第四章  12話  最初で最後……

 背後の戦いの喧騒けんそうが小さくなり、屋敷の奥へと進む鷹綱は、視線の先に倒れている人影を見つける。慌てて駆け寄るとそれは桔梗であった。桔梗は腹部から出血しており。鷹綱は着物の上着を脱ぐと、その傷にあてて止血を試みる。


「桔梗!」


 鷹綱の言葉が聞こえたのか、桔梗は苦痛に顔を歪ませ、目をゆっくりと開けた。


「鷹……綱?」


「ああ、俺だ!しっかりしろ!桔梗!」


 鷹綱は桔梗を右手で大事に抱き抱える。左手で上着ごと傷口を塞ぐ。


「石田……が……。背後から……あ奴は裏切り者で……早く、お二人を……」


「わかった!桔梗!もう喋るな!傷に悪い……」


 桔梗はゆっくりと鷹綱に顔を向けると、優しく微笑んだ。


「鷹綱……さま……。お慕い申し上げて……おりました……」


「ああ、拙者も桔梗を慕っておるぞ」


 鷹綱の瞳から涙が流れる。その涙を桔梗は左手を伸ばし拭う。そのまま鷹綱の頬を撫でる様に優しく触れ続ける。


「でも……。私の様な勝気な女子は……嫁の行きてが……ないのですよ?」


 鷹綱と桔梗が始めて出逢った昇仙峡での会話を思い出したのか、桔梗は笑顔を浮かべる。


「そうだな。だから、俺が嫁に貰ってやる」


 鷹綱も同じ事を思い出し、笑顔で桔梗に答える。その言葉に桔梗は満面の笑顔を浮かべた。


「嬉しゅうございます。き……桔梗は、愛しいあなた様の腕に抱かれ……女として死ねます」


「何を申しておる!これから二人で幸せになるのだ!」


「思えば……。私は男勝りであったので、死す時は……武者のちと思っておりましたのに……この様に、美しい着物を着て……本当に嬉しい……」


「桔梗は心底しんそこ美しい。例え、何を着ていようとも、そなたの美しさは変らぬ」


「嬉しい言葉を……ありがと……」


 鷹綱は自分の頬に添えられた桔梗の左手を、自らの左手で優しく包む。


「温かい……」


 しばらく桔梗は鷹綱の温もりを感じる様に、瞑目めいもくしていたが、再び目を開けた。


「鷹綱様……。どうか、私の事は……お忘れになって下さいませ……。そして、良き女性を見つけて幸せになって下さいませ……ね?」


「何を申しておるか……」


 鷹綱の両眼からは、涙が溢れて落ちる。


「だけど……。私と同じ名前の花を……。あの蒼天の様に咲く……あの桔梗の花を見た時は……その時だけで良いから、私の事を想い出して……くださりませ……」


「何を弱気な事を。また二人して諏訪湖の桔梗の花を見に参ろう?」


 鷹綱の言葉に笑顔を返すと、桔梗は右手に持っていた太刀を彼に渡す。


「この太刀を……私の変わりに……お側に……。悲しみの無い天下泰平の国創りのお役に……」


「桔梗の居ない世で、尚も俺に生きよ……と?」


 鷹綱の言葉に桔梗は優しく頷く。


「鷹綱様……。せめて最後に……口付け……を」


 桔梗の最期の頼みに鷹綱は頷くと、そっと桔梗に顔を近づける。そして、二人の距離は無くなった。鷹綱はゆっくりと桔梗から離れ、二人は見つめ合う。桔梗の目から一筋の涙の雫が流れ落ちた。


「桔梗は……日の本一の……果報者にございます……」


 そう言葉に出して桔梗は、優しく心の底から嬉しそうに微笑んだ。鷹綱は生涯、その笑顔を忘れまいと心に誓った。

 否、忘れる事は出来ないと思った。そして、桔梗の身体から力が抜けると、彼の頬に添えられていた桔梗の手が静かに離れた。


「き・・・・ききょ……う?」


 桔梗は笑顔のまま、まるで眠っている様に思えた。だから、鷹綱は彼女の名前を何度も呼んだ。そうすれば、いつもの様に彼女から文句の言葉が返って来ると思えたからである。


「桔梗?どうした、ほれ、目を覚まさぬか?」


 彼の最愛の人は、美しい笑顔のまま眠り続ける。その顔さえも涙でかすんで見えなくなる。それでも、彼はその場で何度も、何度も最愛の人の名前を呼んだ。


「ききょうぉおおおおおおおおおおおおお!」


 最期に彼が発した言葉は、魂の叫びであった。だが、それでも最愛の女性は彼の声に答えて再び目を開ける事は、ついに無かったのである。

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