第二章  6話  宿将の遺言

「ば・・・・化け物だぁ!!ひぃいい~」


 逃げ惑う敵兵に向かい、狂気に支配された鷹綱が走り出そうとした瞬間、彼の首筋に腕が伸びると、そのまま襟首を掴み、背中に回り込むと彼を投げ飛ばした。


 したたかに背中を打った為、一瞬にして呼吸が出来なくなった鷹綱は、自らを柔術で使い投げ飛ばした人物を見据みすえる為に、苦しいながらも半身を起こし、視線の先にいる人物を確認する。


「よ……横田様……?」


「いかにも、横田備中守高松じゃ。どうじゃ?少しは落ち着いたか?この馬鹿者が……」


 彼の目の前に立っていたのは、彼の尊敬する横田だった。困ったように笑みを浮かべる姿は、子供の悪戯いたずらしかる親の表情の様に見える。


「困った奴じゃの。怒りに身を任せてどうする……」


「はっ!奴ら!生かしておけん!」


 再び怒りを覚えると立ち上がろうとする鷹綱の眼前に、冷たく光る刃が向けられる。


「落ち着けと申しておる……」


 刃を持ち彼の前に立つ歴戦の戦人いくさびとの姿に、恐怖すら覚えてしまう鷹綱。もしも、この場に先程の陰陽達が居合わせたなら、横田こそが地獄よりの使者であると、認識を変えていただろう。


「落ち着いたようじゃな。それに、お主は友をあのままにしておくのか?」


 そして鷹綱の背後に視線を向ける、同じく自らも振り向くと、そこには仁の遺体を見守る二人の親友の姿が見えた。その姿に完全に落ち着きを取り戻すと、横田へと視線を戻す。


「そうじゃ、お主の友は、自らの尊い命をとして、味方の将兵の命を救った」


「拙者に、もう少し力があれば、彼を……仁を救えたかもしれない……」


 自責の念に捕らわれ、苦々しく呟く鷹綱に、横田は言葉を続ける。


「だが、お主の友は、自らの死が原因で、鷹綱自身が狂気に捕らわれ、滅びるのを望んでいると思うか?それによって起こる殺戮さつりくを望むか?」


「そ・・・・それは………」


 横田はしゃがみ込むと、鷹綱と視線を同じ高さにし、微笑みながら続ける。


「武士道とは……死ぬ事と見つけたり。だが、今のお主の死は、ただの犬死ぞ?」


「なっ!」


 自らの行為を侮辱ぶじょくされたと思った鷹綱は、絶句してしまう。そんな彼の心情を知ってか、知らぬか、もう一度微笑むと、真顔になり真っ直ぐ鷹綱を見据えて歴戦の宿将は続ける。


「聞け、鷹綱。いたずらに死に急ぐな……」


 その場違いまでの穏やかな声色に、鷹綱の胸中に一筋の不安が込み上がる。


「もう一度申す、死に急ぐな。あらゆる艱難辛苦に、忍耐と、正しき良心を持って立ち向かうのだ。ここは耐えよ……。お主には、死した友の為にやらなければならぬ事が………。いわば、天命があるはず。それを成すまでは……。死に急ぐな!生きよ!」


 その言葉の一言一言が胸に深く沈み、きざまれて行く感覚と同時に、言いようも無い不安が込み上げて来る鷹綱であった。


(な、何故じゃ?横田様は何故、その様ないい様を……、これでは、まるで……)


 そこまで思い至って彼には、ある光景が克明に蘇った。自らの命をとして味方を救うべく、歩んでいた友の、仁の最後の笑顔である。鷹綱が至った結論を口に出す前に、横田は彼を制する。


「よいな?死を恐れぬのは勇敢である。だが、生きる事が死ぬことより辛い時は、誠の勇気とは生きる事ではないか?」


 親友の死によって、その怒りで狂気に身を任せ死の道へと進もうとしていた鷹綱に、彼は生きる道を示したのである。安易な道。死に逃げる事の無い様にと………。


「横田様……」


「うむ、少しはわしの言いたい事がわかった様じゃな……。今はそれでよい、いつか真にわしの言葉の意味を知る時は来よう。その時、お主は、真の侍になれようぞ!」


 横田はそのままの姿勢で後ろに視線を向けると、静かに頷く。鷹綱の二人の親友が駆け寄ってくる。もう一度、視線を戻すと彼はしばらく鷹綱を見つめていた。


「さて、鷹綱。もはやお館様も落ちられた。この上は、速やかに撤退あるのみじゃ」


 そして立ち上がると、横田は鷹綱に手を差し伸べる。その手をしっかりと掴むと鷹綱も立ち上がる。


「のう鷹綱……。わしはな……。常々思っておったもんじゃ。敵将の首をあげるのも戦の華なれど…………。殿軍しんがりもまた、戦のはな………とな」


 そして、横田は豪快に笑った。その笑顔を鷹綱は生涯忘れまいと心に誓う。二人の親友が彼の元に駆け寄ると、横田はその二人に「こやつを頼む」と一礼する。二人は深く返礼する。


「さて、最後の大仕事じゃ!!」


 そして彼の元へと馬を連れて来た兵士から、手綱を受けて取ると、すばやく馬に跨る。そのまま敵軍へと馬首を向かせると、戦場に良く通る声で叫んだ。


「横田隊!前へ!」


 彼に従う兵士が一斉に彼の元へと走り寄る。横田はもう一度だけ3人に視線を向け、片手を挙げる。彼に従う兵士も笑みを浮かべ彼等3人を見つめる。


(俺はこの人達の笑みを忘れない…………)


 彼らは深く深く返礼する。瞼の奥から込み上げて来るものを、止める事は出来なかった。無駄だと思っていても、彼等の覚悟がわかっていても、鷹綱はその言葉を言わずにはいられなかった。


「ご武運を!生きて再び、相まみえましょうぞ!」


 そう言う若武者に、頷くと横田は敵兵へ向き直る。


「横田備中守高松!これより修羅に入る!皆の者!遅れをとるな!!武名をあげよ!!」


「おおおーーー!」


 彼の叫びに回りの兵士が呼応する。そして彼らは駆け出したのである。撤退する味方軍を追撃する敵軍に向かって………。


「横田さまぁ!」


 鷹綱の声は、戦いの喧騒に掻き消されたのであった。

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