第四章 16話 瑠璃色の奇跡
真夜には桔梗と鷹綱の視線が重なりあっている様に思えた。
鷹綱は真っ直ぐに桔梗の霊の元へと歩み寄る。そして、彼女の手前で立ち止まった。
真夜やあずさには、鷹綱にも桔梗が見えているのかと思えた。その疑問を声に出そうとした時、瑠璃色の空から白みかかっていた空に、甲斐の山々の隙間から金色の光が差し込んで来た。
その朝日に照らし出される様に、光の当たる場所から徐々に桔梗の姿が浮かび上がって来る。桔梗の姿は黄金色の光に包まれ。その場に居合わせた全ての人に見えたのである。
それは夜と朝。光と闇の狭間が垣間見せた奇跡であった。
暗殺者を退治した、政宗や鷹虎。蒼龍夫婦もその場に駆けつけていた。
だが、鷹綱も桔梗も「見える」とは聞かなければ、言葉にも出さない。桔梗の姿が見える前から、二人には理解出来ていたのである。二人にとって確認の言葉は不要な物であった。しばらく見つめ合っていた二人だったが、鷹綱が優しく微笑むと、口を開いた。
「永遠の………愛……」
「えっ?」
「花言葉……であろう?桔梗の……。本来の言い回しより、俺はこの呼び方がよい……と思う」
少し照れる様に言葉に出す鷹綱に、桔梗は二人で出掛けた諏訪湖での会話を思い出す。
あの時、自らの名前と同じ花である桔梗の花言葉を、答えられなかった鷹綱に、桔梗は正解を教えずに鷹綱本人で調べる様にと、冗談半分で言った言葉を思い出した。
「あの時の約束を覚えてくれていたのですね?あんな些細な事までも、本当に私は鷹綱様に出逢えて、あなた様に恋が出来て良かった……」
「ああ。俺も桔梗に惚れる事が出来て、嬉しいぞ。桔梗との出逢いも、この想いも、想い出も、全てが俺の掛け替えの無い宝だ」
鷹綱と桔梗はお互いに微笑み合う。
「いつまでも、ご一緒したかったのですが、そろそろ……」
桔梗は再び鷹綱に満面の笑みを向ける。
「ですから鷹綱様、またいつかお逢いしましょう」
鷹綱は自分との約束を覚えてくれていた、だから、桔梗も彼との約束を守る。別れの言葉は彼の望む言葉を……と。それは、彼女自身が望む事だから……。
「ああ、また逢おう。桔梗……」
その桔梗の想いは彼に届いていた。鷹綱も朝日に負けないくらいの、眩しい笑顔で桔梗へと挨拶を返した。そして、桔梗は彼等が見守る中、ゆっくりと光の中へと溶けて行った。
光と闇の狭間で揺れた幻は、果敢なく朝露と共に消えた。桔梗を見送った鷹綱は、彼女の遺体を抱いたまま、晴信と湖衣姫に向き直る。
「お館様。今しばらくお
「桔梗を弔うか?」
「はっ、お館様と湖衣姫様のお許しが頂けるのであれば、桔梗の両親の眠る場所へと、桔梗を弔いたい所存にござりまする」
「わしは、構わぬが?」
晴信は湖衣姫へと視線を向ける。湖衣姫は先程の二人の会話を黙って聞いていた。声をかけたく思っていたが、二人の邪魔をする様な無粋な真似はしたくなかったからである。
その姫の心中を察した鷹綱と晴信が、湖衣姫に決定させたかったのである。だが、湖衣姫の答えはすでに決まっていた。
「私の答えは、考える必要もありません。鷹綱殿にお任せいたします。ですが、今しばらく待ってもらえぬか?」
「承知致しました。お心使い、感謝致します」
鷹綱は湖衣姫に深々と一礼し、その場で待機する。湖衣姫は晴信から太刀を借りると、自らの美しい黒髪を一握り切り取り、着物の懐から包みを取り出すと、その髪を丁寧に包んだ。
「これを……。どうか桔梗と一緒に……」
両手の塞がっている鷹綱の為に、湖衣姫は桔梗の着物の帯に、その包みを丁寧に折り込む。
「桔梗の事。よろしく頼みますよ?」
「はい……」
