第四章 3話 別れの挨拶
それから数日の後、鷹綱と桔梗の姿は甲斐の国、武田家の本拠地である甲府の町にあった。
昇仙峡の鬼退治の後、桔梗の願いもあり、一度、甲斐の隣国である信濃の南信濃にある諏訪湖に寄ったのだが、幸いにして彼等は徒歩ではなく、馬に乗って移動していた為に、先に甲府へと戻った天波達から数日遅れるのみで甲府へと到着した。
武田家の本拠地の町である甲府は様々な人々で賑いかえっていた。大通りに当たる街道には、様々な人々の活気に溢れていた。その街道を抜け、鷹綱と桔梗の二人は彼等の主の住む場所である。
「それでは、拙者は一度、屋敷へ戻るといたす」
鷹綱はそう言って桔梗へと向き直る。
「そ、そうだな。私は湖衣姫様のおわす館へと向かう事にする」
「うむ、それがよかろうな。拙者は今しばらく政務には出仕いたさぬが、同じ場所に居るのだ、また、すぐに会えるだろう」
「そ・・・そうだな……」
桔梗は鷹綱の言葉に相槌を打つが顔を伏せ、どこか歯切れが悪い。そんな桔梗の様子に気がついた鷹綱の口元には自然に微笑みが浮かぶ。
「拙者の屋敷は、躑躅ヶ崎館からそう遠くない、武家屋敷が立ち並ぶ一角に建っておる」
「えっ?」
鷹綱の突然の言葉に、桔梗は戸惑い顔を上げる。
「あまり立派な屋敷ではないがな。近くに真夜の勤める神社もある」
「そ・・・・そうなのか?」
「ああ、だから、寂しかったらいつでも尋ねて来て良いぞ?」
「なっ!」
その一言で一瞬にして桔梗の顔は真っ赤になる。未だにこういった初々しい反応を見せる桔梗の姿に鷹綱は笑顔を浮かべる。
(もっとも、拙者も桔梗を笑える程、とはいかぬがな……)
そんな彼の内心を知らない桔梗は、真っ赤に染まった顔を逸らすと、恥ずかしさを誤魔化す様に慌てて言い返す。
「べ・・別に寂しくなぞ、ないぞ!!私は逆に、その鷹綱殿が、私が居なくなって寂しい思いをするのでは無いかと、心配しておったのだ!」
「そうじゃな。寂しく思うぞ?」
鷹綱の思いがけない一言で桔梗は言葉を失う。だが、鷹綱が笑っている事に気がつく。
「お主、また私をからかっておるな!」
「いやいや、寂しく思うのは本当であるよ?」
「えっ……ええ?」
驚く桔梗の頭に、大きく暖かい鷹綱の手が乗せられる。
「だから、そう寂しそうな顔をすることはござらんよ。いつでも会えると思って居たら良いではないか?もちろん、拙者だけでなく、真夜達も桔梗ならいつでも大歓迎だぞ?」
「う、うん……」
鷹綱に頭を撫でられ、安心する自分に気がつく桔梗であったが、これでは駄々をこねる子供なのでは無いかと、内心は複雑であった。
「さて、そろそろ拙者は参るとするよ」
そう言うと鷹綱は桔梗から手を離す。その手が離れると、桔梗はとたんに寂しさを感じる。
(先程は子供扱いの様だと思っておったのに、その行為が無くなると寂しく思うとは……)
桔梗の複雑な女心を知ってか知らずか、鷹綱は無垢な笑みを浮かべている。そんな彼に桔梗はため息混じりに笑顔を向ける。
「では、さらばだ!鷹綱殿」
鷹綱に別れの言葉を投げかけた桔梗であったが、その言葉を聞いた鷹綱の笑顔が少し歪む。
「うん?どうかしたのか?」
「あぁ~いや、何……」
桔梗の問いに、彼にしては珍しく歯切れの悪い言葉が返って来る。
「どうしたのだ?鷹綱殿らしくないぞ?何か気になる事でも?」
「うむ。たいした事では無いのだが……」
「ならば尚更の事、遠慮はいらぬではないか?申してみよ?」
「笑うなよ?」
「ああ、笑わぬ」
少しバツが悪そうに答える鷹綱に、桔梗は心の余裕を取り戻すと、興味津々で聞き返す。
「いや、な……。先程の別れの言葉なのじゃが。拙者は、その「さよなら」と申す言葉がな……。何と申すか……つまり、苦手と申すか、嫌いと申すか……あまり好きでは無い……」
「はぁ?」
「つまりじゃ!さよなら……と、申してしまうとだな……もう、二度と会えぬ気がしてしまって、だな……。拙者はその言葉を使いたくは無いのだよ」
何故かしどろもどろに話す鷹綱に、桔梗は彼を凝視していたが、突然笑い出す。
「あはははは。何事かと思えば」
「む!笑わぬと申したではないか!」
「あ、いや、すまぬ!くくっ、何とも鷹綱殿らしいと申すか……駄目だ!お腹が痛い……」
「桔梗、笑い過ぎであろう?
」
「すまぬ!だが、堪えきれそうにないのだ」
「まったく、これだから話すのは嫌であったのだ!」
心底楽しそうに笑う桔梗の姿に、言葉とは裏腹に鷹綱も自然と笑顔を浮かべていた。しばらくの間、お互いに笑い合っていたが、やがて鷹綱が言葉を出す。
「さて、桔梗も笑顔になった事だし、今度こそ拙者は帰るといたすよ」
その言葉を聞いた桔梗は、鷹綱の顔を見上げる。彼は何食わぬ顔で笑っていたが、先程まで彼女が感じていた不安は、いつの間にか心から消え去っていた。
(また鷹綱殿に一本取られてしまった……。本当にこの御仁には勝てぬ)
少し苦笑を浮かべつつ、桔梗も鷹綱へと向き直る。
「では、鷹綱殿。また会おう!」
「ああ!それが良い!またな。桔梗」
言葉を交わし、軽く片手を挙げると鷹綱は彼の愛馬に乗り、馬上の人となるとゆっくりと帰路へとついた。その背中を見送る桔梗だったが、彼女はその場を動かないでいた。
(きっと、最後の角で鷹綱殿は振り返ってくれる)
しばらく真っ直ぐな道であったが、最後の曲がり角で、鷹綱は桔梗の思惑通りもう一度後ろを振り返り、桔梗の姿を確認すると手を振りその場から去った。
(ふふふ……。本当に解り易いな。鷹綱殿は)
鷹綱に手を振り返していた桔梗の顔は、満面の笑みを浮かべていたが、本人は気がついていなかった。その二人の姿を見つめる視線にである
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