第二章 「過去と未来」

第二章  1話  「砥石崩れ」

 一騎の武者が駆けて来る。


 武田軍の使者の正装をしている騎馬武者であった。信州、村上義清むらかみよしきよ居城きょじょうである砥石城といしじょうを包囲する武田軍本陣に向け、真っ直ぐに駆けていく。だが、その姿が近づくに連れ、その使者の異常に気が付く。


 その武者には首が無いのだ。


 尚も本陣へ向かう騎馬武者に向かい、一人の若武者が駆け寄って行き、馬の手綱を掴むと、馬をなだめ落ち着かせようとする。馬は尚も進もうとしたが、若武者に手綱を引かれ、一嘶ひといななきすると、若武者の意を理解したかの様にその場に立ち止まる。

 馬が落ち着きを取り戻し、静止した瞬間、馬上の使者の体が傾き、ゆっくりとその若武者の目の前で地面へと崩れ落ちていく。若武者は使者の遺体をすばやく抱きかかえると、静かに地面に横たえる。


(正規の使者に対して、何とむごい仕打ちを……)


 その若武者━━松本鷹綱の心中に怒りの炎が揺らめく。

 一瞬、何が起こったのが理解出来ずに、静まり返っていた武田軍本陣であったが、鷹綱が使者の遺体を受け止めた瞬間に発生した音で、再び時が動き出したかのように、にわかに騒がしくなった。慌てて鷹綱と使者の元に数人の武者が駆け寄る。そして、使者の遺体を改めて確認すると、武田軍本陣の一番奥に鎮座する人物に呼びかける。


「お館様やかたぁ!お館様!」


 武田軍にて「お館様」と呼ばれる唯一の人物。武田晴信たけだはるのぶは周りの武者に目配せすると、すぐに立ち上がり、うなずく重鎮達を引き連れて、使者の遺体の元へと駆け寄ってくる。

 鷹綱やその場に居合わせる数人の武者は、その場を離れ、ひざまずくと主君を迎える。使者を確認すると、晴信の顔色がみるみると変わって行った。


「おのれぇ!義清めぇ!」


 怒りをあらわにした晴信は、村上軍の居城、砥石城の方向を睨む。この使者は先程、砥石城に篭もる村上軍に向け、降伏の交渉に向かわせた使者であった。その返答が、こうして使者の命を奪うと言う形で返ってきたのである。


総掛そうがかりじゃぁ!一気に砥石城を落としてくれる!」


 珍しく怒りを隠すこともせず、総攻撃を命令する晴信を一人の重臣がいさめる。


「なりませぬ!砥石城は堅牢な城にございます!ここは、時間をかけてじっくりと攻めるが、山城の攻略の基礎でございましょう!」


 晴信の怒りを諌めようとする重臣は、横田備中守高松よこたびっちゅうのかみたかとしであったが、晴信は怒りを収め様ともしない。


「このわしの力を見くびりおって!目に物見せてくれるわ!」


 しかし、晴信はその言葉に耳を傾ける事もせず、他の重臣達を引き連れて出陣の準備を始める。その場に居合わせた重臣や兵士達も、各々の準備の為に散って行く。

 そして、その場に残ったのは、晴信を諌めていた横田と、少し離れた場所で畏まる鷹綱の二人だけであった。横田は出陣を促すほら貝の音が鳴り響き、慌しくなった陣内を見つめていたが、ふっとため息をつくと、視線を使者に戻す。そして近くで畏まっている若武者に気がつく。


「鷹綱か……。そなた、すまぬが、この使者を丁重にともらってくれまいか?」


 そう言って彼は遺体に手を合わせ、冥福めいふくを祈る。


承知しょうちいたしました……」


(これは戦には出遅れた……な。だが、使者殿をこのままにはしておけぬ……)


 そんな鷹綱の内心を見透かしたかの様に。横田は少し微笑むと、彼に言葉をかける。


「そなたの様な若者に、戦場で、かような事を頼むのは、心苦しいが……。老人の頼みと思うて、こらえてはくれまいか?」


「いえ、その様に申されなくとも、拙者せっしゃとてこのまま……とは思いませぬ。それに……」


(参ったな……)


 少し苦笑しつつも、慌しく総攻撃の準備に入った陣内を見渡し。鷹綱は言葉を続ける。


「拙者一人が抜けたとて、戦況が大きく変わるとも思いませぬし」


 そう言い、もう一度「承知仕りました」と頭を下げる若者を満足気に眺めていた横田だが。


「この戦……。ひょっとすると武田は負けるやもしれぬな……。」


 そう呟いたのであった。その言葉の真意を確かめようと横田を見つめていた鷹綱であったが、彼の視線に気がついた横田は笑みを浮かべると言葉を出す。


「老人の世迷言よめいごとじゃな。年を取ると心配事が増えてならぬ……」


「年はとりたくないわい」と笑顔で話す横田の心情を察し、先程の呟きには触れず。


「最近、白髪が多くなった様に見えますが、その為でござりましたか、いやはや心中、お察しいたす」


「ふっ、お主もなかなか言いよるわい」


 横田の心情を思って、あえて軽口を叩くこの若者を、彼は決して嫌いではなかった。


(この若者は、どの様な武者に育ってくれるか……。将来が楽しみじゃな……)


 この若武者の未来を想像し、微笑みを浮かべていた横田だが、新たに吹き鳴らされたほら貝の音に、現実世界へと引き戻される。そして、砥石城へと続く先陣から怒号が響いてくる。攻撃が開始されたのである。


「始まったか……」


 先陣の方向へと厳しい視線を向け、横田はつぶやく。そして、一度、目をつむる。

 しばらく瞑想めいそうしている様に動かずにいた彼だが、ゆっくりとその両眼が開かれた時、先程までの彼とは違う雰囲気を備えていた。後に武田二十四将であり、「甲陽こうようの五名君」の一人にたたえられる事になる彼の、その名に恥じることのない歴戦の戦人いくさびとの姿であった。その姿を畏敬の念で見つめる鷹綱。


(おれは、いつかこの御仁ごじんの様になる事が出来るだろうか……)


「さて、わしは本陣に戻るとするか……」


「では、拙者も使者殿を弔って参ります……」


 鷹綱はうやうやしく一礼し、彼が尊敬してやまない歴戦の勇者が、本陣に向かう姿を見送る。


「さぁ、お前も疲れたであろう?共にお前の主人を弔ってやろう。」


 鷹綱はそう言って、使者の側に佇む馬の手綱を腕に絡ませると、使者の亡骸を両手で抱え、最後まで彼に忠実で、主を本陣まで運んでくれた馬と一緒に、ゆっくりと歩き出した



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