(4)

 ケータイが鳴った。


 最近はもう、鳴るたびに、どきっとしては落胆を繰り返す日々。気が休まることがない。もう疲れた。・・・やはりミカじゃなかった。はああ。俺もうダメみたいです。


 あれ? でもっ! 花染さんだ! もしかして!


「花染さんっ! ありがとうございますっ。ミカさんに取りなしてもらえたんですか? 仲直りできるんですよね?」

「え? そんなこと頼まれてたっけ?」

「・・・はい?」

「あ~思い出してきた。確かにそんな話もあったっけ。でもさ。もうだめぽだから諦めなよ、って話になってなかったっけ?」

「なってませんよ! 花染さん、必ず何とかしてくれるって言ったじゃないですかっ」

「普通に言ってねえよそんなこと。・・・でも今日はそれどころじゃないの! そんなどっちでもいい話じゃなくてっ。ねえ山本くんっ。お願いっ。相談できるのはあんただけなのっ」

「えー」


 がっくり。体育会系って、友情にあついはずでは? この人を頼りにしたのがそもそもの間違い・・・。


「また何か面倒な話ですか? 俺、悪いけどもうよれよれで、人の相談に乗ってる余裕とかないんすけど」

「それ分かる。その情けない声で。だけどそんなこと言ってられないのっ。月島くんのことなのっ」

「切りますね」

「ちょ! 待ってっ。クレープ3個でどお? モンブランも付けちゃう」

「・・・謹んでお話承りましょう」


     *


 夏休みのお昼過ぎに、〈クレープ田んぼ〉で美少女と待ち合わせ。文章だと、むちゃくちゃキラキラに聞こえる。文章だと。・・・はああああ~。


「また外ですか? 俺、なかがいいんですけど。暑いし」

「まあまあ。ここでモンブランをぺろぺろするのがいいんじゃん。山本くんの分もあるよ! なかなか来ないから半分溶けちゃったけど」

「ほぼ溶けてるじゃないですか」

「クレープ頼んでくれば? 3個は多いんじゃない? お持ち帰りにすれば? 保冷剤くれるよ」


 なんかこの感じじゃ、また長話になりそう。もうとっとと帰りたい。ガラスを透かして見える店内では、らぶらぶカップルが楽しそうに談笑している。いいなあ。それに引き換え、俺は・・・。うう。


「ううっ」

「花染さん? 泣いてるのは俺なんで。真似しないでください」

「違うのっ。今泣くべきなのはあたし。あんたの悩みなんて、もう賞味期限切れてるから」

「ひどっ。・・・でも花染さんは、順調なはずでしょ? 言ってたじゃないですか。月島と良い感じだって。俺の負のオーラがどうのこうのとかっ」

「なんか根に持ってない? 山本くん」

「いやさっぱりした性格なんで。一生忘れないですね」

「でもあたし今、すごく反省してるんだ。山本くんの忠告、ちゃんと聞くべきだったって。・・・月島くん、ほんとは・・・あたしに嘘ついてるのかも」


 花染さんの目が赤い。しかもうるうるしている。悩める乙女ってかわいいっ。


「おお。目が覚めましたか! もちろんですよ。大噓つきです。嘘しか言わない男です。詐欺師です。ペテン師です。やっと分かって良かったです!」

「・・・そこまでひどくは――」

「そのとおり。人間のクズですね。で、いつそれが分かりましたか?」

「あのね。あたし思ってたんだ。毎日ラインして、楽しくって、それで、月島くんの心の傷も、ちょっとずつ癒してあげられてるって。一歩一歩、今カノのポジションに近づいてるな、っていう――そんな実感あったんだけど。でも錯覚だった」

「そのとおり。全部錯覚です。もうあんなゴミ野郎のことなんか忘れて――」

「だって――もうそろそろ、月島くんの新しい恋の季節が始まるんだ、そしてお相手はこのあたし! って思ったから。で、ちょうど八月じゃん? だから、うふっ、月島くんと、花火大会デビューしますっ! 思い切って誘ってみたの」

