第四章  6話  団欒

「うっおほん!」


 その影は、大げさに咳払いをする。鷹綱と桔梗は同時に咳払いの人物に目を向けた。


「兄さま……。仲良き事は美しきかな……と申しますが、まだまだ、お天道様があんなに高い位置に昇っておられます。出来れば場所と時を考えて頂けると、ありがたいのですが……」


「あ・・・あずさ?それに、何だ……。政宗まで……お前、何をしておるのだ?」


 鷹綱の背後にはいつの間にか、妹のあずさと、その横に髪を真っ直ぐに伸ばした鷹綱より数歳若い青年が正座して居た。


「あずさが申すには、ここで何とも面白き物が見物出来ると聞き及びまして、百聞は一見にかず。と申しますれば、勉学の息抜きにと……。見物に参った所存でござる」


 その言葉に鷹綱は非難の視線をあずさに向ける。だが、当の本人は涼しげな顔でその視線を受け流し、鼻歌まで歌っている。


「ところで、政宗。お主、もそっと少年らしい言葉使いを致せと、常日頃から……」


「兄者こそ。そろそろ松本家の当主としての自覚を、持って頂きたく思いますが?」


 鷹綱の言葉が終わらない内に、弟の政宗が言葉を遮る。再び鷹綱が言葉を出そうとした時。


「政宗兄様。鷹綱兄さまは、当主としての自覚の為に、あちらの方を奥方にと……」


「何!それは誠か!!ならば!挨拶致さねば無礼に当たろう!」


 鷹綱の言葉を遮ったあずさは、楽しそうに政宗に耳打ちする。その言葉に政宗は再び桔梗へと視線を向ける。桔梗はその場の成り行きに戸惑っていた。


「あ~ず~さ~!」


 鷹綱があずさを捕まえようとするが、彼女は素早く逃げると舌を出し鷹綱は挑発する。


「兄さまを監視する様にと、真夜さまに依頼されたのですよ!」


「不束な兄では御座いますが。何卒、末永く仲睦まじく……」


「何の監視だ!こら、政宗!お主、何の挨拶をしておるか!」


「勿論、兄さまに特定の女性が出来ぬ様にと、これは、真夜様と私の為でもあるのです!」

「婚礼の儀の前に、義理の姉上になられるお方に挨拶するは、常識ではありませんか?」


「何故、真夜とあずさの為なのか!政宗、お前も先走り過ぎだ!」


 弟と妹の二人の間を鷹綱は走り回る。初めのうちは呆気に取られていた桔梗だったが、この兄弟のやり取りを見ているうちに、桔梗の顔には自然と笑みが浮かんだ。


「これからは、桔梗も拙者達と一緒って事だ。どうだ?あまりに騒がしそうで、寂しく思う暇などありそうもないだろう?何も恐れる事はない」


 諏訪湖での鷹綱の言葉が思い出される。


(本当に楽しそう。でも、私はあの輪に入れるのかしら……)


 少し切ない思いが桔梗の胸中に過ぎった、だが、その瞬間、彼女の手が何者かに捕まれる。


「改めまして。始めまして桔梗様。あずさと申します。真夜様と姉妹となる約束をされたとか、でしたら、このあずさの姉様も同然です。以後良しなにです!」


「ええっ!?こちらこそ、よろしくお願いいたします」


「本当に、真夜様のお話の通り、桔梗様はお美しいお方ですね。私も桔梗様の様な美しい女性に憧れてしまいます」


「あ・・ありがとう……」


「うむ。兄者には勿体なきお方やも知れぬ。兄者が骨抜きになるのも合点がいく。あずさの言葉を聞いて見学に来た甲斐があった。実に面白き兄者が見られた。虎がここにいないのが残念であるな……」


「鷹虎……さん?」


「ええ、三男の鷹虎です。虎はこの屋敷の近くにある鍛冶場で修行中でござる」


「政宗兄様、ご挨拶が先ですよ?」


「おお!これは拙者とした事が、迂闊うかつであった。松本政宗と申します。以後宜しくお願い致したくそうろう


 政宗の挨拶を聞いて桔梗は、初めて鷹綱と出会った時の事を思い出していた。


(思えば、初めて鷹綱殿と出会った時に、これほどまでに鷹綱殿の存在が自分にとって掛替の無い者に成るとは思ってもみなかった……)


