第29話「始まった夏駆け出しの合宿BBQ」 4


「いくぞー」


 無機質な顧問の声で俺たち文芸部の夏合宿が始まった。


 土日の一泊二日、そして来週には中間試験を控えるという――かなりきつめな日程だ。合宿自体のこともあるが、なにより追加合格の俺がこんな風に遊んでいても大丈夫なのかという懸念も大きい。


 趣味の小説は好き放題書けるとして、学生の本文である勉強をしないというのはいささか不安が残る。


吉原よしはら先輩っ」


 先輩とは先ほどのあれで少し居心地が悪かった。


 しかし、どうしても相談したいことがあった俺はちょうど隣のシートに座っていた吉原華乃よしはらかの先輩に呟いた。


「——ん、どったんよ、新人君?」


 アホ毛をぴょこんと跳ねさせて、小さい座高を生かし上目遣いで俺を覗く。まるで幼子の様な彼女の動きに、ロリコン趣味も多少ある俺は少しだけ胸がドキッとした。


「え、いや……その、皆さん試験とか大丈夫なのかな~~と」


「試験……そっか、来週には試験だったね」


「——知らなかったんですか?」


「まぁ、知らなかったかもっ、えへへ~~」


 ニヤける吉原先輩、それを見て驚いた俺は少しだけ安堵した。先輩方の中にもこんな感じであまり心配していない人もいる。その事実だけで安心できた。


「ほんと合宿なんか行って、俺は大丈夫なのかなと思いまして……」


「別に大丈夫だよ」


 しかし、純粋な俺の心配などお構いなしに彼女は言った。


「だって、この高校は入れたんだろ? それならうちの試験なんて余裕で超えられるだろ」


「っ……俺、追加合格ですよ?」


「……うわぁ」


 すると、彼女は口を半開きにして身体を退いた。

 ほら、やっぱり——俺がそう思ったのも束の間。


「やっぱr——」


「いるよね~~こうやって卑屈なこと言う人。私そういうの嫌いだよ? 追加合格って言ってもこの高校に入れたんだから、そのことに自信もって頑張るのが筋だと思うなぁ……いちいちそんなこと気にしてたら何もできないと思うけど?」


「でも、やっぱりちゃんとしないと——」


「だったら、合宿中もやればいいんだよ。別に禁止されてるわけでもないし、やったればいいんや!」


 がっしりと拳を掲げる。

 そんな吉原先輩を逞しいとは思いつつ、自分はやっぱりと思ってしまう。


 ちょうど、前の席に座る高倉椎奈、先輩は学年一位ということは知っている。それも入学時からキープしているらしい。その先輩から聞いた話によると吉原先輩もトップ20入るらしい。況して、受験生である結城先輩は旧帝国大学を狙ているエリート高校生の一人だ。俺からしたらみんなまぶしく見えてしまう。


「そ、そうですかねぇ……」


「も~~、そうやって! あれでしょ、君は男の子でしょ~~もっとシャキッとしなさいよ!」


「いてっ——」


「ほら、もっかい背中叩いてあげるから元気出す‼‼」


「……っ、え、いやまt——」


 パンッ――――‼‼

 平手打ち、音が聞こえたころには俺はすでに背中を抑えながら前のめりに蹲っていた。


「ほらっ、どう!?」


「なんかすっごい音したんだけど……?」


「あ、結城君! 聞いてよ!」


「な、なに……」


 蹲っているため表情は伺えなかったが声色からして引き気味だった。

 ――にしても、背中痛いぞ。まじで痛い……可愛い顔しといてこの人、とんだ馬鹿力なんじゃないか? まじ。


「この子、勉強がどうこうって卑屈なこと言ってるから気合入れさせてやったんだよ~~」


 さすが、先輩でも敬語を使わない姿勢。

 根が強いとはこういうことなのかもしれない。たいして大きくもない胸を張りながら偉そうにそう言うと結城先輩は溜息をつく。


「はぁ……またか、華乃は……」


「またかって、なによ……?」


「華乃の感情論は好きだが、人に強要するのは良くないとは思うぞ?」


「っぐ、強要じゃないし。なんか、見ててムカついてきたから――」


「そこだよ」


「っんぐ……だってぇ」


「だからって殴っちゃダメだろ? 基本、華乃は可愛いから許されるかもしれないけど、後輩にそういうことしたら嫌われるんだぞ」


「——え、ほ、ほんとっ⁉」


 その言葉に瞠目し、彼女は振り向いた。

 俺の目を見つめるが——別に嫌っているわけではない。と、眼力で訴えられていた。


「だ、大丈夫ですよ……嫌いじゃない、ですよ」


「ほんとっ! よ、よかったぁ……」


 安堵して息を漏らす。

 本気で安心している様を見て、なんだか俺も安心した。


「でも、やめなよ?」


「う、うん……」


 しかし、まるで飼いなされている犬みたいだ。小さい身体も相まって逆にそれ以外には見えない程に。先輩が先輩に飼いならされる――案外、良いシチュエーションなのかもしれない。メモしておこう。


「——」


 スマホを取り出すと、前の方から視線を感じた。

 俺がチラッとその方向を見ると、ちょうど視線を逸らした先輩がいる。


「……」


 切なそうな横顔が一瞬だけ映って、微かに胸の奥にモヤモヤが残る。

 熱く、そして儚い春の桜の様な不安定な感覚が俺の心を撫でていた。

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