「へー」

「またそれかよ! 別のリアクション考えとけよ! ・・・でもね。彼、うんって言ってくれなかった。うああああ」


 花火大会。そう言えばそうだった。もうすっかり忘れていた。俺だって、ミカと絶対一緒に行きたい! とか思ってたんだっけ。・・・ううっ。


 日本全国どこでもそうだろうが、この街でもむろん、夏の花火は盛大なる一大イベント。特に若い男女にとっては。言うまでもないですね。アニメテンプレ上の地位も確立してるし。・・・ううっうっうっ。


「月島、単純に、花火嫌いなんじゃないですかね? ああいうどす黒い闇を抱えたやつって、美しい花火とか見ると、苦しんだりするんですよきっと」

「なわけねえだろ吸血鬼かよ! ・・・でね。彼、心の傷がまだ癒えてなくて、とか言うんだけど。でも、断り方がぎこちないの。それでぴんときた。女の直感。あたし勘、鋭い方だから」

「ぴんとくるの、遅すぎじゃないですかね」

「絶対、誰かいるんだ。一緒に花火大会行く人が」

「でしょうね。まあゴミ野郎をゴミ車に出す、ちょうど良い機会じゃないですか」

「確かめて」

「・・・は?」

「あたしの勘。確かめて、教えてほしいの。ほんとに花火行くのか? 相手は誰なのか?」


 猛暑の中で、俺の背中が、モンブラン並みにうすら寒くなった。いよいよヤンデレ開幕なのか?


「・・・花染さん。それかなりヤバいですよ。その発想。月島のプライバシー尊重する、って言ったじゃないですか」

「言った。だけどこれは別。だってあたしに嘘ついたんだもん。あたし、真実を知る権利がある」

「本人を問い詰めればいいじゃないですか」

「・・・できない。むり」

「でも何で俺が? 自分で調べたらいいじゃないですか、そんなの。あれあるんでしょ? お守り。当日、やつを追跡して自分の目で確かめればいいでしょ。こういうときのためにあるようなもんでしょ、あれって」


 花染さんは泣き腫らした目をきっと上げて、


「あたしもそう思った。だけど、やっぱあたしじゃ無理。だって想像してみて。あの花火大会の人混みの中で、大きな橋の上で、月島くんを見つけた瞬間。誰か、あたしじゃない人とらぶらぶで。ぴったりくっついたりとか。笑いあったりとか。・・・もうだめ。あたしどうなるか分かんない。たぶんそのまま欄干から踏み出しちゃう」

「その前に月島を突き落としてもらえれば、言うことないんですが」

「だからお願い。あたしの命を助けると思って。・・・難しい話じゃないよ。つまり素行調査だから。探偵業務。男の子ってそういうのに憧れるじゃん? はいこれアプリの名前。これがアカ名とパスワ。ログインしたら、すぐマップに丸出てくるから」

「まだ、引き受けるとは――」

「やってくれたら、あたし、全力で、ミカとの仲直りサポします」

「今ログインしてみていいですか?」


     *


 正直めんどくさい。やりたくない。だけど、現状、これが唯一ミカへとつながる道。やるしかない。


 花火大会に一人で行く。恥ずいけど、でも、もういいですよもう。どうせ負け組だし。それに月島の相手は、たぶん逢魔先輩とかそんなところだろ。先輩とは例のプール以来会ってないし、もし顔を合わせたら気まずいけど、まああの雑踏の中だから、俺が気づかれないように注意すればいいや。


 むしろ問題はその後だな。素行調査の結果を、どう花染さんに伝えるか? なるたけショックを与えないように、やんわりとお知らせせねば。でも花染さん、最初は、今カノがいても構わないとか言ってなかったっけ? 花火大会で自分が選ばれなかったのがこたえたのかな。それとも月島が嘘つきって分かったのが? まあ女心はよく分かんないですね。論理的でないことは確かだけど。


 とか、あれこれ思いを巡らせていたら、・・・白鳥先生から呼び出しが掛かった。進路についてだと。夏休みなのに。模試が悪かったせいかな? たぶんね。この心理状態でテストが良かったら、俺は神だ。


     *


 休み中の校舎はさすがにがらんとしている。先生は面談室で待っていた。表情が険しい。そんなに点数が悪かったんですかね?


