第三章  8話  笑顔

 楽しそうに笑い声をあげる二人の声に懐かしい笑い声が重なった。彼はその笑い声が聞こえた方向へと視線を向ける。だが、そこには誰もいない。


(気のせい……か?)


 そう思っていた鷹綱だが、彼と同じ方向を見つめつつ、優しく微笑む真夜の姿に気がつく。そして、彼は懐かしく自分を呼んだ声の主を確信する。


(まったく……。本当にお主は心配性だな……。大人しくあの世に居ればいいものを……)


「仕方の無い奴だ……」


 そう呟くと、ため息混じりに微笑みを浮かべ、その空間に視線を戻す。鷹綱の仕種に気がついた真夜は、笑顔のまま頷いた。その真夜の肩に桔梗が後ろから両手を添える。そして二人が見つめる視線の先に笑顔で語りかけた。


「私には見えないけど、始めまして仁殿。桔梗と申します。この度は、私の試練への助勢にと、こんなに頼りがいのある人々をめぐり逢わせて下って、本当にありがとう……」


「き、桔梗お姉さん?」


 驚いた真夜は、彼女の肩のすぐ側で微笑む桔梗の横顔を見つめる。


「真夜ちゃんの大事なお兄さんでしょ?私も挨拶しておかなくては……ね?」


「もう、桔梗お姉さんには敵いませんねぇ」


 驚いていた真夜だが、しばらく瞑目した後に静かに目を開け、嬉しそうに笑顔を浮かべる。


「仁兄さんも、「よろしくお願いします」と言ってました」


「そう、よかった」


「あいつは、戻ったのか?」


「はい、鷹兄さん、死者の霊は長く現世に留まると、還れなくなりますから……」


「そうなんだ……。でも、少しでも会えて良かった」


 真夜の言葉に笑顔で答える桔梗だった。


「そうそう「真夜の恋の仇は手強い様だね」とも言ってましたよ?」


「なっ!」


 驚きの声をあげる桔梗の姿を見た真夜は、またも可笑しそうに笑い出す。


「あっ!真夜ちゃん、私をからかったな!」


「はい。本当に桔梗姉さんは素直で素敵ですね」


「やられた……」


 苦笑を浮かべ真夜の頭をくしゃくしゃと撫でる桔梗。そんな二人を見つめる鷹綱は、本当に仲の良くなった二人を見て嬉しく思った。今でははしゃいでいるが、仁を失った時の真夜の落ち込み様は、彼女まで居なくなってしまうのではないかと、心底心配したものであった。


