序章  3話  決着、そして……

「勝負あり!よって御神楽舞佳、水瀬葵の両名を武田家の記録官に任命する!」


 満身創痍で佇み、勝利を噛み締めている舞佳と葵は、勝負の一部始終を見守っていた立会人である侍の元へと、笑顔を浮かべ、ゆっくりと近づいて行く。そんな彼女達に彼は片手を挙げて挨拶をすると、頷きながら言葉を発した。


「なかなか見事な試合であった。本日は街に用意した、療養所で傷を癒してくだされ」


 立会人でもある侍は、二人の美しい勝者に微笑み、軽く一礼しながら声をかける。


「はい」


 舞佳と葵の二人も誰もが息を飲み、魅入ってしまう様な、清々しい笑顔を浮かべ、その侍に深々と頭を下げながら返事を返す。


(まったく、勝負に勝てて嬉しいのはわかるが、この笑顔が一番の曲者だな……。しかも、まったくと言って良いほど、本人達に自覚が無いのが、一番末恐ろしい……)


 舞佳と葵の二人が頭を下げ、二人の視界から一瞬外れたその瞬間。二人の前に立つ侍は苦笑を漏らす。

 侍の名は松本鷹綱まつもとたかつなと言う。

 若々しい舞佳や葵に比べると、若干、年配の様に見える鷹綱は「」一色で染めてある具足や羽織で、全身を覆っている。先ごろ、甲斐武田家の若家老の末席に加えられ、その蒼い具足の武者は「甲斐の蒼き鷹」と味方からが親しみ込めて呼ばれている。舞佳と葵の両名が笑顔を崩さず、その場を去っていく姿を眺め。


(舞佳は春風、葵は向日葵の様な笑顔だな……)


 などどと、不埒ふらちな事を考えていたのが災いしたのか、彼の背後から忍び寄る影にまったく気がつかずにいた。


「お主の言うとおり、なかなかに見事な試合であったな」


「こ、これは…。」


 鷹綱は声をかけて来た相手を振り返る。そして、その人物を確認した瞬間に、驚きと少し緊張した赴きで、頭を下げ方膝をつこうとする鷹綱を影は制止する。


「あ~よいよい!そのままで」


 片手を上げ鷹綱のその動作を静止する。その人物は、笑顔のまま話し続けた。


「見応えのある試合であったな、鷹綱。」


「はっ!お館様……」


 家老身分の鷹綱が恐縮するその人物とはまさに、甲斐守護、甲斐武田氏の第十八代当主であり、風林火山の軍旗を背負い、戦国最強の名高い武田騎馬軍団を率いる「甲斐の虎」の異名を持つ武田信玄その人であった。


(お館様もお人が悪い……が、某もまだまだ修行が足りないと申す事か……)


 内心で苦笑しつつも、己が命を捧げる唯一無二の忠誠の対象である、信玄の正面に向き直る鷹綱であった。笑顔でお互いの健闘を称え合いながら歩く二人の姿を見つめながら、信玄は自らの顎に手をあて、頷くと囁いた。


「しかし、何と申すか……あの二人……」


「姫武者にするには勿体のうございますな……」


 信玄の言葉が終わらぬうちに、鷹綱が信玄の言葉を続ける。少し呆気に取られている信玄に対し、さらに鷹綱は続けた。


「特にあの巫女は……などど、お考えでは?」


 今や、その姿が試合場の出口へと近づく笑顔の二人の姿を見ながら、こちらの二人の間にはしばしの沈黙が流れる。


「………だめか?」


「だめにござりまする!」


 少し拗ねた様な言い分で聞き返す信玄に対し、鷹綱ははっきりと言った。信玄は武田家当主である。国を豊かにすることや、戦に勝つことも大事であるが、その子孫繁栄も大事な責務である。その為に側室等も多く養っているのだが……。

 その事を一瞬にして理解した鷹綱が先に信玄に釘を刺したのである。


(あの二人はそれぞれに魅力的であるからな、お館様の気持ちも分からなくもないのだが、あの二人の力は乱世に必要だ……必ずな……それに、あの二人が大人しく側室の立場に収まるとは思えぬしな……)


