第二章 8話 過去からの解放
「
全ての話を語り終わった後に、しばらく沈黙が流れていたが、再び鷹綱が静かに呟いた。
「それは?」
「あれ以来お館様が、常に我らの様な若輩者に対してこう申された」
「それが、その時の横田様であらせられるの?」
「うむ。横田様は武田家にとって失うには惜しい人物であった。そして仁は拙者達にとっては掛け替えの無い友だった。それに武田の将兵だけで千人近い死者も出た」
「そんなに……」
「横田様にはよく叱られたもんだ。仁にもよく説教をされたなぁ~」
「ははっ、叱られてばかりだな?」
「ああ、拙者はお茶目だからな。色々と悪戯もする。相棒もいるしの」
「誰がお茶目なのかは、忘れるにして、忍者殿が相棒なのは納得できる」
「いや、本当はな。そこは納得して欲しい様で、して欲しくない所。かな?」
「何故、疑問系?」
聞き返す桔梗は笑いを我慢する事が出来ずにいた。鷹綱もしばらくその笑顔を見守る。
「拙者はな。桔梗殿。狂気に捕らわれ己を見失い、敵兵を憎しみのみよって斬り倒した。その
そう呟く鷹綱に、桔梗は右手で拳を作ると、その拳で彼の頭を「こつん」と軽く叩いた。
「こらぁ!」
一瞬、何が起こったか理解出来ずに桔梗を見つめる鷹綱に、人差し指を立て、左手を腰にあてると、姿勢を正し、少し上向きになると桔梗は言葉を続けた。
「先程、過去の過ちを認める勇気は素晴らしい……と申したのは、誰であったかな?」
「そ……それは……」
「鷹綱殿はその行為を過ちと認め、恥ずべき事、
「………………………………」
「今日出逢ったばかりで、こう申すのはおかしいかもしれないけど、鷹綱殿の事だ。人知ず、笑顔の下で泣いていたのであろう?その悲しみを回りに気づかれぬ様にと……。それでも、人を気遣う鷹綱殿の方が、誰より優しい……と。思う……ぞ」
最後の言葉は自らの言葉の内容に、恥ずかしさを感じたのか、弱々しくなっていた。何故、出逢ったばかりの彼の心情が理解出来たのか、それは桔梗本人も明確な理由は分からない。
だが、あえて答えを出すとしたら、と彼女は考え、すぐに結論に達する。
(鷹綱殿自身が心に傷を追ってきたのだな……。それも生来の性格から誰よりも悲しみを抱え込んでしまう。悲しみが多いからこそ、その悲しみが理解出来き、人に優しくなれる)
その結論に確信を持つ事が出来る自信を、この時の桔梗は理解した。鷹綱の言葉によって彼女自身が救われたからである。しばらく桔梗の言葉を噛み締める様に沈黙し、彼女を正視していた鷹綱は、ふっと肩の力を抜くと、そのまま顔を上げ夜空に浮かぶ満月を眺める。
彼が何を言いたいのか、それはわかっていたが、彼自身がその言葉を口に出すまで、桔梗はじっと待っていた。
「俺の罪は、許される……と思うかな?」
「必死に罪を償おうとあがいておるのでしょ?だったら、いつか許される日が必ず来る。それに……ね」
「それに?」
問い返し彼女の方に視線を向ける鷹綱に、顔が熱くなるのを感じ、慌てて顔を背け、出来るだけ平静を装うと桔梗は言葉を続ける。
「誰も許してくれないとしても、鷹綱殿自身が自分を許せないと思っていたとしても、私が……その、なんだ。ゆ・・・許してあげるよ……」
その言葉を聞いた瞬間。彼の心の奥底にあった「過去の
そう、彼は誰かに許して欲しかったのだ、友を救えず、狂気に支配され、戦とはいえ敵兵の命の尊さも感じず、ただ命を奪った事を。彼の周囲の者達が、共に生き残った親友達も、もちろん彼を許していた。