晴信と湖衣姫に一礼すると、鷹綱は真夜達へと歩み寄る。
「真夜、あずさ。良くやってくれた。二人の力で多くの命が救われた。礼を申す」
鷹綱は二人に頭を下げる。
「何を言っているんですか?鷹兄さん。お礼なんていりませんよ。きっと鷹兄さんも同じ事をしていたでしょ?だから、お礼なんて不要です」
真夜の言葉にあずさも大きく頷く。振り返ると天波も、エルヴィスも、政宗や鷹虎、蒼龍夫妻も笑顔で彼を見つめていた。鷹綱は視線を腕の中の桔梗に向けた。
(桔梗……。俺はこんなにも、たくさんの人達に支えられている。だから、彼等にも恩返しをしなければならぬ。いつか再び桔梗に逢う日まで……)
鷹綱は視線を空へと向ける。
(再び出逢う日まで、そっちでかなり待たせる事になるが、
微笑む鷹綱の頬を、優しく風が通り抜けて行った。そして、鷹綱は振り向くと歩き出す。
「真夜、あずさ。お前達の姉君を弔って来るゆえ、しばらく留守を頼む」
「合点承知!」
鷹綱の言葉に、二人は同時に答えた。その言葉に苦笑しつつ鷹綱は天波とエルヴィスに視線を向け。頷き合う。そして彼の姿は甲府から消えたのであった。
厚い雲に蔽われた、今にも泣き出しそうな空が広がる。
いつもは空と同じ色の美しい青い湖面も、空の色を映し出す様に薄暗く、悲しい色に染まる。
甲斐の隣国、信濃の諏訪湖を見渡す事が出来る小高い丘に、一人の男が立っていた。男の側には大きな木が立っており。その木陰には、墓標と思しき岩が寄り添う様に三つ鎮座していた。
三つのうちの一番、真新しい墓標の前に男はたたずんでいた。男は手に持った数輪の桔梗の花を墓標へと手向けた。
「今日は
真新しい墓標に向かい、苦笑を浮かべて鷹綱は声をかける。鷹綱の頬を優しく風が吹き抜けた。その風は彼の愛した女性の声を、そっと運んで来てくれた気がする。
「そう怒るな、せっかくの綺麗な顔が台無しだぞ?」
鷹綱の言葉に戸惑いながら、赤面して否定の声を上げる桔梗の姿が脳裏に浮かぶ。
「天気の事は許せよ、桔梗。ここでご両親と安らかに眠ってくれ……」
その時、彼の頬へ空から一滴の水滴が落ちて来る。
そして、次第に辺りに大粒の雨が降り始めた。だが、鷹綱は雨に濡れるのも気にせずその場に留まる。
「そして、拙者の生き様を見守ってくれ……。これからは、世の人々の為に、この命尽きるまで戦って行く。拙者達の様な悲しみが、少しでも無くなる様に……」
雨で濡れる彼の頬に、新たに一筋の流れが生まれる。
「そして、いつかまた逢おう。桔梗……。今生でも、来世でも、刻を超え、人界、魔界、神界の三界のどこに居ても、拙者は必ず桔梗を見つけ出す……」
鷹綱は空を見上げた。そして、目を瞑る。
彼の全身は微かに震えていた。それは、寒さの為では無い。
自らの瞳から溢れ出る物に必死に耐えている為であった。再び彼は桔梗の墓に視線を向けると、眼を開け、優しく微笑むと言葉をかける。
「そして再び、桔梗を愛してみせる……。この花の花言葉の様に……」
そこまで言葉に出すと、彼は両膝を突き、再び天を仰ぐ。
「だから、今だけは……今だけは……」
鷹綱は心の底から愛しい女性の名を叫んだ。その後、彼はそこに蹲って声を上げ泣いた。
だが、大粒の雨はやがて豪雨となり、彼の姿を雨粒で、彼の嘆きの声を雨音で、そして、彼自身の悲しみをも、優しく包み込んだ。
雨に揺れる桔梗の花は、いつまでも優しく揺れ続けていた。それはまるで、鷹綱の悲しみを和らげる為に、優しく撫で続けている様であった。
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