「申し訳ありません。ちょっと暑さのせいで、テスト勉強がはかどらなくて――」

「その話じゃない。アンバサダーの件だ」

「は?」

「勝手にこんなことをしてもらっては困る。アンバサダーを交代したければ、所定の手続きが必要だ。『手引き』を読まなかったのか? 辞職願、もしくはクライアント変更申請書。それと新規後任オフィシャルアンバサダー推薦書。候補者の履歴書も付けること」

「・・・話がよく分かりませんが・・・」

「とぼけるな。これを見ろ。うちの情報政策グループ・電子コミュニケーション課・電子郵便掛が傍受したメールだ」


 先生は、机に置かれた一枚の紙を、どんと叩いた。


「上遠野ミカ様


 突然のメールお許しください。僕は北高1年の月島竜也といいます。山本くんの親友です。覚えていらっしゃるでしょうか? 先日プールでお会いしましたね。


 実は、山本くんに、どうしてもと頼まれてメールしています。先日のこと、彼は心から後悔しています。ミカさんに謝りたいけど連絡が取れない。それで、僕に、ミカさんに会って取りなしてもらえないかと、そう言うのです。

 

 僕は、そういうことはやっぱり当事者同士がきちんと話し合うべきだと、そう思うのですが、彼は、僕みたいな絶対信頼できる第三者が間に入って、ミカさんと冷静かつ親密に相談してくれる方が、将来的にも良いと、そう言うのです。


 そこで大変厚かましいお願いなのですが、ちょうど良い機会なので、今度の花火大会の夜にお会いして、彼の真意やこれからのことなど、いろいろお話できませんでしょうか? 僕なんかでは全然役不足なのは承知の上ですが、彼の顔に免じて、ぜひともお願いいたします。


 もちろんミカさんの方から、彼への不満とか、正直な気持ちとか、何でも打ち明けてもらって構いません。だって僕は彼の大親友ですから。彼のことなら何でも知っています。きっとお役に立てると思います! お望みとあれば、この街もいろいろご案内できますよ!


 色よいご返事、心よりお待ちしています! 彼のためにも。では失礼します!」


     *


「づ。ぎ。ぢ。ばあああああああああああっ!!」

「おいおい。いきなり大声を出すなよ。びっくりするじゃないか」

「もちろんミカさん断ったんですよね? 死ねって返信したんでしょ?」

「いや。会うことにしたらしいぞ。ていうか、そもそもお前が月島に頼んだんだろ? そうじゃないのか?」

「死んでも違います」

「だけど親友なんだろ? プールに来てたじゃないか」

「やつを呼んだのは一生の不覚です」

「そうか。確かに、この人選には我々も首をひねったところだ。あいつは難ありだからな。不純異性交遊候補生。常連容疑者ユージュアル・サスペクト


 我が意を得たり! 先生よく言った!


「よくご存じじゃないですか! やつの非道の数々。すぐ射殺命令お願いします。スナイパーいるんですよね?」


 だが先生は意外にも、冷たい顔で俺を突き放した。


「それはできんな」

「え? なぜですか! だって最凶の危険人物ですよ? ミカさんを守るのが組織の責務じゃないんですか?」

「おっと。誤解するな。お前は目的を見失っているぞ」

「は?」

「落ち着いてよく考えてみろ。我々の目的は、あくまでも地方自治体のアピールだ」

「そうでしょ。だから――」

「ご令嬢に、安心できる居住環境を提供し、広告塔としても活躍していただく。それが全てだ」

「ですよね。だから――」

「だから、お前のような地元民が、ご令嬢に狼藉をはたらくのは容認できない。地元のイメージダウンだからな。しかしだ。月島は東京人だ。いくら我々が環境を整備しても、よそ者が近づくのを完全には阻止できない」

