第一章  4話  桔梗の目的

「実は、ここ、昇仙峡にいると言う、鬼を退治したくて……」


「鬼とは、また物騒な相手だな」


 予想外の答えが返ってきたのだろう。鷹綱も驚きの声を上げる。


「確かに、ここには鬼が住んでいると言われておるが、何故に退治なのじゃ?」


 幻夢斎とて鬼の名があがるとは思っていなかったのでる。少し真顔になり問い返す。

「鬼」人間より遥かに大きな肉体を持ち、その強靭な肉体は刃を退け、人間ひとり分はあろうかと言う金棒を、片手で軽々と振り回す化物である。

 「子鬼」や「餓鬼」を束ねる者でもある。その様な人の世に甚大な災いをもたらす鬼さえも、陰陽師であり、中でも召喚士と呼ばれる人々は、彼らを使役し「使鬼」としてその力を戦などに使うのである。本当に末恐ろしいのは、いつの世も人間の業であるのかもしれない。


「そ・・それは……」


 幻夢斎の迫力に押される形になって、思わず本音を漏らしてしまった桔梗は、少し俯くと、囲炉裏の中の火を見つめる。しばらくの沈黙の後、意を決した様に顔を上げ言葉を続けた。


「恥を晒すようなのだが……。実は半月程前に昇仙峡の近くにある村が鬼に襲われて……。武田家からも討伐隊が編成され、私もその討伐隊に参加したのだが……。」


「討伐は失敗した……と、申すわけだな?」


 自らも武田家の一員であり、甲斐の国にある武田の民が傷つき苦しんだのである、鷹綱は鎮痛な趣でそう桔梗に問い返す。その問いにうなずき桔梗は言葉を続ける。


「私は「女」と言うだけで、ただそれだけの理由で足手まといとされた……。それが、私には許せなかったのだと思う……。結果的に討伐隊と競うようになってしまい……」


 そう語る桔梗の顔は、自責の念にとらわれていた。


「剣には自信があった。だから、性別だけで判断する輩には負けたくなかった!だが、それによって討伐隊全体の連携が取れなくなって……。結果的に鬼には逃げられて……」


 再び俯き、瞳を閉じると声をしぼり出す様に呟く。


「自惚れていたのだと思う……。鬼は逃げ、村は救われたかもしれない……。だが、私は自分の力を過信し、救うべき民の事は忘れていたと思う……。彼らの感謝の言葉が私には……」


「そう自分を責める事もないと思うぞ」


 桔梗の気持ちを少しでも和らげたいと鷹綱が続ける。


「誰でも過ちは犯す。だが、それに気がつき、過ちを認める勇気は素晴らしいと思う。今回の件は過ち……とまでは思わないがな。確かに討伐隊と確執があったのかもしれん。だが、村が救われた事も、人々が喜んだ事も、そして……」



 そこまで言い、無意識のうちに鷹綱の方へと視線を向けていた桔梗に再び言葉を続ける。


「その人々が桔梗殿に感謝した事も……、紛れも無い事実だと言う事だ」


 微笑みながら断言する鷹綱の言葉に、少し微笑みを浮かべた桔梗だった。


(本当に鷹綱殿と話をしていると、調子が狂ってしまう……)


 だが、そんな気分が不快とは思わない桔梗は、さらに言葉を続ける。


「焦ってもいたと思う。私には武勲を立ててでも、お救いしたい人がいて……」


(そうだ!鷹綱殿なら……)


「鷹綱殿なら少しは事情をわかってもらえると思うのだけど、湖衣姫こいひめ様の為にと思って……」


 鷹綱に同意を求める様に、桔梗はそう告げていた。自分の為ではなく、仕えるべき姫の為にと……。


「うむ……。湖衣姫様の為……。か」


 そう桔梗に問われ、少し思案しつつ唸る鷹綱であったが、最後は納得した様に頷く。


「どう言う事じゃ?わしにわかる様に話せ……」


 一人だけ蚊帳かやの外の幻夢斎は、先を促す様に二人に問いただす。


「桔梗殿のお仕えする湖衣姫様は、元は南信濃の諏訪頼重様のご息女であったが、その諏訪殿をお館様が滅ぼし、その南信濃を手に入れられた後にお館様のご側室になられた……のだが……。自らが滅ぼした家の娘を側室等にと、当時、家中で反対意見が多く上がったらしい」


 そこまで一気に話してから、一息入れる様に杯の酒を飲み干すと、さらに続ける。


山本勘助やまもとかんすけ様が「湖衣姫様に御子おこが出来れば、諏訪の家の再興に……」と家中の反対意見を押さえ込んだらしい……。そして、四郎様がお産まれになったのだが……」


