第四章  15話  姉妹の別れ

「お二人とも、ご無事で何よりでございます」


 二人に声をかけてきたのは、あずさであった。あずさは素早く二人の傷の具合を確かめる。


「大丈夫なのですか?」


 少し青ざめてあずさが問いかける、天波は彼女を安心させようと笑顔で答えた。


「ああ、心配はいらん。それより、あずさも来てくれたのか?」


「はい。何も出来ない私は、足手まといになると思ったのですが、無理を言って……」


 落ち込むあずさの頭に、優しく手が添えられる。


「あずさちゃんが一緒に、一生懸命に皆に声をかけてくれたから、こんなに沢山の人が集まってくれたんですよ?感謝の気持ちで一杯ですよ。あずさちゃん」


「真夜さん……」


 落ち込んだあずさと慰める様に、真夜は微笑みながら言った。彼女もあずさも、汗で衣服が汚れていた。それだけで、彼女達がいかに必死だったかが理解出来た。


「真夜も助かった。感謝する」


「いいえ、気にしないでくださいね?後でたっぷり謝礼は頂きますので……」


 笑顔で答える真夜に、天波とエルヴィスは顔を見合わせる。すぐに二人の顔には笑みが浮かぶ。


「それより、鷹兄さんと桔梗お姉さんは?姿が見えないけど?」


「おっと、鷹の事だから無事とは思うが、屋敷の奥でお館様と湖衣姫様を守って……」


 天波は真夜に説明していたが、途中で言葉を止める。説明していた相手である真夜の異変に気が付いたからである。真夜は息を呑んで、ある一点を見つめていた。


「真夜……?」


「どうしたんじゃ?」


「真夜さん……?」


 他の二人も真夜の異変に気が付いたのか、三者三様に真夜に声をかける。

 だが、真夜は未だに中庭の一点を見つめるだけであった。三人も真夜の視線の先へと自らの視線を向けた。その瞬間、あずさが声を上げる。


「き・・・・桔梗……姉さん?」


「何?」


「桔梗殿?」


 天波とエルヴィスが同時に声を出す、だが、彼等には桔梗の姿は見えない。しかし、あずさの目には涙が浮かぶ。


(真夜と、あずさの二人に見えている……と、なると……よもや……)


 天波と同じ答えが浮かんだのか、エルヴィスの顔もいつになく真剣な表情になっていた。と、に見える物。


「桔梗……お姉さん……なのですね?」


 やっとしぼり出すように、真夜は声を出した。


「ごめんなさいね。真夜ちゃん。あずさちゃん。外を守る二人の事が気になってね。二人が味方を連れて来てくれたのね。ありがとう……」


 桔梗の言葉使いは普段と違っていた、だが、二人にはむしろ今の言葉使いの方が本来の桔梗の姿であるのでは無いかと確信していた。


「ああ……」


 突然、真夜は膝をつくとその場に崩れ落ちた。両手をついて下を向いているが、その両目からは大粒の涙が溢れ出る。

 そんな彼女をそっとしておく様に、天波とエルヴィスは数歩退しりぞく事にする。

 彼等には見えず、聞こえないが、真夜が誰と会話を交わしているか理解した為である。その会話を、残り少ない時間を邪魔する事は出来なかった。


「泣かないで、真夜ちゃん。あずさちゃん……」


「桔梗お姉さん達が神社を去って、何故か胸騒ぎがしたんです……。だから、お勤めの後に、拝殿はいでんに向かったんです。そこで託宣たくせんを受けました…。だから、慌てて……でも、でも……」


 そこまで一気に話すと真夜は顔を上げ、を見つめる。その瞳からは、とめど無く涙が溢れている。


「間に合わなかったのですね……。私は役立たず……です。ごめんなさい。桔梗お姉さん……」


 溢れる涙を拭いもせず、真夜は桔梗に謝罪の言葉をかける。そんな、真夜の側に桔梗は近寄ると、真夜の頭を優しく撫でる。もちろん、触れる事は出来ない。

 だが、真夜は桔梗の手が触れる場所に温もりを感じていた。それは、悲しい事実ではあるが、その場所に桔梗が居る証でもあった。


「真夜ちゃんが謝る事なんて、何もないのよ?あなたと……」


 桔梗はそこで一旦言葉を切ると、立ち尽くして泣き続けていたあずさに手招きをする。

 あずさはゆっくりと桔梗と真夜の側に歩み寄る。あずさに笑顔を向けると、桔梗は真夜を撫でる手とは反対の手であずさの頬を撫でた。あずさは母の血を濃く継いでいたのか、真夜同様に桔梗の温もりを感じた。


