1-2
1つしかないメニュー表を楽しそうにめくるミドリをよそに、アカネは店の中をきょろきょろと見回していた。
喫茶
そこからはまさにとんとん拍子で、洋館に絡み付いたツタが取り払われ、外壁が綺麗に塗り直され、今、アカネとミドリが腰かけているアンティーク調の椅子やテーブルが運び込まれ、気がついたら喫茶girasolのオープン日であった。
開店間もないこの店が女子高生の間で瞬く間に人気になったのは、この店のメニューに女子高生好みの甘くて美味しいスイーツがあるから―ではない。みんなのお目当ては、甘いマスクにどこか儚さもある美青年店長である。
ほどほどに混んでいる店内を1人で切り盛りしているその青年を、何とはなしに見ていたアカネは、視線を感じたように振り向いたその青年と目が合ってしまい、とっさに顔を反らしてうつむいた。
(「これは確かに人気が出るわけだ…」)
小さくため息を漏らすアカネの目の端に、ワイン色のソムリエエプロンが飛び込んできた。
「ご注文はお決まりですか?」
甘いマスクに人好きのする笑顔を向けられて、アカネは顔がぽっと熱くなるのを感じた。正面にいるミドリも口を半開きにして
「季節のタルトのドリンクセットで」
「かしこまりました。セットのお飲み物は何になさいますか?」
ミドリは少しの間メニュー表とにらめっこして青年を見上げた。
「おすすめは何ですか?」
青年はにっこりと微笑みメニュー表に手を添えた。
「こちらのセイロン・キャンディはいかがですか?渋みが少なくさっぱりしていて季節のタルトとも合いますよ」
「じゃあそれでお願いします」
ミドリの言葉に頷いたあと、青年は促すようにアカネを優しい眼差しで見つめた。アカネはメニュー表に目をくれることもなく言った。
「彼女と同じものでお願いします」
その返答が予想外だったのか、青年はほんの少し目を見開いたが、すぐさま微笑みを取り戻し、注文を繰り返すと店の奥へと戻っていった。
ミドリが頬杖をつき上目遣いでアカネに視線を寄越す。一瞬何か言い淀み、軽く目を反らしたが、結局すぐに口を開いた。
「アカネさぁ、もう私の真似をするのは止めなよ」
アカネはミドリの口から発された思わぬ言葉に戸惑った。
「えっ、なんで?もしかして…ずっと迷惑だったとか…?」
アカネとミドリの出会いは幼稚園の時にまでさかのぼる。内気なアカネと社交的なミドリはタイプは全く違うが、家が隣同士だったことで意外にも仲が良くなり親友となった。アカネはいつの時代もミドリのくっつき虫で、持ち物も、髪型も、そして高校もミドリに合わせてここまでやって来た。奇跡的にクラスも同じでアカネは運命さえ感じていた。ミドリが好きなものはアカネも好きだったし、好きになるので、アカネからすれば何も問題なかったのである。
ミドリは眉間に皺を少し寄せ、困ったような悲しいような表情を浮かべて小さく息を吐いた。
「迷惑じゃなかったよ…迷惑じゃ。だけど、アカネと私は全然タイプが違うでしょ。無理して私に合わせなくてもアカネにはアカネの良さがあるんだから…」
ミドリが言い終わらないうちにアカネは言葉を遮った。
「無理して合わせてた訳じゃないよ。私がそうしたいからそうしてただけ。ミドリの選択に不満を感じたことはないよ」
いつも穏やかなアカネの、珍しく苛立ちを含んだ物言いにミドリは悲しそうに「そう」と呟いたきり黙りこくった。アカネは所在なさげにテーブルの下で両手を絡み合わせる。
(「今日で最後なのに…」)
アカネは2人の間に流れる沈黙に居心地の悪さを感じていた。今日は、今日だけは、ずっと笑顔で過ごしたかったのにどうしてミドリは急にあんなことを言いだしたのだろう、とアカネはまた苛立ってきた。
ミドリは明日、飛行機の距離に引っ越してしまう。今日がミドリとゆっくり出来る最後の日だったのだ。
その時、2人の頭上から穏やかな声が降ってきた。
「お待たせしました。季節のタルトドリンクセットです」
青年が2人分のタルトと紅茶のセットを器用に運んできた。骨ばった大きな手が、美しい所作でそれらをテーブルに置いていく。季節のタルトのフルーツはビワだった。
「どうぞごゆっくり」
青年が一礼して去っていく。ミドリが早くもタルトを一口頬張っていた。
「…!美味しいっ!」
ミドリは鼻息も荒くタルトのおいしさに瞳を輝かせアカネを見た。ついさっきまで2人の間に気まずい空気が流れていたことなど忘れたような態度だ。アカネはミドリの興奮した顔が面白かったのと、さっきの会話が無かったことになった安心とで、つい吹き出してしまった。
アカネもすぐさまタルトを頬張る。ビワのタルトは控えめな甘味と爽やかな酸味がクリームと絶妙にマッチして、ミドリの言うとおりやっぱり美味しかった。
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