第三章 「試練」
第三章 1話 勝負
蒼天の下、眩しい日差しを受け、昇仙峡の木々や川面は、青々と光り輝き、その姿はまるで命の息吹を昇仙峡の全ての生命が奏でている様であった。
その眩しい日差しの合間を、自由に吹き抜ける風は心地よく、夏の香りを運んできた。
その初夏の風を全身に受け、黒く美しい髪を風と戯れさせ、川面に立つ一人の女性がいた。彼女は目を瞑り、全身でその心地よい風を受けていた。その女性は桔梗であった。彼女がこの昇仙峡に来て一ヶ月が過ぎようとしていた。
「さて、桔梗殿。そろそろ始めるぞ」
そう声をかけられた桔梗であったが、声に振り返ることなく、そのままの姿勢であった。返事も無く、姿勢を崩す事の無い桔梗に、声をかけた人物は歩み寄るともう一度声をかける。
「桔梗殿……?」
「……聞こえているよ」
そう答え、目を開けると、声をかけた人物である鷹綱の方を振り返る。
「どうかしたのか?」
「いや、少し精神集中に風を感じていたんだ。鷹綱殿も一緒にどうだ?」
そう答えると、再び目を瞑り正面を向く。
「そっか……」
少し微笑むと、鷹綱も桔梗の横に立ち。同じ様に目を瞑ると、力を抜く。
「どうだ?目を瞑っていると、風を感じると申すか、風になった気にならないかな?」
「うむ。良き風だな」
そう答える鷹綱を片目だけを開け、横目でちらりと彼を覗く桔梗は、彼女の言われた通りに律儀に目を瞑り、一身に風を受ける彼の姿に、思わず笑みがこぼれた。
「隙あり!」
そう言うと手にしていた模擬刀で、鷹綱の頭を軽く叩く。
「む!油断した!」
「はははっ、油断大敵だな!鷹綱殿」
可笑しそうに笑う桔梗につられ、鷹綱も笑みを浮かべる。
「さて、それだけはしゃげるのなら、緊張はしてない様だな」
「ああ、鷹綱殿をからかったお陰で、緊張もどこかへ飛んでいったよ」
「ははっ、それは何よりだな。殴られた甲斐もあるってものだ。では、参るとするか……」
そう答えると、彼は模擬刀を肩の上に乗せ、後ろを振り返えり、そこに立つ人物に視線を向ける。横に立っていた桔梗も、彼の視線を追いかけると、同じ人物を見据える。
「いやはや、見せ付けてくれよるわい……。で、準備は整ったかの?わしの方はいつでもよいぞ?」
二人のやり取りをため息混じりに見ていたのは、幻夢斎だった。彼も模擬刀を持っていた。
「二対一とは言え、師は強敵じゃぞ?準備は出来たか?桔梗殿」
「ああ、鷹綱殿と一緒だからな、きっと大丈夫」
「へ?」
「さて、参ろう!」
桔梗の言葉に間抜けな声で聞き返す鷹綱をそのままに、桔梗は模擬刀を構え、幻夢斎へと走り出す。一瞬遅れたが走り出す桔梗の姿に、我に返ると彼も続く。
「はぁ!」
桔梗は思い切り模擬刀を振り上げると、気合の声と共にそれを振り下ろす。「ガキィン」と鈍い音とし、その刀を受け止めた幻夢斎は、力を込め押し返す。押し返された桔梗の背後から、鷹綱が現れるたかと思うと、凄まじい勢いの突きを放つ。
「ほっ!」
短い声を上げると、幻夢斎は後ろに飛び退くと、その突きを交わした。
だが、その着地地点に向けて今度は桔梗が打ち込む。「ガキィン」「カキィン」と刀の触れ合う音がしたかと思うと、幻夢斎は刀を薙ぎ払う。その攻撃をかわした桔梗に入れ替わる様に鷹綱が前に出る。
「はぁああああ!」
雄叫びを上げると、彼は目にも留まらぬ連続攻撃を開始した。その攻撃の速さは凄まじく一合、二合、その数が増えていく。
だが、それらの攻撃の全てを幻夢斎は避け、或いは受け流し、はじき返す。刀の触れ合う音、空を斬る音が十合に及ぶと、鷹綱は一度距離をとる。
「まったく、歳じゃ、歳じゃ、申されるわりに、頑張られますな?」
「ふっ、そりゃ~の~。まだまだ、若い者には負けられぬし……の!」
最後の一言を言うと同時に、幻夢斎は一気に距離を詰めると反撃を開始する。突進力を使った凄まじい突きは、剣先が見えない程であった。
「ビッ」と、鷹綱の頬に一筋の赤い線が浮かぶ。その剣先をかわしたが、凄まじい剣風により、一筋の傷を頬に負った。
鷹綱は笑みを浮かべると桔梗に視線のみを向ける、桔梗も視線のみで返すと、再び桔梗が連続攻撃を繰り出す。その攻撃を横目で見つつ、鷹綱は姿勢を落とすと、左手を前に出し、その左手を幻夢斎に向けると、右手を引き剣先を左手の人差し指と親指の間に添える。彼の視線の先に丁度模擬刀の剣先が見える位置で停止させ、力を溜める。
「はぁぁぁぁあああああ!」
連続攻撃を繰り出していた桔梗は、突然、幻夢斎の正面から横へと逃れた。
(来るか!鷹綱め!)
桔梗が連続攻撃を繰り出している間に、十分に力を溜め込んだ剣先に気を練りこんだ鷹綱は、桔梗が横に避けた瞬間、全身の筋肉を開放し、思い切り跳躍すると、その勢いを利用しつつ、右手で必殺の突きを繰り出した。自らの全身の重みをも利用した突きは、真っ直ぐに幻夢斎へと伸びて行く。
「夢幻流!鬼神一閃!!」
「くっ!ほほっ!」
避けきれぬと思った幻夢斎は、自らも思い切り後ろへと跳躍し、その突きを逃れ様とした。
その為に彼の跳躍は大きくなり、姿勢も無防備になった。だが、かわしたと思ったその幻夢斎の視線の先で、鷹綱に向かい走り出す桔梗の姿が見えた。
彼女は全力で走り、勢いよく鷹綱の方へと跳躍する。鷹綱も同時に左手に力を込めると、後ろへと向ける。鷹綱のその左手の腕と二の腕に、桔梗はそのままの勢いで飛び乗る。
「飛べ!桔梗!」
そう叫び、一瞬、身体を沈めて力を溜めると、左手に乗った桔梗を思い切り前へと身体の反転をも利用して力の限り投げ飛ばす。その先には無防備に跳躍している幻夢斎がいた。
「むっ!」
「やぁああああああ~~!」
自らも気合の声を限りに桔梗は投げ出された勢いで幻夢斎の上を取ると、振り上げた模擬刀を彼の眼前に振り下ろす。
「ピタッ」とその剣先は幻夢斎の眼前で止まった。その姿勢のままでゆっくりと地面に降りると、幻夢斎は静かに言い放った。
「ま、まいった!」
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