「それに、あずさちゃん。私の可愛い二人の妹のお陰で、沢山の命が救われたのだもの。お礼を申すのは、私の方です。ありがとう。真夜ちゃん。あずさちゃん」


「桔梗お姉さん……」


 二人は泣きながら同じ言葉を発した。桔梗は優しく微笑む。真夜は何かを思いついたのか、突然、大声で声をあげる。


「そうだ!桔梗お姉さん、蘇生の秘術を!」


 真夜の言葉に驚いたものの、桔梗は首を左右に振り、空を見上げた。そこに広がる空は、瑠璃色に染まっていた。それは夜明け前を告げる空の色であった。


「その秘術を行うには時間が無いと思う。現世に長く留まると、逝けなくなる。でしょ?」


 少し悲しそうな笑顔で桔梗は真夜に応えた。僧や薬師の秘術には死者を蘇らす術もあると聞く。

 だが、それを行うには死者の魂が肉体から離れて、夜が明けるまでの時間でないと成功しない。完全に冥界へと旅立った死者を蘇らす事が出来る術者は、高位な徳の者でも、ごく少数である。

 真夜の想いが痛い程伝わった桔梗は、真夜に再び微笑んだ。


「二人とも、もう泣き止んでね?いつまでも、泣いていたら、綺麗な顔が台無しですよ?」


 その言葉に二人は少し微笑み返した。そんな二人に桔梗は頷くと言葉をかける。


「真夜ちゃん。とても楽しく、お茶目で、強く、とても優しい娘……。そして……私の恋の好敵手……」


 そこまで話すと、桔梗は悪戯っぽく微笑んだ。真夜も笑顔で応える。


「私は死んでしまったのだけど、油断は大敵よ?だって、私はもう歳を取らないのよ?だから、その内、真夜ちゃんがお姉さんになるの。私は若い姿だから、有利なのだからね?」


 楽しそうに笑う桔梗に、必死に涙をこらえ真夜は笑顔で言葉を返す。


「本当に、桔梗お姉さんには、適いませんね。私も、女に磨きをかけて、桔梗お姉さんに負けない様に頑張りますよ?」


「うん。頑張るのよ?」


「はい……」


 涙を人差し指で拭いながら、それでも笑顔で真夜は返事をする。真夜の返事に満足気に頷くと、桔梗はあずさに視線を移す。


「あずさちゃん。とても可愛くて、元気で、気が利く優しい娘……。出会ったばかりだけど、私は一目であなたの虜になったのよ……」


 桔梗はあずさの頬を両手で包み込む。あずさは目を閉じ、その温もりを感じる。


「あなたの大好きな鷹兄様に、私の代わりに、たくさん世話をしてあげて?」


 桔梗の言葉を聞いて、ゆっくりとあずさは瞳を開ける。その瞳には優しく微笑む桔梗の笑顔が映っていた。あずさも涙を堪えて答える。


「はい。鷹兄様の事は、どうかこのあずさにお任せ下さいまし。世話のかかる兄様ですが、兄様のお世話をするは、楽しいですから」


「いつかまた、松本家のお嫁さんの心得を教えてね?」


「はい……はい。たくさん考えますね……」


 我慢出来ずに、再び泣き出してしまったあずさを、桔梗は抱き締める。あずさの全身に桔梗の温もりが伝わった。しばらくして、あずさは落ち着く。


「湖衣姫様、天波殿、エルヴィス殿、政宗殿、鷹虎殿、蒼龍ご夫婦。たくさんの人達に、感謝の気持ちを、二人から伝えて貰えるかしら?」


 桔梗の頼みに、二人は大きく頷いた。


「ありがとう……」


 もう一度、二人を抱き締めて感謝の言葉をかけて、桔梗は立ち上がり、屋敷へと振り返る。


 そこには、桔梗の遺体を大事そうに抱き抱える鷹綱が立っていた。


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