葉に鷹綱は疑問に思った事を聞いてみる。その疑問にさかずきの酒を飲み干して天波は、視線を鷹綱に向け答える。


「山本様と、真田様……。恐らくはお館様の計らいで……な」


「ほう。山本勘助様と、真田幸隆様か?で、どんな御仁達だ?」


「俺も、まだまだ。と申す所さ……」


 自嘲じちょうの笑みを浮かべ天波は勘助とのやり取りで感じた事を鷹綱に話した。鷹綱は天波の言葉を聞き終わると、しばらく考えを巡らせていた。


「なるほど……な。あのお二人が策を巡らされたか……。それは、面白そうだな」


「なかなかに、面白い事になっておるようじゃの。それで鷹、お前は何でこの村へ?」


 エルヴィスの問いに、鷹綱は尚も祭りを楽しんでいる村人に視線を向ける。


「ここは……。この村は……桔梗が救った村だ」


 鷹綱の言葉に、二人は動きを止めると鷹綱を見つめる。鷹綱は目を細めて村人達を見つめ、そして優しく微笑むと、言葉を続ける。


「桔梗が任務でこの村を訪れ、打ち洩らした鬼を、見事退治した報告をしにやって来た」


 鷹綱は視線を夜空へと向ける。そこには満天の星空が煌いていた。その星空に鷹綱は、懐かしく、昇仙峡での桔梗の姿を想い浮かべた。


(桔梗……。あの時に申した通り、本当に天女てんにょであったのか……無事に天には帰れたか?)


 自らの心に秘めた痛みを、初めて桔梗に打ち明けたあの夜の事を鷹綱は思い出していた。


「あの事件があったからな。鬼が無事に退治された事は、この村には伝わっていなくてな。それで、拙者が桔梗の代わりに知らせに来た……」


「そうか……。それは、村の衆もさぞ喜んだ事だろうな……」


「ああ、それは喜んでおったよ。それで、祝いと鬼の来襲で亡くなった人々の鎮魂も兼ねた今日の祭りとなったのだ」


「なるほどの。それは、良い事をしたの。鷹……」


 鷹綱は杯を手前に差し出した。天波もエルヴィスも杯を差し出す。彼等は無言で頷き合う。


「共に戦いし、我等が戦友に……乾杯!」


 そして三人は一気に杯の酒を飲み干した。そして鷹綱は静かに口を開いた。


「寛大、エル……。先にくなよ?」


「ふっ……。俺は無駄な戦はせん」


「この世の女子おなごが悲しむからの。そうそう死んでいられん!」


 二人の言葉に鷹綱は笑みを浮かべる。


「死すときは、共に逝くか!」


「いや、勝手に逝ってくれ」


「そうじゃの、わしは男と一緒は御免被ごめんこうむるの。美女なら大歓迎じゃがの!」


「何とも、冷たい奴等だな」


 そう言って三人は大いに笑いあった。彼等の頭上では星空が優しく微笑んでいた。


「さて、そろそろ参ると致すか。お主達、まさか酔って歩けぬ……などと申さぬよな?」


「笑止……」


「違いないの」


「真夜は……起きそうに無い。拙者が背負って行くか」


「何なら、わしが背負うが?」


「真夜に殺されても良いなら構わんが?」


「いやぁ、遠慮しておくかの」


 鷹綱の言葉にエルヴィスは苦笑を浮かべる。その間に天波は村長の所へと行き、このまま立つ事を告げる。村長はゆっくりと鷹綱達の場所へと向かって来る。


「今宵は村に泊まってゆかれたら、良いのではありませぬかの?」


「お心使い、感謝致す。されど、彼の二人が参りましたのは、いくさが近きゆえ。されば、一刻いっこくも早く甲府へ帰参致し、準備に取り掛からねばなりませぬ」


「戦にございますか……」


 鷹綱の言葉に村長の顔に不安の表情が浮かぶ、戦になれば犠牲になるのは、民百姓等の弱き人々であった。そんな村長の心配を察して鷹綱が再び口を開く。


「戦は隣国の信濃でござりますれば、ご安心を……」


「こ・・これは失礼しました。信濃にも民はいましょうに……」


 鷹綱の言葉に安心しつつ、村長は答えた。


「戦の無い世を……天下泰平てんかたいへいの世が来る事を信じて戦っておりますれば、されど、天下騒乱の戦国でありますれば、戦は避けられませぬ」


「せめて、子供達の代には、悲しむ者が出ぬ事を祈りたいですな……」


 村長の言葉に、鷹綱達は力強く頷いた。そして、視線を大人たちに混じってはしゃぎ回る子共達に向ける。

 鬼の来襲で両親を亡くした子供も中にはいるであろう。そんな悲劇が再び起こる事の無い様に身命しんめいを懸けて戦うと、鷹綱は改めて心に誓った。その時、子供達の輪の中から一人の少女が鷹綱に向かって走って来た。


