第二章  9話  蒼く晴れた未来

 翌日。晴天の下、川辺の少し開けた場所に幻夢斎を中心にして鷹綱と桔梗が対峙する。


 お互い歩み寄ると一礼し、木刀を構える。


「では、始めるかの~……」


 幻夢斎は二人に顔を左右に動かし目配せする。それに答える様に二人は頷く。


「開始じゃ!」


 その言葉を合図に桔梗は正眼に木刀を構える。中段の構え。基本の形である。対する鷹綱は両の腕を高く上げ上段の構えを取った。

 自ら引く事を捨てた攻撃的な構えとも言えよう。しばらく微動せずいた二人だが、先に仕掛けたのは桔梗であった。

「やぁ!」


 短く気合の声を発すると、そのまま鋭い突きを繰り出す。


(速い!)


 その突きを、かわすと鷹綱は最上段から思い切り、木刀を振り下ろした。

 その凄まじい一撃を桔梗は、真横に飛びのくと、何とかかわした。が、鷹綱はそのまま左手を離すと、右手のみで木刀を最下段から、横に薙ぎ払った。

 その軌道は、横に飛びのいた桔梗の後を真っ直ぐ追いかける。桔梗は自らに迫る鷹綱の木刀の切っ先を、思い切り叩き落とす。


「かーん」と乾いた音がすると、鷹綱の木刀は下へ弾かれた。その隙を突いて桔梗はもう一度鷹綱に素早い突きを繰り出す。


「はぁー!」


 またも気合の声と同時に鋭く繰り出された突きを、鷹綱はギリギリのところで避けると、そのまま一回転し、その反動を用いて桔梗の真横から、木刀を桔梗の首筋に向けて振り下ろした。彼女の後ろ頭と首の境に、彼の木刀が当たる直前で「ピタリ」と切っ先は停止した。


「一本!それまでじゃ!」


 幻夢斎の声が響くと、静止していた二人はお互いに距離をとると。再び向かい合う。


「ありがとうございました!」


 同時に相手への感謝の言葉を述べると、一礼する。勝負は鷹綱が制した。


「さすがだな、鷹綱殿。こうもあっさり一本取られると、悔しさよりも、清清しい気分だ」


「いやいや、桔梗殿もたいしたもんじゃ。初撃をかわされると思わなかった。まったく、女子にしておくのが勿体ない」


「どうせ~私は勝気な女じゃからな!」


 少し語尾を強くすると、桔梗は「プイ」っと横を向く。


「う……」


 二人が初めて出逢った時のやりとりを思い出したのであろう鷹綱が言葉に詰まる。


「い……いや、それはだな。そう言う意味では……なくてだな?」


 しどろもどろに答える鷹綱を、横目でチラリと見ると、桔梗は我慢出来ずに笑い出した。


「ははは。わかってる冗談だよ。私はもう気にしてはいないよ」


「む!これは一本取られた!」


 ひとしきり笑い合いう二人の側に、幻夢斎が近づいてきた。


「ふむ、なかなかの腕前なのはわかった。次はわしが相手じゃ~打ち込んでこい」


「は……はい!」


 返事をして構える桔梗。微笑みながら彼女を見守り、少し離れる鷹綱。幻夢斎もまた少し距離をとると、桔梗に向き直る。

 桔梗の本来の目的は、この幻夢斎に師事を受けに来た事である。武田家の本拠地である甲府で、その剣名が噂されていた人物の本来の姿が現れる。


「うっ……。ううぅ!」


 幻夢斎は何も持っていない。それどころか、両手を後ろに回し、何気なくその場にたたずんでいる。だが、普段は小柄な彼の姿は、桔梗の眼にはとても大きく見えた。そして、その両眼が開かれた時、その視線を受けた桔梗は身動き一つ出来ないでいた。それ程に彼の存在は大きく、恐ろしく思えたのである。


「どうしたんじゃ?打ち込むだけでよいのじゃそ?」


 実力の差。等で言い表せる事の出来ない程、次元の違いを思い知る。桔梗は自らが震えている事も気がつかないでいた。だが、その震える手に、別の誰かの手が重なる。


「落ち着け桔梗殿。「気」を受け流すのだ。大河の流れを正面から受け止めずに、その流れに逆らわずに、身をゆだねる感覚で……。大丈夫、お主なら出来る」


 桔梗の手に重ねた鷹綱の手は、「とんとん」と優しく何度も彼女の手を叩く。それは相手を落ち着かせようとしているテンポであった。微笑む鷹綱に頷き返す桔梗。


「う……うむ」


 一度、目を閉じると、「ふぅ~」と深呼吸をする。その姿を見てもう一度、背中を「ポン」と軽く叩くと、鷹綱は桔梗の側を離れた。それだけで桔梗は落ちついた気がする。再び目を開いた桔梗の表情には、先程までの恐怖や戸惑いの色はない。


(ふむふむ、良い顔になったな……普段は助平爺だが、師の本気を始めて目の辺りにすると、誰でも驚きと恐怖に支配されるからな……)


 鷹綱は満足そうに頷くと、そのまま二人の対峙を見守った。


「やぁ!」


 自らに気合を入れるように短く声を出すと、桔梗は走り出した。そして、幻夢斎に向けて木刀を一閃いっせんさせた。その攻撃を身動き一つ変えずに、腕を後ろに組んだまま跳躍ちょうやくだけで避ける幻夢斎だったが、その表情は笑みになっていた。


