第二章  5話  親友の最期

「仁!」


 その声に、他の二人も走るのを止め、視線をそちらに向ける。3人の視線に気がついた仁がこちらに視線を向ける。

 刹那せつな、4人の間だけときが止まっている様な錯覚に捕らわれる。仁は穏やかな笑顔を浮かべていたが、負傷した味方の中心で歩みを止めると術の詠唱を始める。


 その先では敵の陰陽部隊も同時に詠唱えいしょうを始めた。傷ついた武田兵に止めを刺そうとしているのである。


「まずい!さがれ!仁!」


 全力で走り出す鷹綱の背後では、天波が素早く弓を取り、矢筒を腰にあてると数本の矢を携え走り出す。エルヴィスも半瞬遅れて鷹綱に続き走り出していた。


釈迦如来しゃかにょらい真語しんごん。我が命を仏に捧げん、されば、我が友、我が兄弟を助けたまわん!」


「古の契約に従い答えよ!地獄の煉火れんかよ!すべてを焼き払う怒りの炎となれ!」


 仁の唱える呪文と、敵の陰陽師が唱える術の詠唱が重なる。


「ま………。まさか、あいつ!」


 僧の回復術には、自らの生命力を極限まで使う事によって、味方の傷を一瞬にして全快にしてしまう術があると聞いた。しかし、この状況下でその術を使う事は、味方の命は救えるが己の命の保障はない。

 背後で天波とエルヴィスが、弓と手裏剣を放つ音が聞こえた。数本の矢が飛び、同時に数個の手裏剣が舞う。それぞれ、敵陰陽部隊に突き刺さる。


「我!仏の道を悟りたり!我が人生に悔いなし!今世こんせ大往生だいおうじょう!」


 仁の術の方が先に完成する。


 その瞬間、彼を中心に眩い光に包まれる。その光に包まれた味方の負傷兵の傷が一瞬にして消える。

 だが、陰陽の術も完成していた。天波とエルの二人の攻撃は数人の術を止める事は出来たが、その全てを止める事は出来なかったのである。

 そして、仁を中心に爆発が起こった。全力で走っていた鷹綱や、やはり数人の味方兵もその爆発に巻き込まれるが、仁の回復術のお陰で死者は一人も出なかったのである。ただ、一人を除いて………。


「仁!仁!」


 自らも全身に火傷を覆っているにもかかわらず、そのまま仁の元へ駆け寄り、崩れ落ちようとしている仁の身体を支える。


「しっかりしろ!おい!仁!」


 鷹綱の必死の呼びかけに、うっすらと目を開ける仁だが、すぐにその表情は苦痛に歪む。


「あ……うぅ…………あ……」


 苦痛に苦しみながら何事か言葉を伝えようとする仁に、彼の心情を察した鷹綱が答える。


「安心しろ仁!お前の回復術のお陰で、味方は誰一人死んではいない……」


 そのとき、遅れて天波とエルヴィスが彼等の側に追いつき、3人で仁を取り囲む。

 再び目を開けた仁は、彼を心配そうに覗き込む、幼き日から見慣れた面々を見つめると、彼らを安心させる為に笑顔を浮かべた。そしてゆっくりと瞳が閉じられた。二度と再びその瞳が開かれる事は無かったのである。


「仁!おい!嘘だろ!目を開けろ!仁!」


「仁……」


「嘘………じゃろ?」


 三者三様に仁に言葉をかける。しばらく沈黙していたが、鷹綱は仁の遺体を横たえる。


「寛大、純。援護を任せた」


 それは、とても落ち着いた声であり、どこか遠い場所から響いてきた様であったが、その言葉を聞いた二人は驚いた様に鷹綱を見る。


「落ち着け!鷹!」


 天波がそう声をかけたときには、すでに鷹綱は敵陰陽部隊に向かって全力で走り出していたのである。その顔は普段の彼からは想像もつかないほど、怒りに歪んでいた。


「まずい!鷹が怒り狂ってしもた!こりゃ、まずいぞ!」


「エル!とにかく、手裏剣を投げまくれ!」


「任せろ!」


 彼等二人は、先程と同様に陰陽部隊に向けて、矢と手裏剣を放つ。敵部隊もこちらに走り寄る侍に気がつくと、術の詠唱を開始する。だが、その瞬間、またも数本の矢と手裏剣によって術を中断される。しかし、一番奥にいる陰陽だけは詠唱を中断されずに術を完成させた。


「古の契約に従い答えよ!白銀の乙女!汝の抱擁と死の接吻で、我が敵に永遠の眠りを!」


 鷹綱の周りの空気が一瞬にして凍てつくと、彼は一瞬にして氷の中に閉じ込められたのである。それはまるで、氷の棺に埋葬された様であった。


「はっ!馬鹿な奴だな!我らに歯向かって勝てる訳がないだろうが!」


 氷の棺に閉じ込まれた鷹綱に対して、敵の陰陽師が勝利を確信し吐き捨てるように言い放った。

 だが、その眼前で、氷にひびが入ると、一瞬にして氷の棺は砕け散る。中から現れた鷹綱は火傷と凍傷を全身に受けていたが、痛みをまったく感じていないかの様に、眼前の陰陽師の首を一閃する。

 陰陽師は驚愕きょうがくの表情を浮かべたまま、自らに何が思ったか理解もしないまま絶命する。


「おのれらぁ、生きて帰れると思うなよ……」


 そこに居合わせた陰陽師達は、その言葉の響きを聞いた時、地獄の底から響いて来る様であり、彼等の視線を釘付けにしている手負いの侍は、間違いなくその地獄からの使者であった。


「うおりゃああああー」


 鷹綱は獣の咆哮ほうこうをあげると、次々と目の前の陰陽師に襲い掛かる。接近戦に向いていない陰陽達は、慌てて結界を張りめぐらず、だが、怒りに我を忘れ、怒りに支配された鷹綱の前には、結界は意味をもたなかった。


 太刀を突き、斬り上げ、振り下ろす。


 瞬く間に彼の周囲には屍の山が築きあがって行った。そして、その場には全身を返りに血に晒し、真っ赤に染まっている鷹綱のみが立っていた。

 だが、彼の瞳からは怒りの炎は消えて無く、新たな犠牲者を求め、敵部隊へと視線を向る。その視線に敵兵は恐れおののいた。

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