だが、彼自身がその罪の意識から、自らを許せないでいたのである。素直に自分と向き合える事が出来なかったのである。だが、桔梗に自ら過去の罪を語った行為が同時に彼自身と向き合えた事になったのだ。そして、桔梗に対し彼は深く頭を垂れる。
「すまない。そして、ありがとう……」
短く。だが、万感の想いを込めて言った。そして静寂が二人を包み、川のせせらぎだけが、静寂の中で密かにその存在を明かしていた。どれくらいの時間が経ったのか、あるいは少しの時間であったのか、それすら分からぬ程、その場は不思議で優しい空気に包まれていた。
「さて、夜も更けて来たし、そろそろ、戻ろうか」
沈黙を破ったのは鷹綱の方で再び頭を上げると、夜空の月を見上げた。だが、月を見上げた彼はまたもそのまま静止してしまう。それから、笑顔を桔梗に向け唐突に言葉を出した。
「と、帰る前に桔梗殿、ちょっと、この岩場の上に立ってもらえぬか?」
「うん?こ、ここの岩場か?それは構わないけど、どうかしたのか?」
「おう!そう!そこだ」
鷹綱の突然の頼みに、戸惑いながらも彼が先程まで座っていた岩場の一番上に立つ。それを見届けた彼は、自らはその場にしゃがみ込む。丁度、岩場の下から上に立っている桔梗を鷹綱が見上げる形になった。
「何事だ?鷹綱殿?」
彼の意図がわからず、問いかける桔梗の姿に、鷹綱は笑顔を浮かべると、答えを返した。
「いや~何、あまりにも満月が綺麗じゃからな、その満月を背にした桔梗殿を見て見たくなってな。ふむふむ、やはり月夜の光に照らされた美女は絵になる。まるで月から天女が降りて来たようじゃ」
「なっ!」
鷹綱の位置から見える桔梗は、満天の星空と満月のみを背にし、まるで星空の中にのみ存在している様に見えた。月夜の蒼白い光を受け、桔梗の長く美しい黒髪も光輝き、その姿は神々しくもあった。だが、突然の言葉に桔梗は全身が真っ赤になる。
「たたた・・・・鷹綱殿!ま・・また私をからかっておるな!!」
「からかってはおらんよ?正直に申したまでだ」
「な・・何を?」
(許せよ。桔梗殿、あのままでは照れ臭くて、どうもいかんかったし……)
「あのまま桔梗殿に一本取られたままだと、悔しいではないか」
そう言うと鷹綱は愉快に笑った。月夜の明かりでさえ、顔が赤くなっているのがわかる。と思える程の慌てぶりを見ていると、彼の心はとても暖かな気持ちに支配されていた。それはからかわれた桔梗も同じであったが、慣れない事を言われた恥ずかしさは隠せないでいた。
「おのれ~。た~か~つ~な~。そこに直れ!成敗してやる!」
恥ずかしさを怒りに変える様に桔梗は鷹綱を睨む。
「からかったのは悪かったが、綺麗だと思うたのは本当じゃぞ?拙者は嘘をつかぬしな」
鷹綱のとどめの一言で、桔梗は戦意損失すると、その場にへたり込む。照れと羞恥と、色々な感情を浮かべ彼を睨む桔梗に、鷹綱は笑顔を浮かべると手を差し伸べる。
「あまり睨むな。美人が台無しだぞ?さぁ、今日は痛み分けでとして、小屋へ戻ろう。明日は師の立会いの元、手合わせもあるし、そろそろ本気で休まぬと……な?」
「ぅうう~~~~~~~~~~~~」
と何やら唸っていた桔梗であったが、やがて観念したのか、「ふぅ~」とため息を吐く。
「ささ!姫君!お手を拝借いたしたく候」
「く・・くるしゅうないぞ!」
鷹綱の冗談に言い返すと、差し出されたその手を掴む。そして、岩場から降りると二人は小屋へと向った。小屋に着くまでその手は離される事は無かったのであった。
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