「さて、そろそろエルの金縛りも解けよう。俺達は先に帰るぞ」


「あ~そんな人もいましたねぇ。すっかり記憶から消え去ってましたよ」


 天波の言葉に笑顔で答える真夜の後ろでは、置き去りに去れたエルが涙を流していた。


「いいじゃ、どうせ、俺なんか、俺なんか……」


「馬鹿言ってないで、行くぞ。鷹と桔梗殿は幻夢斎殿への報告もあろうから、先に甲府へ戻っておるよ」


「ああ、戻ったら一杯奢るぞ」


「気にせず、ゆっくり戻って来い」


「それでは、鷹兄さん、桔梗お姉さん、お先にです」


 天波は片手を挙げ、真夜はお辞儀をして歩き出す。気がつけばいつの間にか先頭をエルヴィスが歩いていた。

 鷹綱と桔梗は並んで彼らを見送っていたが、二人の後ろから声がかけられる。


「ふむふむ、どうやら見事に鬼退治出来た様じゃのぉ」


 声の主は、いつの間にかこの場所に現れていた幻夢斎であった。どうやら、どこかに隠れて一部始終を見ていた様であった。その表情は満足気に微笑んでいる。


「鬼の首は無理じゃろうから、そうよな。角でも持ち帰るが、よかろうよ?」


「はい、お陰さまで試練を達成出来ました。ありがとうございます」


 桔梗は幻夢斎の言葉に返事をし、感謝の言葉を述べて深々と一礼する。笑顔のまま幻夢斎は頷くと、片手を上げて桔梗の行為を制する。


「礼など、よいよい。何事も一人で行うには限界があると……言う事じゃよ?おぬし達も、良き人にめぐり逢えたの」


「はい」


 幻夢斎の言葉に、鷹綱と桔梗が声を揃えて返事をする。その光景を頷きながら、嬉しそうに見つめていた幻夢斎だが「くるり」と向き直ると歩き出した。


「さて、そろそろ、わしも参るとするかのぉ~」


 彼が歩き出した先には切り立った崖があるのみで、地上は断崖絶壁の先にあった。


「し、師匠?」


 幻夢斎の行動に、鷹綱は思わず走り出した。が、幻夢斎は彼を片手で制する。


「まぁ、みておれ」


 そう呟くと、「にやり」と不適に笑みを浮かべ、両手を広げる。そして、身体を捻るとその場で「グルグル」とまるで「こま」の様に回転し始めた。回転の速度はどんどん速くなり。

 気がつけば彼の身体が「ふわり」と宙に舞い始めた。あまりの回転の速さに幻夢斎の姿がぼやけたかと思った次の瞬間。彼は真っ白な物体に包まれていた。その姿はまるで蚕がまゆを巻いている様に見えた。


「バサッ━━━━」


 鳥が羽ばたく様な音が響いた。その白い物体が中央から開かれた。白い物体。それは羽であった。羽の間には修験者のいでたちをした幻夢斎が現れた。ただ、今までの彼とは似て、別なる姿であった。その肌は赤く。そして、顔には真っ直ぐ伸びた特徴のある鼻が見える。


「て・・天狗……天狗殿でござったのか?師よ?」


 目の前の光景に驚いていた二人だったが、やっと鷹綱が搾り出す様に言葉を発した。


「うむ」


 呆気に取られたままの二人を、可笑しそうに笑顔で見つめ、幻夢斎は答えた。


「わしも、昇仙峡に住む物の怪の一人じゃ。退治されては敵わぬが、いつでも腕試しに逢いに来るがよいぞ」


「は……はい」


「ふむふむ、楽しき時間であった。では、さらばじゃ!」


 そう言い残し、幻夢斎は羽を羽ばたかせ、青空へと消えて行った。後には、呆然と立ち尽くす二人が残された。


「知って……おったのか?鷹綱殿……」


 身動き一つせずに、感情の篭もってない言葉が桔梗から発せられる。


「いいや、まったく……」


 答える鷹綱の声にも、まったく感情が篭もっていない。しばらく、周囲の景色の溶け込んでいた二人だが、やがてお互いに向き合う。そのまま見詰め合っていたが、やがてどちらからとも無く、笑い出した。


「これは!してやられた!」


 パチンと額に手を当てた鷹綱が、笑いながら言葉に出す。


「ああ、まさか、幻夢斎殿が天狗殿であったとは!」


宦官九郎義経公かんがんくろうよしつねこうも、天狗に剣を伝授されたと聞くが、これは驚いた……」


 やっと自分達の前で起こった事実を受け止めた二人は、声をあげて笑い合っていた。ひとしきり笑うと、鷹綱が鬼の死体へと視線を向けた。


「さて、拙者達も帰るとするか」


「うん」


 鬼の死体へと歩き出した鷹綱の後に桔梗が続く。死体の近くまでくると鷹綱は両手を合わせると「南無」と呟く。桔梗もそれに習う。

 そして、鬼の眉間に刺さったままの桔梗の太刀を抜き取ると、左手を顔の前まであげて、もう一度、無言で拝む。それから右手の太刀を使うと、鬼の頭に生えていた2本の角を切り取る。懐から和紙の束を取り出すと、桔梗の太刀に付着している鬼の血を拭き取る。