 その姿を少し思い描き苦笑しつつ、信玄の顔を見る鷹綱。信玄もその気持ちを汲み取ったのであろう、お互いに苦笑をもらした後に、声をあげて笑ったのであった。自分の部下の軽口も平気で受け入れる、信玄の度量の大きさと人柄、部下を想う心。


(さすが、お館様だ。この信頼こそ武田家の強みだな……敵わぬ)


 ひときしり笑いあった後、鷹綱は姿勢を正すと一礼する。


「では、拙者は負けた者に、説教でも……」


 笑顔を浮かべ鷹綱は、踵を返し信玄の元を去る。


「うむ」


 ただそう答え、信玄もその場を鷹綱に任せ、自らも屋敷へと戻っていった。そう、まだ試合会場となった場所には、先の試合で負けた侍と鍛冶屋の二人の姿があったのだ。お互いにその場にうな垂れたままでいる。その二人の様子に、またも苦笑しつつ近づき鷹綱が声をかける。


「響団十郎に響源内!」


 その声にやっと、頭を上げ声のする方を見上げる二人。


「鷹、兄ぃ…」


 鍛冶屋の男、響源内が少しバツの悪そうな顔をしながら、返事をする。どうやら、試合に負けた事を恥じているらしい。


(まったく、仕様がない奴だな……。まぁ、相手は強いとは言え、女子おなごに負けたのだからな……と。この乱世にあって、女子等と思う時点で負けであるのだが……若い二人にはまだ無理か)


 そう思った鷹綱は、二人に活を入れる事にする。


「なんじゃ!なんじゃ!そのしけた面は!」


 鷹綱は、わざと満面の笑顔をうかべ、二人に明るく声をかける。


「いやぁ~~。まったく面目ござらん……」


 二人の内の侍、響団十郎が律儀に頭を下げる。


(こやつも真面目と申すか、なんというか……)


「団十郎はかなりきわどい勝負であったぞ?あれはどちらが勝ったとしても、おかしくない勝負だった。まぁ、少し運が悪かった……と言う所であろう?」


「その様に言ってもらえれば、ありがたいです」


 少しほっとした様な、それでいて晴れやかに団十郎は笑顔で答えた。


「だがぁ~。問題は……」


 先ほどまでの笑顔はどこへ行ったのかと思う程の顔つきで、鷹綱は団十郎の側でうな垂れる源内の方を呆れ顔で睨んだ。


「源内~。お主!それでも強靭な鋼の肉体を持つ鍛冶屋か?」


「うっ……」


「お主、途中で相手が女子だと、そして勝利を確信して油断したであろう?」


「い・・いやぁ~そのぉ~なんと言うか……」


 恐らく図星を指されたのであろう、源内はしどろもどろに返事をする。


「良いか?相手は舞佳殿だ、美しい姿に見惚れた………と言うならまだしも、勝敗が決する前から、油断してよい相手か?」


「いや、鷹綱殿、その理由もどうかと……」


 少し苦笑しつつ団十郎が鷹綱を諫める。


「まったく、鷹兄ぃ~はそんな言葉を平気でいいよるかなぁ~」


 団十郎に深く同意しつつ、源内がうなずく。その瞬間、その場で「パキッ」っと、焚き火の中で火が弾けた様な音がした……。空耳であって欲しいと響兄弟には思えた。が……。


「なんだと?」


 満面の笑顔で響兄弟を見返す鷹綱だったが、その目は決して笑っていない。


「やべぇ!」


 まずい!と源内が思った所で後の祭りであった。


「本当ならば、傷が癒えるまでの2~3日に待ってやるつもりであったが、その様に憎まれ口が利けるのであるなら、何も心配はいらぬな。二人とも明日から稽古をつけてやる!覚悟しておけよ?容赦せぬぞ」


「いや、ちょっ!」


「い・い・な?」


 またも笑顔の圧力をかけてくる鷹綱。


(いや、怖いから、本当に……)


 などと、思っても決して口に出せない源内であり、彼が口にした言葉は。


「わ・・わかったよ……。」

 の一言であった。


(ああ~こりゃ、明日から地獄だ……)