「未だに、ご家来の方々には、湖衣姫様の事をよく思っておられない方がいて……」


 同じ武田家に仕える者であるからの意思の疎通であろう、鷹綱の言葉を桔梗が続ける。


「姫は気丈に振る舞っておられるが、時より辛そうに見えて……。当時、私はまだ姫に仕えていなかったから、何とか姫と四郎様の力になれないかと……」


「それで、鬼退治じゃと言うのか?」


「私は剣以外、取り柄がないゆえに……。その鬼退治の武勲があれば、少しは姫様への風当たりも良くなるのではと……。そして何より、自分の未熟さゆえに犯した過ちを許してくれ、私に感謝の言葉を投げかけてくれたあの人々の笑顔が、再び悲しみで曇らぬようにと……出来れば災いの元は絶っておきたい……それには私はあまりにも非力だと、そう思って……」


「それで、わしに師事を受けて、今度こそ鬼退治をしたいと?」


「はい……」


 少し申し訳なさそうに、答える桔梗だが、その眼差しは真剣であった。桔梗の視線を受け流し鷹綱に一瞥いちべつを向ける幻夢斎に、鷹綱は同意の意思を示す様に頷く。


「うむ、事情は理解したが。それでわしに師事を受けて鬼退治までの時間はあるのか?姫の側に仕えておらぬといかんのではないか?」

「そ・・それは……その、今は晴信様が先の戦での傷を癒す為に、湖衣姫様のお側に……ずっとおられて……その……」


 突然、真っ赤になり、しどろもどろに答える桔梗の姿に、微笑み鷹綱が代わりに答える。


「世に「砥石崩れといしくずれ」「砥石落といしおち」と言われる先の合戦。お館様はその戦での傷を癒す為に、今は湖衣姫様の元におわす」


「なろほどのぉ~。しかし、そりゃ、本当に傷の静養かの。元気の様な気がするが」


「ひひひ」と笑いながら、からかう様に言い放つ幻夢斎とは対象に、その戦の事を口にした鷹綱は、どこか儚く弱弱しく見えた。


(どうしたのだろ…。少し鷹綱殿の様子が………)


 鷹綱の様子の変化に気が付いた桔梗が、少しの思案の後に、何かに思い当たった様に視線を上げる。


「鷹綱殿は、あの戦に?」


 咄嗟とっさに考えが口に出てしまったのであろう桔梗の言葉に、杯を口に運んでいた鷹綱の動きが静止する。しばらくそのままの姿勢で微動せず、杯の上で静かに波立つ酒を見つめたまま。


「うむ……」


 そう呟き、やはり微動せずに言葉を続けた。その姿はいつもの覇気に溢れ、若々しい彼とは違い、どこか心の底から言葉を絞り出している様であった。


「砥石落ちと呼ばれるあの戦は、武田家にとって、とりわけお館様にとっても大きな敗戦だった……」


 杯の酒は、周囲の光を反射して煌いきらめていたが、その光を見つめる鷹綱の瞳には、悲しみの光が散りばめられている様だった。


「拙者はあの戦で多くの戦友を失った……。おのれの非力さゆえに、守れたかもしれぬ命をも、守る事も出来ずに……。そして生き恥を晒しておる……」


 そして、杯をあおるとその中身を一気に飲み干す。だが、その杯に隠れた頬の一部が、一瞬だけ煌いた様に桔梗には思えた。


(涙……?)


 その一筋の光が、涙であったのか、勢い良くあおった為に、酒の雫が流れたのか、桔梗には確かめる事も、まして問いただす事など出来なかったのである。酒を飲み干した鷹綱は、いつもの彼らしく笑顔を浮かべる。


「それで、拙者もお館様の「静養期間」を利用して、師の元に来ておるんじゃ」


 と、あえて言葉の一部を強調し、おどける様に幻夢斎に言い放つ。


「どうじゃ~師よ!ここは一つ、もう一人、弟子を取ってはくれまいか?」


 笑顔で酒を勧めつつ、半ば強引に決め付けてしまう。


「まったく、勝手に決めてからに…。まぁ、そんなに時間はあるまいて……。」


 否定的な言葉とは裏腹に、笑顔を浮かべたまま酒を飲み干す。


「一月だけじゃぞ?その間に鬼の居場所もわかろうて……」


 それでも、渋々と言いたげに、ため息混じりに肯定の言葉を口にしたのである。


「は、はい!!お願いします!」


 目じりを人差し指で拭いながら、だが、満面の笑みを浮かべ桔梗は答えたのであった。その笑顔を素直に嬉しく思う鷹綱は、杯を桔梗に渡すと「今宵は飲もう!」と愉快に笑った。その笑顔は先程の笑顔とは違い、心の底から笑っている笑顔だと、何故か桔梗は確信した。そうして、ささやかな酒宴となり、彼らの夜は深けて行った。


 これが、後に「甲斐の蒼き鷹」と呼ばれる事になる若武者である鷹綱と、桔梗の初めての出逢いである。この後、二人に待ち受ける運命をまだこの刻は誰も予想していなかった…。

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