「ひひひ~わしの「気」を受けて動けるだけでも大したもんじゃが。まさか、打ち込んでくるとわの~~。うむ!まっこと、なかなかよなぁ~愉快!愉快!」


 満足気に頷くと、鷹綱を一瞥する幻夢斎。その視線に笑顔で返す鷹綱であった。他の者がこの場の光景を見れば、たかが老人に当たりもしない打ち込みを入れただけに見え、滑稽こっけいに見えるかもしれない。だが、剣の修行をし、正しく相手の力量を理解する者が見れば、その行為自体が幻夢斎相手だと、いかに難しい事であるか理解出来た筈である。


「う……うちこめた……」


 一方の桔梗は、呆然と木刀の切っ先を見詰めつつ、自らの行為を再確認する様に呟いた。


「た……鷹綱殿!やった!打ち込めたぞ!」


 満面の笑みを浮かべて鷹綱を振り返る桔梗。その笑顔に釣られ彼も笑みを浮かべつつ、彼女の頭に手を乗せ優しく撫でると鷹綱は笑顔のまま言葉をかける。


「やれば出来ると申したであろう?」


「うん!」


 素直に返事をし、自らの髪を優しく撫でる鷹綱の行為に、桔梗は「幼いかなと?」と思わないでもないが、褒められている様で嬉しい気持ちで一杯になる。が、しばらくして、二人はその行為を認識して我に返る。


「はっ!」


 同時に顔を真っ赤にした二人は、慌てて距離をとる。


「そ・・・そろそろ、食事の準備をしないと……だ。私は今日から当番ゆえ。行ってくる」


「う……うむ、よろしく頼む!」


 お互いに支離滅裂しりめつれつになりながら言葉を交わし、そのまま振り向きもせず、逃げるように桔梗は走り去る。そんな二人を愉快そうに見つめながら幻夢斎は鷹綱に歩み寄る。


(さてはて、鷹綱め。普段は軽口を叩くくせに、まだまだ奥手よの~。なんとも、お互い奥手と申すか、見ていて初々しいが、歯がゆくもあるの~)


 そんなことを思いながら、鷹綱の側に来ると、走り去る桔梗を眺め幻夢斎は問いかけた。


「どう、思う?」


 同じく走り去る桔梗の後姿を見ながら、鷹綱は自分の考えを素直に口にした。


「桔梗は強くなる事を、純粋に願っております。あの瞳は真っ直ぐ過ぎて、拙者には眩し過ぎる程に輝いて見えまする。桔梗は良き「人」へと成長しましょう」


「ふむ。同感じゃな。そなたの失われた気持ちも蘇ろうて……。先程の桔梗との打ち合い。お主の剣筋がこれまでと違っておったしのぉ~」


「そ・・そうですか……?」


 幻夢斎から自分の剣に関する感想が出てくると思ってなかった鷹綱は、驚いて聞き返した。


「お主の剣の迷いが薄れておったのぉ~。お主は強い。が、いつも剣に「迷い」があった。その迷いがお主の成長を妨げていたのじゃが。どうやらお主を縛っていた物が解けの」


「さすがは、師と、申しておきます。」


「当たり前じゃ!何年生きとると思うっておる?わしに言わせれば、お主など、まだまだひよっこよ!「悟り」までの道はまだまだ長い。お主も「人」としての成長を怠るなよ?」


「精進いたします」


「うむ、それには、まず師を大事にせいよ!」


「それさえ自分で言わなければ、申し分ない御仁なのですが……」


「やかましいわい!軽口だけは免許皆伝じゃの!」


 そう言い合って、愉快に笑い合う二人でだが、幻夢斎はもう一度真顔で言葉を続けた。


「過去は過去じゃよ鷹綱。人は過ちを犯さずには、生きては行けない生き物じゃ。だが、それは全て「心」が織り成す事じゃ、過ちを犯せば、償えばよい。人生とは傷つき、傷つけ、それでも前に進まねばならぬ。悪しき想いに打ち勝つ、正しき「心」を身につけよ。良きも悪きも、人は「心」によって歩む道が決まる。武士ならば尚更じゃ」


「心得ました」


 深々と頭を上げる鷹綱に、笑みを返す幻夢斎。


「お主も、桔梗も、まっこと、まっこと良き相手に出会えたの~」


「はい」


「うむうむ、まさに人との出逢いは宝じゃの。色々な意味で……のぉ ひひひ」


 最後はまたも冗談を言う幻夢斎に少し呆れる仕草を見せる鷹綱だが、自らの心の変化に僅かな剣で気がつく師に、内心は舌を巻いていた。だが、幻夢斎の言葉への感謝の気持ちと、彼の言葉には深く納得していた。「出逢い」はまさに人生における宝ではないのかと。


 視線の先から桔梗が消えたのを、少し残念に思いながら、そのまま視線を空へと向ける。そこは、雲一つない、どこまでも蒼く眩しい空が広がっていたのであった。

 同じく空を見上げた幻夢斎は、この青空の様に、彼等の未来も晴れ晴れとして欲しいとそう思うのであった。

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