 桔梗は自然を鷹綱の姿を視線に捉える。肩で息をしながら二人の兄妹に苦笑を浮かべる彼を見つめる。その姿を見ながら先程の考えを改める。昇仙峡で餓鬼に襲われた桔梗を助けに来てくれた鷹綱の影を、鳥と見間違えたとは言え。始めにその姿に見惚れたのは桔梗自身であったのである。


(改めて思えば、あの時から私は鷹綱殿に……)


 その鷹綱は桔梗と視線が合うと、照れ笑いを浮かべていた。そんな彼に桔梗も笑顔を返す。


「さぁて、政宗。支度の手伝いを頼む。あずさは、桔梗殿の相手を頼む」


「承知致しました」


「合点承知しました」


 鷹綱の言葉に二人は返事を返す。政宗は桔梗に一礼すると奥へと退出していった。鷹綱も政宗の後に続くが、足を止め顔だけで後ろを振り返った。

 そこでは、あずさと桔梗が楽しそうに笑顔を浮かべ、桔梗の着物について会話している姿が目に入った。桔梗は照れ笑いを浮かべながらその場で一回転し、あずさに嬉しそうに微笑みかけていた。

 普段は気にしていない様に振舞っているが、やはり桔梗も女性なのだと。鷹綱は嬉しく思った。と、あずさが何事か桔梗に呟いた。すると桔梗は縁側へ上がり正座をすると、姿勢を正すと真っ直ぐにあずさと向き合う。何事かと鷹綱が見守っていると、あずさは人差し指を立てて言い放った。


「それでは、桔梗姉様に、松本家の嫁の心得を伝授いたします!」


「こ・・心得た。よろしくお願いします」


「第一に、鷹綱兄様は、でありますれば、例え嫁であったとしても、独占いたしてはなりません」


 あずさの言葉に鷹綱は慌てて引き返すと、あずさの首を掴み片手で抱え上げる。


「何を申しておるのだ?あずさ?」


 鷹綱の目の前にあずさの顔が来るが、あずさは罰が悪そうに視線を逸らす。


「兄様のお嫁様になる心得の伝授を……」


「誰に吹き込まれた?」


「な・・何の事でございましょう?」


「あずさは正直な娘だからな。嘘は申せぬ……。真夜あたりであろう?」


 笑顔で問いただす鷹綱に、あずさは笑顔を向ける。


「心得は否定されましても、お嫁様は否定致されぬのでございますね!」


「なっ……!」


 満面の笑顔で聞き返すあずさの言葉に、鷹綱は一瞬言葉を失った。


「隙ありにございます!」


 鷹綱の一瞬の隙を突いて、あずさは彼の腕から逃れると、素早くその場から走り出す。


「桔梗様にお茶をお持ち致します。兄さま、ぐずぐずしてないで、早くお支度して下さいましね?桔梗様、しばらくお待ち下さいな」


 笑顔で桔梗に手を振り、鷹綱には舌を出してあずさは去って行った。


「まったく、誰のせいだと……」


 ため息をつく鷹綱の横では、桔梗が手で口を押さえ笑っていた。


「本当に、仲が良いのだな」


「そうか?まぁ、それだけが取り柄の家族であるからな」


 桔梗の言葉に鷹綱も笑顔で答える。桔梗がそう思ってくれるのは嬉しく思えた。


「ありがとう。鷹綱殿……」


「ん?どうしたのだ?」


「いや、私の居場所を作ってくれた。本当に楽しくて寂しい等と考える暇も無さそうだ」


「拙者は何もしておらぬよ。全て桔梗の人柄の賜物だ」


 桔梗の礼の言葉に、鷹綱は本心でそう答えた。


(本当に鷹綱殿は変わらぬ……な)


 鷹綱の優しさは出会った頃と何も変わっていない。そんな彼の優しさに触れ、彼の家族や友の輪に自らが自然に溶け込めた事を、桔梗は改めて感謝したくなった。


「本当にありがとう……」


 再び桔梗の感謝の言葉を聞いた鷹綱は、少し照れた様に指で頬を掻いていた。


「さて、では今度こそ支度に参る。しばらくすればあずさが戻って来よう。のんびりと待っていてくれ」


「うん。松本家の嫁の心得でも、じっくり聞いて待っています」


 楽しそうに優しく微笑む桔梗に、苦笑とため息を返すと鷹綱は奥の部屋へと向かった。その姿を見送った桔梗は、最後まで鷹綱が否定しないで行ってくれた言葉を嬉しく思っていた。

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