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 梅雨明けを待てないせっかちなアブラゼミの鳴き声を背に、アカネは1人、喫茶girasolヒラソールの前に佇んでいた。


 彼女がここに来るのはミドリが引っ越す前日、学校帰りに2人で立ち寄って以来だ。


 雲の隙間からときおりひょっこり顔を出すサンサンとした太陽はまだ空の高みにいる。アカネはアンティーク風な椅子に立て掛けられた店名の書かれたサインボードを横目に、この前よりも重たく感じる入り口の扉を軋ませながら、くすんだ黄色い瓦屋根の店内へ足を踏み込んだ。


「…?ようこそ喫茶girasolへ」


 扉に取り付けられたベルの音を聞きつけ、ワイン色のソムリエエプロンを身にまとった美しい青年が、こんな時間のお客さんは珍しいとばかりに目をぱちくりさせアカネを出迎えた。しかし、驚いた様子もつかの間、すぐに人好きのする笑顔をアカネに向ける。


「お好きな席へどうぞ」


 店内にはアカネ以外の客は居なかった。喫茶girasolは女子高生に人気の寄り道スポットだ。普通の女子高生であれば今ごろ真面目に午後の授業を受けている時間なので客が居ないのも当然だった。


 アカネは選び放題の席から前回ミドリと来たときと同じ席に迷いなく腰掛けた。メニューに手を伸ばし、すぐさま青年に合図する。


「季節のタルトのドリンクセットで」


 青年はにこりと頷いた。


「セットのお飲み物は何になさいますか」


「あー…」


 アカネはいつもミドリと同じものを頼むようにしていたので注文の細かい内容は覚えていなかった。アカネが困ったように青年を見上げると、青年は一瞬不思議そうな顔をしたがすぐに意図を察して口元をほころばせた。


「前回はセイロン・キャンディを頼まれました」


「じゃあ、それで」


 一礼して去る青年の後ろ姿を見送りながら、青年が自分たちの前回の注文を覚えていたことにアカネは大変満足していた。そのまま機嫌良く、鞄からスマホを取り出す。しかし、昨夜ミドリに送ったメッセージへの既読がまだ付いていないことに気がつくと、さっきまでのご機嫌はどこへやら、大きなため息を落とした。


 ミドリとは彼女が引っ越してからも毎日連絡を取り合っている。ミドリは早くも新しい学校で友達が出来たようだった。ミドリは明るくて可愛くて優しいから当然だ、とアカネは親友が新天地でも周りから愛されているのを嬉しく思っていた。しかし、そう思うと同時に、苛立ちも感じていた。


 アカネはミドリが転校してから学校でいつも1人だった。ミドリと一緒だったときは普通に話せていたクラスメイトと、アカネ1人では上手く話せなかった。始めは親友の居なくなったアカネに、気を遣って話しかけてくれる子も居たのだが、アカネから話しかけることはなかったので、そのうち誰もアカネを気にかけなくなった。

 こうして無事にアカネはクラスで孤立した。そして今日、ついに体調不良と偽って学校を早退し、この誰も居ない喫茶girasolへとやって来たのである。


 アカネが未だ既読の付かないスマホを握りしめ、深いため息をついたとき、ワイン色のソムリエエプロンがトレイを片手にアカネの席へやって来た。軽く背筋を伸ばしたアカネの前に注文の品を並べていく。


「どうぞごゆっくり」


 青年は心ここにあらずの様子のアカネに小さく声を掛け奥へと消えていった。アカネはしばらく動かなかった。目は開いていたが何も捉えてはいなかった。そのため、スマホを持つ手を緩め、ようやくタルトに手をつけようと気を取り直したとき、彼女は初めて気がついた。


(「何よこれ」)


 彼女の目の前にある季節のタルトはブルーベリーのタルトだった。


(「この前と違うじゃない」)


 目の前の空席、季節の変わったタルト、何もかもがアカネは気に入らなかった。彼女は眉間に皺を寄せ、大きなため息をつくと渋々フォークを手に取りタルトを一口一口食べ始めた。


 ◇◇◇


「思ったよりも早かったな」


 ワイン色のソムリエエプロンを身にまとい、どこか憂いを帯びた青年は、オレンジ色のブランケットを片手に、たった1人の客席へと近づいた。


 そこではアカネがテーブルに顔を伏せ、背中を上下させながらすうすうと寝息をたてていた。タルトは食べかけである。


 青年は彼女に優しくブランケットをかけると、近くの壁にもたれて腕を組み、店内に飾られた置時計に視線を送った。時刻は眠気を誘う昼下がり。


 店の入り口のアンティーク風の椅子には、「喫茶girasol」の名を刻まれたサインボードはなく、代わりに「Closed」と書かれたプレートが置かれていた。

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