第四章  11話  桔梗

「かかれ!」


 影の軍団から味方への激の言葉が飛ぶ、警護の兵士は次々と倒されて行くが、鷹綱達三人の防壁は全く隙が無く、影の忍びの屍の山が出来る。

 だが、多勢に無勢である為か、徐々にではあるが、彼等の動きが鈍り、かすり傷を受ける様になって来た。三人は再び一ヶ所に集まる。影の軍団は警戒してなのか、一度、攻撃の手を緩める。


「どうもおかしい……。敵の数が多すぎる。いかに不意を突いたとは言え、ここまでの進入を許す筈がない……」


「こりゃ~ひょっとすると、ひょっとするかもの……」


 天波の言葉に、エルヴィスが言葉を返す。


「内通者……か」


 嫌悪を込めて鷹綱が言葉を絞り出す。そして、再び太刀を構え直す。


(桔梗……)


 鷹綱が内心で桔梗の名を呼んだ瞬間、再び影の軍団の攻勢が始まった。


 晴信と湖衣姫に追い着いた桔梗は、彼等の先頭に立つと屋敷の奥へと道案内する。そして、一番奥の部屋へと続く廊下の扉を開けると、そこで立ち止まる。


「この奥へ!」


「き・・桔梗?」


 先程までとは違い、湖衣姫は落ち着いていたが、立ち止まった桔梗へと声をかけた。


「姫様、ご安心下さい。外で鷹綱殿達が敵を食い止めております。賊はここまで侵入しては来られないでしょう」


 桔梗は湖衣姫を安心させる為、また、自分自身に言い聞かせる為に笑顔で言った。


「そうですね。桔梗の信じたお方です。私も信じましょう」


 湖衣姫も何とか笑顔を作り、桔梗に返事を返した。


「私はここで待機しておる。皆は奥へ!」


「はっ!」


「桔梗、あなたも気をつけるのですよ?」


「はい。姫様……」


 お互いを安心させ様と笑顔を交わし、湖衣姫は晴信に連れられて警護の兵士を従えて屋敷の最深部にある部屋へと向かった。最後に警護頭と桔梗がその場に残った。


「石田殿、お館様と姫様をお頼み申す」


「うむ。承知した。そなたもお気をつけて……」


 桔梗は石田に一礼すると、振り返った。背後で石田も奥へと向かった……と思った。


「ズブッ」


 桔梗の背後で鈍い音が聞こえた、次の瞬間には桔梗の背中から腹部に冷たい物が突き抜ける感覚がする。


「えっ?」


 驚きの声を上げ、桔梗は自らの腹部へと視線を向ける。そこには太刀の剣先が見えた。その剣先を確認した瞬間に、冷たく感じた物が焼ける様に熱くなった。


「だから言っただろが?気をつけろ……ってなぁ」


 桔梗の背後から残忍な声が聞こえる。桔梗が振り向こうとした時に、彼女に突き刺さっていた太刀が思い切り引き抜かれる。

 桔梗は全身の力が抜けるのを必死に我慢して、その場から数歩下がると、後ろを振り返る。そこには残忍な笑みを浮かべ、桔梗の血で染まった太刀を持つ石田が立っていた。


「なっ!お前!」


「悪りぃ~なぁ。女とは言え、あんた程の剣の使い手が居ちゃ~。邪魔なんでな」


「お・・おのれ!卑怯な!」


 桔梗は腹部から流れ出る血を止めようと片手で抑えつつ、怒りの声を上げる。


「ははははっ!何ともでも言いやがれ」


「裏切り者めぇ!」


「止めは刺さずに行ってやるよ。せいぜい、苦しみながら死にな」


残酷な笑みを浮かべ、楽しそうに言い放つと石田は奥の部屋へと向かって行った。


「行かせぬ!」


 奥の部屋へ向かう石田の足元に向かって、桔梗は全力で飛び掛かると彼の左足にしがみ付く。全身に激痛が走るが何としてもこの先に石田を進ませるわけには行かない。


「離せ!死にぞこない!」


 必死の桔梗に対して、石田は自由な右足で桔梗の頭を踏みにじむ。彼の足が桔梗を蹴りつけるたびに、桔梗の表情が激痛に歪む。だが、彼女は必死に歯を食いしばり嗚咽が漏れないように耐える。


「離せって言ってるだろうが!!」


 石田の渾身の蹴りが桔梗に炸裂する。ついに桔梗は全身の力が抜け落ち石田の足から手が離れてしまったのだった。


「ちぃ!手こずらせやがって!」


「ぐっ!」


 石田は最後に桔梗の腹部の傷跡に蹴りを入れ、悪態をつくと再び奥へと向かっている行く。気丈に耐えていた桔梗も苦痛に声が漏れる。しかし、桔梗は尚も彼を止めようと、太刀を杖代わりに何とか立ち上がるが、再び倒れてしまう


(この先は逃げ道が無い……。姫様が……湖衣姫様だけはお守りしなければ……)


 全身に走る激痛に歯を食い縛りながら桔梗は這う様に進む。

 気が付けば視界は涙で霞んでいた。不甲斐無い自分への悔し涙であった。


「た・・・」


 たかつな


 それは心の叫びなのか、それとも声に出ていたのか、桔梗には理解出来なかったが、彼女は自分が心の底から、最愛の人の名前を呼んだのだけは理解出来たのである。



 振り下ろされた剣を右手の太刀で受け止め、左手の太刀で敵を切り払う。鷹綱は二刀で戦っていたが、名前を呼ばれた気がした。


「き・・桔梗……?」


 自分を呼ぶ桔梗の声を聞いた気がして振り向いたが、そこには誰もいない。


「どうしたんじゃ?鷹?」


 鷹綱の行動に、こちらも小刀を二刀で持ち戦うエルヴィスが声をかけてきた。鷹綱はすぐに正面へと向き直るが、表情は硬い。


「どうした?何か感じたのか?」


 二人の会話が聞こえていたのか、再び天波が問いかける。


「いや、桔梗に呼ばれた気がして……な」


 襲い掛かって来る敵と慎重に交戦しながら、彼等は会話を続ける。


「なるほど、それは鷹も中へと向かうべきだな」


「ああ、それが良いの」


「しかし、この数の相手では……」


 桔梗の後を追う様に提案する天波に、エルヴィスも同意する。しかし、敵の数は未だに彼等の数倍である。かすり傷の数も増え、体力も落ちて来ている。そんな中、鷹綱が奥へと向かえば残る二人の命の保障は無い。だが、鷹綱の返答に天波は不適な笑みを浮かべる。


「酔い醒ましには、丁度良い相手だな?エル……」


「ああ、違いない」


 天波の言葉に、エルヴィスも不適に微笑み同意する。


「行け!鷹!」


 天波とエルヴィスは、一気に攻勢に転じた。敵に背後を狙われない様にと、お互いの背中を守る様に背中合わせに敵へと進む。


「頼む!」


 彼等の命懸けの行為に感謝しつつ、鷹綱は屋敷の奥へと全力で走って行った。その彼を追いかけようとした敵が斬られる。


「おっと、ここは俺達二人のしかばねを越えて行かないと、通れないな……」


「寛大、良いこと言う。もっとも俺は屍になる気はないがの」


「俺も、更々さらさらないがな。かかって来な。ここの通行料は、お前達の命で払ってもらう……」


 二人は再び不適に微笑んだ。その笑みを見た影の忍び達は、彼等にとって死神の笑顔を見た気がしていたのであった。

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