「これで、少しは湖衣姫様への風当たりもよくなると、よいな」


 鬼の血のついた和紙を捨て去ると。角を拾い上げ桔梗へと太刀と共に手渡す。


「そして、亡くなられた村人の魂も報われ、生き残った人々も心から喜ぶだろう。さぁ、鬼の角と形見の太刀だ」


 優しく微笑む鷹綱の両手から、鬼の角と太刀を受け取った桔梗は、その品々を大事に抱きかかえると、しゃがみ込むと瞑目した。


「父上、母上。桔梗はやり遂げました。これで、大恩ある湖衣姫様に少しでも恩返しが出来ます。そして、村人達に安らいでもらえます……」


 祈る様に囁く桔梗の頭に大きく暖かい手が置かれた。その手は優しく桔梗の頭を撫でた。


「鷹綱殿のお陰だ。ありがとう……」


 彼女の頭を優しく撫でる鷹綱に目を瞑ったまま感謝の言葉を述べる。


「いやいや、俺にも礼などいらぬよ。良く頑張ったな桔梗……」


「うむ、こうしてると、父上の事を思い出すよ……」


「少し役不足だが、そこは我慢してくれ」


 鷹綱が笑って返事をしている気がしたが、桔梗はある考えが浮かぶ。


「目をあけてよいか?」


「い・・・いや、そのままのがよいぞ?父上と思ってな……」


 桔梗の言葉に戸惑いながら答える鷹綱の声で、桔梗は自らに浮かんだ考えが正しい事を確信した。悪戯っぽく笑うと突然目を開ける。


「お!なんだ?鷹綱殿、顔が真っ赤だぞ?どうしたんだ?」


「なっ!め・・目は瞑っておれと……!」


「おや、照れてるのかな?うん?う~ん?」


 慌てる鷹綱の顔を、覗き込んでいた桔梗は我慢出来なくなり大声で笑い出した。


(そんな可愛らしい笑顔と仕草が出来るとは、まっこと、鬼より恐ろしい……負けたな……)


 お手上げだとばかりに鷹綱は両手を挙げる。


「本当に真夜と姉妹だな。からかう所まで似ておるぞ……」


 内心を悟られない様に、苦笑を浮かべつつ軽口で言い返す。そして手を差し出す。桔梗は太刀を鞘に戻すと、空いた手で鷹綱の手を握り返した。鷹綱は桔梗を引き起こす。と、桔梗はそのまま鷹綱の胸へと顔を埋めた。驚いた鷹綱であったが、桔梗の肩が僅かに震えているのに気がつく。


「本当に、ありがとう……」


「ああ……」


 桔梗を優しく抱き寄せた鷹綱は、長く美しい髪を優しく撫でながら、右手で背中を優しく子供をあやす様にゆっくりと叩く。


(桔梗の性格だ。今まで無理をして気丈に振る舞っていたのだろう……)


 どのくらいの時間が流れただろう。景色は移り、空と地上の境界線は真っ赤に燃え。その赤い光を包み込む様に深い蒼が広がる。やがて、このまま夜の帳が落ち。世界は闇に包まれる。


「よし!」


 やっと落ち着いたのか、桔梗が鷹綱から離れ、笑顔を向ける。


「帰ろうか。桔梗」


「うん」


 鷹綱の言葉に頷いた桔梗だが、すぐに何かを思い浮かべた様に言葉を発した。


「そうだ!鷹綱殿、甲府に帰る前に寄りたい所があるのだけど、良いか?」


「姫君のお心のままに……」


「うむ!ついて参れよ!」


 鷹綱の返事に大げさに横柄な態度を取ると桔梗は答えた。そして、二人は笑い合った。その笑い声を優しく風が運ぶ。風は空高く舞い上がって行った。

 それはまるで、その先にいる人々へ幸せな笑い声を届けている様だった。

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