第四章  13話  闇への誘い

 武田家の警護に扮していた刺客が倒れ込む。その刺客を斬り捨てた人物は、右手で太刀を持ち左手で一人の女性を庇っていた。

 その人物とは甲斐守護職武田晴信でその人である


「さすがは甲斐の虎と名高い、武田晴信だなぁ。簡単には死なねえな?」


 数人の刺客が晴信を囲んで要る。その刺客の背後から一人の男が、残忍な笑みを浮かべ彼等の居る部屋へと入って来た。


「お主は、警護頭の石田……か?」


「ああ、そうとも。だけどな」


「その言い草、お主、誰ぞにそそのかされたか?愚か者もめ」


「はっ!おめぇこそ、この状況が解ってんのか?いくら強いとは言え、この人数を一人で相手にするには、分が悪いんじゃないかい?」


「どこまでも愚かな奴だ……」


 自らの優位を感じているのか、おどける様に石田は言い放つ。

 この屋敷の最深部にあるこの部屋には石田と暗殺部隊七名の八人。対する晴信は湖衣姫と二人である。確かに石田が優越感に浸るのも納得が出来た。

 しかし、甲斐武田家の当主であり。幾つもの死線を潜り抜け、数多の合戦を経験した晴信だけは、に彼すらも恐れを抱いてしまう何かが迫って来ているのを感じていた。晴信の注意は既に暗殺部隊の背後へと向けられていた。


「はっ!まぁ、命乞いをすれば、楽に……!!」


 石田は言葉を最後まで発する事が出来なかった。彼を始めそこに居合わせた暗殺者全員が、凄まじい殺気を感じ、身動きどころか、呼吸さえも出来なくなるほど硬直した。

 だが、それは一瞬の出来事であり。すぐに彼からその呪縛じゅばくから解き放たれた。冷や汗を感じつつ、石田と彼の手下である暗殺者は背後を振り返る。しかし、そこには誰も居ない。


「な・・何だったんだ?今のは?」


 お互いに顔を見合わせ問いかける暗殺部隊に、背後に広がる廊下の闇から言葉がかけられる。


「どこを見ている。お前達の相手は拙者がいたそう」


 その言葉に、そこに居合わせた全員の視線が集まる。そこには、大事そうに桔梗の遺体を腕に抱き抱えた鷹綱の姿があった。


「き・・桔梗!」


 桔梗の姿を見て湖衣姫は、鷹綱達へと駆け寄ろうとする。だが、それは晴信の力強い手で阻まれる。しっかりと湖衣姫抱き、暴れる姫を落ち着かせようとする。

 しばらく、錯乱していた湖衣姫だが、やっと落ち着きを取り戻した。晴信の表情を見上げる湖衣姫は、彼の表情を確認して驚きの声を上げる。


「は・・晴信様?」


 暗殺部隊に囲まれた時でさえも大胆に笑みまで浮かべていた晴信が、額に汗を浮かべ、真剣な眼差しで正面を凝視していた。

 その視線を辿ると、その先には桔梗を抱く鷹綱がいた。しかし、ここからでは、彼の表情が見えない。何故か湖衣姫の胸中も胸騒ぎがした。


「鷹綱……」


 晴信が声を絞り出すように呻いた。それは、である様に湖衣姫には思えた。先程感じた寒気と関係があるのではと、不安を覚える。


「はっ!何だ!これはまた、頼もしい援軍の到着だなぁ。ええ?おい」


 振り向いた先に現れたのが鷹綱一人であったので、再び石田は強気になる。その視線が鷹綱の腕の中で眠る桔梗へと移る。


「おやおや、その女、やっと死んじまったか?」


 その言葉に鷹綱が反応し、顔を上げる。しかし、彼の眼は閉じられていた。


(コロセ……ニクメ…………ズベテコロセ…………ホロボセ)


