第一章 2話 鎧武者の正体
「そ・・・・・そなた。
いきなり浴びせられた罵声に驚くより、鎧武者が女性であった事が予想外の事であったのか、若者は少し戸惑いながら、つい本音を漏らしてしまった。
それが、さらにその女武者の怒りに火を点けてしまった。だが、時すでに遅しである。
「だから、どうしたのだ?まさか、女子が刀など振り回して!などと、考えておるまいな?」
若者の胸元に、指を突きつけるように差して詰め寄る。
「い、いや……。その様な事は、おもって……」
先ほどの餓鬼との戦いでも、まったく動じる事の無かった若者であったが、その姿が嘘の様に、たじろぎ、しどろもどろに返事を返す。
「まったく!!お主も女子は
うんざりする様な仕草をしながら、その女性は吐き捨てる。
「ははは……」
若者はその勢いに、ついに苦笑するしか出来なくなったいた。
(なんて勝気な女子だ。これでは嫁の行きても……)
「なんて勝気な女子だ。これでは嫁の行きても……などと、考えておるまいな?」
「うっ……」
一言一句違わずに、自らの考えを言葉に出され、またも睨まれる若者であった。困り果てていた若者であったが、次の瞬間、背後に忍び寄る影に気が付く。
「いっ!いかん!」
そう叫ぶと、素早くその影を視界に捕らえるべく、振り返る。しかし、影は若者が振り返るより先に、凄まじい勢いで飛び掛ってきた。
「おなごじゃぁ~~~~~~~~~~~~~~!」
影は満面の笑みを浮かべた、先程の老人であった。そして若者に目もくれず、一直線に女武者に飛び掛った。いや、飛びついて行った。
「ビシィ!」
そう空気を裂く音が響いた。
「バコ!」
と続いて打音が響き。
その直後に激しく水しぶきが上がり、何かが川面に飛び込む音が響いた。その老人が女武者に抱きつく事は出来なかったのである。
若者の横を飛び抜けようとした老人を、若者が目にも留まらぬ速さで、刀を使って払い落としたのである。その一連の流れるような動作に、
そして、恐る恐るといった感じで、自らの直前で川面へと浮かび上がって来た老人を見る。しばらく、川面で漂っていた老人は、息が続かなくなったのか、突然、起き上がる。
「こらぁ!鷹綱!真剣で何をするか!」
若者を勢いよく指すと、大声で怒鳴りあげる。
「ご安心くだされ。みね打ちでごさる」
老人の怒りに対しても、何事も無かった様にその若者…鷹綱と呼ばれた男は、笑顔で老人に言い返す。
「その様な問題では無かろう!哀れな老人をいたぶりよってからに!!」
笑顔の鷹綱に、さらに怒りを込み上げ、怒鳴り続ける老人。
「哀れな老人は、女子を見たからと、飛び掛ったりはいたさんでござろう?」
さらに老人に軽口を返す鷹綱の笑顔は、その年齢に相応しく若々しいものであった。
「老い先短い老人の、楽しみをうばいよってからに……」
少し拗ねたように、愚痴り続ける老人の言葉は、そこにいる第三者によって中断される。
「くすくす……」
言い争いをしている二人は、その忍び笑いの声に、しばし、考え込み無言になる。
(笑い声……?)
そして、その場に第三者がいた事を、やっと思い出すと、その笑い声のする方に、二人同時に首だけを向ける。そこには、女武者が口に手を当て、笑いを堪えている姿が見えた。
「あははっ」
二人の口論と呼べない、喜劇の様なあまりに息の合った言い争いを見ていた女武者は、先程の怒りなど微塵も感じさせずに、ただ、笑いを堪えていたのである。その光景に、呆気に取られる鷹綱と老人であったが、二人の視線に気が付いた女武者が、「はっ」と我に返る。気まずそうに二人から視線を外すと。
「コホン……」
自分が二人の姿を見て、笑っていたのが恥ずかしかったのか、一瞬にして赤面すると、咳払いをしてそれを誤魔化そうとする。
(赤くなった……)
怒ったり、笑ったり、赤面したりと、様々に変化する相手の姿を見た鷹綱は、落ち着きを取り戻すと、改めて女武者に向き直る。
(笑うと可愛いではないか……)
少し苦笑しつつも、相手が怒りを納め、先程までの殺伐とした空気から、暖かくなった空気の変化が心地よい鷹綱であった。
「改めて聞くが、傷の方の具合はどうじゃ?」
「あっ、これくらい……、かすり傷じゃ、大丈夫」
「そうか、まぁ、何にしろ、後で傷の治療はいたすとしようか、軽症と馬鹿にすると後で大変な事になる事もあるしな」
「うん、かたじけない」
(返事は返って来る様になったが、硬いのぉ)
怒りに任せていた時は問題なかったのであろう、怒りが抜かれ、相手は緊張と少しの恥じらいが混じった表情になっている。そう感じた鷹綱は、相手の緊張が取り除ける様に笑顔で続ける。
「それで、こんな秘境に何の用で?」
自らもその秘境にいる事など、考えてもいない口調で聞く。
「
鷹綱自身も修行でこの昇仙峡に来ているのである。当然といえば当然の答えが返って来る。だが、その答えに反応したのは、鷹綱ではなかった。
「ほぅ~幻夢斎……とな?」
今まで鷹綱達の会話に入って来なかった老人が、「ニヤリ」と微笑みながら問い返す。
「お主!知っておるのか?」
老人のその仕草や問いに、女武者は探している人物の手がかりを求めて聞きかえす。
「お前さん、名は?」
笑顔から真顔に戻って、問いただす老人の顔は、先程までの愉快な老人のそれではなく、正面から見据えられると、畏怖すら感じられた。
「き、
その雰囲気に飲み込まれてしまったのか、少し緊張した声で自らの名を名乗る。しばしの沈黙の後、突然、老人が跳躍する。
「ききょ~うちゃぁ~~~~~~~~~~~ん! わしがその幻夢斎じゃぁ~~~~~~~~~~!」
完全に不意をつかれたのであろう、桔梗はその老人……幻夢斎が飛びついてきた事も、理解出来ないでいた。しかし、その行動を予測していた人物が一人いたのである。
またも「ビシィ!」そう空気を裂く音が響いた。しかし、今度は「ザクっ」と何かを斬る音が響いく。そして水しぶきの音が続く。
「ひっ!」
その生生しい音に、桔梗は一歩後退する。
「とにかく、ここは危険だ。餓鬼が仲間を連れて戻って来るかもしれんし、傷の手当てもしないとだ。この先の小屋まで戻ろう」
「今、ザクって?」
またも、恐る恐るといった様子で、鷹綱に確認する桔梗だったが。
「安ずるな、あれくらいで死にはせん」
などと、またも軽口を笑顔で返す鷹綱であった。
「そうだ、名を名乗ってなかったな。拙者の名は松本鷹綱と申す。甲斐武田家に仕えている者でござる。以後、よろしくお願いしたく候」
そう一礼する、鷹綱の武者ぶりは、先程とは違い凛々し姿であった。昇仙峡は夕日に照らされ美しく染められていた。その夕日に照らされていた為か、或いは別の理由があったのか……。
「晴信様の側室であられる
そう答えた桔梗の頬は、赤く染まっていたのであった。
それから二人は並んでその場から去る。ただ、川面には哀愁と血を流す。幻夢斎が漂っていたのである。
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