「お侍様!」


 近づいて来る少女の視線に合わせる様に、鷹綱はしゃがみ込む。彼の目の前まで来た少女は息を整えようと深呼吸をする。

 そして、鷹綱を真っ直ぐ見据みすえると、手に持っていた花を差し出す。その花に視線を向けて鷹綱は優しく問い掛けた。


「この花は?」


「こ……この花を、桔梗様に渡して頂きたいのです!」


 少し照れたように、しかし、力強く言葉に出した少女に、鷹綱は優しく微笑むと、花を受け取り、空いている手で少女の頭を優しく撫でる。


「そうか……これは、お嬢が摘んだのか?」


「うん!」


「そうか。桔梗も喜んでくれると想うぞ……」


「えへへ~」


 嬉しそうに微笑む少女に鷹綱は何度も優しく頭を撫でてやった。


「おじょうは、桔梗が好きなのか?」


 鷹綱の問いかけに、少し照れたように少女は答える。


「うん!この前に、この村に来てくれた時に、たくさんお話を聞かせてくれただ!それに、おらぁ。桔梗様の様に強くなりてぇ!」


 少女のその言葉に鷹綱は目頭が熱くなるのを感じた。鷹綱の変化に気がついた少女が、心配そうに鷹綱の顔を覗き込む。無垢むくな少女に心配をさせまいと、鷹綱は笑みを浮かべる。


「うん?お侍様?どうかしただか?」


「いや、何でもござらぬよ……。それより、お嬢の名は何と申す?」


「おらぁ~たえって言うだよ!」


「そうか、おたえには、これを授けよう。受け取ってくれ」


 そう言って鷹綱は腰から脇差を取り出すと、それをたえに手渡す。たえは鷹綱から手渡された脇差を大事そうに受け取った

 。

「こ・・これ。おらが貰っていいだか?」


「ああ、だがな、おたえ。これだけは約束してくれぬか?この脇差は、おたえの大事な人を守る時にだけ使うと。無闇に人を傷つけない……と」


「大事な人?」


「そうだ。おたえは桔梗の様に強くなりたいのであろう?桔梗は大事な人を守る為に戦っておる。おたえや、村の人々を守る為に戦ったであろう?だから、おたえも大事な人を守る為に、戦って欲しいのだ。おたえには大事に思う……好きなの子等はおらぬか?」


「大事な人……。おっとう、おっかぁ。それに……」


 そこまで言うと、たえは背後を振り返る。そこには同年代の男の子が心配そうに見守っていた。鷹綱もたえの視線を追いかけて、その男の子を見る。その視線に男の子は慌てて物陰に身を潜めた。その仕草に鷹綱は思わず笑みをこぼす。


「おらぁ、作造さが好きだぁ。おらぁがいねぇと、何にも出来ないだけどもな」


 少し大人ぶって答える少女に、その場に居合わせた人々の心に優しい気持ちが流れ込む。


「そうか、では、おたえが作造を守ってやらねばな!」


「うん!頑張るだ!」


「その意気だ!」


 もう一度鷹綱は少女の頭を優しく撫でると、嬉しそうに彼女は駆け出して行った。その姿を見送った鷹綱は、側にいる二人の親友に語りかける。


「桔梗が死んだ事は、村長と数人の人しか知らせてなくてな……。だがな……」


 彼は再び振り返り、嬉しそうに作造と呼ばれた男の子に、鷹綱から受け取った脇差を見せる少女の姿に視線を向ける。


「桔梗の遺志は受継がれて行くと思う。そして、その意志は、親から子へ、子からそのまた子へと受け継がれると信じたい。その意志の中で桔梗も生き続ける……と」


 桔梗は子を産むこと無くこの世を去った。

 しかし、彼女の生き方に感銘かんめいを受け、彼女に意志を受けついた存在がこの世に鷹綱以外に存在した事に、彼は心の底から嬉しく思えた。そんな彼の心情を察した親友の二人は、各々、鷹綱に笑みを浮かべ、彼の肩を叩く。

 村長に別れの挨拶を済ませると、未だに祭りで賑わう村を後にする。エルヴィスが先頭を歩き、その後に天波が続き、最後尾に真夜を背負った鷹綱が続いた。真夜は鷹綱の背で静かな寝息を立てていたが、鷹綱にだけ聞こえる声で呟いた。


「鷹兄さん……。私、頑張りますからね……」


 その言葉に、鷹綱は立ち止まり。背中の真夜に声をかける。しかし、彼女から返事はない。


(寝言……か?)


 しばらく真夜の様子を見守っていたが、彼女は静かに寝息を立てていた。鷹綱は微笑むと、再び歩き出した。彼等の一行を優しく月明かりが包み込んでいた。

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