 鷹綱の心に語りかけて来る声がする。彼がこの声を聞くのは二度目であった。前回は砥石城の合戦場で彼の友、神崎仁が殺された時である。

 その時、彼はその声に従い、支配され、怒りに身を任せ敵兵を斬り殺した。鷹綱を救ってくれたのは、今は無き横田高松である。


(コロセ……コロセ……ニクメ……コロセ……ニクメ……)


 再び彼にささやきかける。その囁きに鷹綱は心で答える。


(ああ、憎い相手だ……)


(ナラバコロセ……オマエノ、ニクシミヲトキハナテ……イカリニ、ミヲユダネロ)


 その誘惑は甘美な物であり、抵抗しがたい衝動に駆られる。しかし、彼はその瞬間に彼の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。


(ああ、わかっているよ。桔梗……。憎しみを受け入れよう、俺はあいつ等が許せぬ。だが、憎しみや怒りに支配されるのでは無く。人の心に、俺の心にある闇を否定せず、受け入れよう。俺は闇を恐れない。あ奴等の命を奪うとしても、それは人としてであり。その罪も罰も受け入れて、償い生きて行こう)


(ヒカリガ……ヤメロ!キエル!ヒカリガ!ヤメロー!)


 鷹綱の眼がゆっくりと開かれる。彼に語りかけていた声は、二度と再び聞こえる事は無い。

 それは異界の物が、人を闇へと誘い込み、彼等のしもべへと変える悪魔の囁きであった。その声に鷹綱は自らの人としての生き方、心に潜む闇を認める事で打ち勝つ事が出来た。


「よくぞ打ち勝った鷹綱……」


 晴信は、その彼の姿を見て安堵の声を出す。


「ありがとう。桔梗……。そなたとの出逢いで、俺は俺を取り戻せた。二度と再び、闇に支配される事は無い。少し、ここで待っていてくれ。すぐに終わる」


 桔梗に感謝の言葉をかけながら、鷹綱は彼女を優しく大事に、側の壁に座らせた。


「一つ、聞いてもよいか?」


 桔梗の頭を一度だけ撫でると、鷹綱は立ち上がり、石田へと視線を向けて問いかけた。


「はっ?まぁ、ここで死ぬお前の最後の頼みになるんだ。聞いてやるよ。俺は慈悲深いからなぁ~。感謝しろよ?」


 不適に笑い石田は答える。


「この刀傷、お主、桔梗を後ろから……?」


「ああ~そうだぜぇ。なんせ、鬼退治までした剣の使い手だぁ。まともにやりあっちゃ~。こっちの命が危ねぇ~。だから、油断した所を後ろから、ズブっとな。」


 再び残忍な笑みを浮かべ、その行為が楽しいかの様に彼は言い放った。その言葉に湖衣姫は怒りの声を上げる。


「この卑怯者!」


「褒め言葉と思っておくぜ!お姫さん」


「そうか……。これでお前達を斬るのに、遠慮はいらぬ……な。桔梗。さぞ無念であったであろう。お前の無念。この松本鷹綱が果たす!」


「何言ってやがる!大体、この状況でお前が勝てるとでも思ってるのか?そのうち、表の部隊もここへやってくるんだぜ?」


「それは無いな」


「はっ?何言ってやがる」


「我が友が……。命をして導いてくれた道……。何人たりとも、ここへは辿り着けぬ」


「安心しろ!お前もすぐに、その女の元へ送ってやるよ。その後に、村上軍の力を利用して武田軍を破り、俺は甲斐を頂くって……」

「よく囀る奴だな……」


 石田の言葉を遮ると、鷹綱は一歩踏み出した。

 代わりに暗殺部隊の全員が彼の威圧に押される様に退く。鷹綱は彼等を正面に捕らえて言い放つ。

 そして、左手に持っている桔梗の父の形見であり、彼女自身の形見となってしまった太刀の柄を親指で押し上げる。


「その舌……。地獄で閻魔えんまに抜かれて来い!」


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