 試合で負けた上に、明日からのしごき……、いや稽古に思いを馳せ、ひたすら落ち込む源内と団十郎をそのままに、鷹綱は、片手を挙げ別れの挨拶し、二人に背を向け歩きだす。


「では、また会おう!」


(まぁ、あの様に話が出来ると言う事は、試合に負けた事は良い経験になってくれた様だな。それだけでもよしとするか……)


 二人に背を向けた鷹綱の顔には、先ほどまでの怒りなど微塵も感じさせない笑顔が浮かんでいた。しかし、響兄弟からその表情は決して見えない。しばらく、その後ろ姿を呆然と眺めていた源内が、ため息混じりに呟く。


「鷹兄ぃの稽古は容赦ないからなぁ……」


「まぁ、仕方あるまい。これも我らを思っての事だ、忙しい身でも昔と変わらず気さくに声をかけてくれ、気にかけてくれているからな。鷹綱殿は……。」


 笑顔に戻って団十郎は源内に答える。末席とはいえ、鷹綱も武田家家老の身分である。その責務は多く、重い。


「まぁ、確かに戦の時は色々と教えてくれるしなぁ~」


 そう呟き、源内はしばし考えにふける。戦場での心得を親身に教えてくれたのも、他ならぬ鷹綱であった。特に叩き込まれた一言は「とにかく生きて返ってこい」であった。この他にも色々と教わったが、その言葉だけは必ず言われる程である。


(合戦に赴く者にかける言葉では無い様な気がするんだけどなぁ……)


「どうした?源内?」


 突然、考えにふける弟を不振に思ったのか、団十郎が声をかける。それでも、しばらくの間「う~ん」等と唸っていた源内であったが、ふと別の疑問が沸いた。それ以外でも気にかかっている事があったのだ。その疑問を、自分より遥かに鷹綱と付き合いの長い兄に、思い切ってぶつけてみる。


「前から気になっていたんだけど、なんで、鷹兄は戦場でも、普段のいでたちも蒼いんだ?そりゃ~鷹兄が勝手に「甲斐の蒼き鷹」って名乗っているは知ってるけど……」


 以前から思っていた何気ない疑問を源内は口に出してみた。


「お前、それ鷹綱殿の前で言うと、命がないぞ?」


 少し冷ややかな目を向けつつ、口元を緩ませながら団十郎は源内に忠告する。

 

「げぇ?本当かよ……」


 自分が何気に言ったことが、そんなに大きな問題なのかと、顔を青くする源内。


「はははっは、冗談だよ!そんな事を言っても鷹綱殿は怒りはしないさ!いや、むしろ「誰も申さぬからな、自分で名乗った者勝ちよ!」と大笑いするだろうよ」


 源内の姿を見て、大声で笑い出す団十郎であったが、ひとしきり笑うと。真顔に戻って源内を見据える。


「そうか、源内は知ぬのか……」


 そう言って、少し遠くへと離れて行った鷹綱の背中に視線を向ける。その陣羽織の背中の中心には、松本家の家紋が美しく刺繍されている。


「団兄は知ってんのか?」


 兄の視線に釣られるように、源内も鷹綱を視線に捕らえる。


「何故、武田騎馬軍団の中でも勇猛果敢で名を馳せている。武田赤揃えがありながら、鷹綱殿はその「朱」では無く、「蒼」でいるかを……。そして「甲斐の蒼き鷹」と呼ばれるのかを……。その名の由来を……」


 そう言葉にした団十郎は、少し悲しげに目を伏せた様に、源内には思えた。


「いい機会だ、お前にも話してやるか」


 そんな二人の会話が届くはずもない鷹綱は、明日、二人をどの様に稽古してやるかなど考えながら屋敷へと向かって歩いていた。そして、試合会場の片隅に小さく、ひっそりとその存在を明かしているある物に気が付いた。その存在、それは小さな花であった……。懐かしむ様に目を細め。その一輪の花を見つめる鷹綱。


(桔梗……)


「そう、あれは…まだお館様が信玄公を名乗る前、武田晴信様と呼ばれ。北信濃統一を目指しておられた頃の話だ……」


 そうして、静かに団十郎は語りだしたのである。その視線の先で鷹綱も、想いを過去へ巡らせていた。

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