「・・・え?」

「もし仮にだ。ご令嬢が月島にまんまと騙されて、不幸などん底人生へと転落したとしても、お気の毒だがそれは我々の管轄外だ。自己責任だ。自由恋愛だ。この街のイメージダウンにはならない。我々も慈善事業じゃないからな。そこまで面倒見きれない。慢性的人手不足だし」

「そ。そんなバカなっ」

「正直、むしろプラスの側面もあるぞ。万一、大々的なスキャンダルになったとしても、東京もんにうつつを抜かしたお嬢さまが悪い。地元の男の方が、遥かに安全・安心・信頼・将来性があるのに。と、反面教師的に活用できる」


 俺は、顔から血の気が引くのを感じた。


「・・・冷たい・・・」

「悪いが大人の世界はこんなもんだ」

「それじゃ何ですか? このままほったらかし? 見て見ぬふり? 俺に手をこまねいて――指をくわえて見ていろと?」

「まあそういうことだな。お前の差し金じゃないと分かれば、それでいい。それに、もうお前、見ている必要すらないだろ。もう関係ないんだから。だから今日はもういいぞ。さっき言った書類一式は、メールで送っておく」


 先生はめんどくさそうに鞄を閉じると、さっさと帰り支度を始めている。俺も追い立てられるように、すごすごとドアへ向かった・・・が・・・。


 ここで帰るわけにはいかない! 今このドアを出たらそれっきりだ。ミカとのつがりは、完全に消えてしまう。考えろ! 考えろ! 何でもいいから、何か食い下がる口実を見つけるんだ!


「先生! ちょっと待ってください!」

「・・・何だ。まだいたのか」

「さっきの話、やっぱりまずいと思うんです! 矛盾してますっ」

「どこがだ。ごく簡単な理屈で、かつ理路整然と話したつもりだが」

「いやっ。組織の目的はこの街のアピールですよね? 転入率アップですよね?」

「そのとおりだが」

「で。でもねっ。それがうまくいって、どんどん東京から転入してきたとするじゃないですか? そうすると、どんどん東京もんが増えるわけじゃないですか。月島みたいなのが。そうすると、まずいんじゃないですか? 悪貨は良貨を駆逐する。この街の環境が、どんどん、東京みたいに悪化していきますよね? 治安とか。モラルとかっ」

「続けろ」

「だからこそ、ここで今、我々組織が一丸となって取り組むべき課題が見えてきたじゃないですかっ。つまりですよ。こういうアピールも必要なんです。そんなことは決して起こりません。東京人がどんなに引っ越してこようとも、我が街の美徳は1ミリたりとも揺らぎません。なぜなら!」

「つばを飛ばすな」

「たとえ深い心の闇を抱えた東京人であっても、この街に暮らし始めさえすれば、この大自然の安らぎと、コンパクトな便利生活に癒されて、たちまちにして心が洗われ、すがすがしい目覚めとともに、ピュアで純白な魂の営みへと、生まれ変わることでありましょう。そうです。もはや彼らは東京人ではない! 元東京人という名の、心優しき地元民として、新たなスタートを切るのです!」


 どうだ! 完璧な理論武装だ! ぶはっ。


「なるほど。なかなか弁が立つな山本。で、それが月島とどんな関係が?」

「そこです。月島ももう東京人ではない。立派な地元民です。したがって、定義上、純白な心でなくてはならない。だが残念ながら、事実はそうではない。例外なのです。異端なのです。最凶なのです! そんなやつが、ミカさんに無礼をはたらいたらどうなります? そうですもちろんです! ぶっ飛びイメージダウンですっ。やっぱり危険な悪貨のままじゃないか。魂の浄化はどうなった? とんだ宣伝倒れだ!」

「いやまだそんな宣伝はしてないけれども」

「でも近々しますよね? するに違いない! そう遠くない未来に」


 白鳥先生はそろそろ飽きてきたらしい。時計をちらちら見ながら、


「う~ん。言いたいことはまあ分かった」

「でしょ? ですよね? じゃ、今すぐ射殺指令お願いします」

「まあ無理だな。予算の関係で」

「だったらですね! もっと安上がりの方法がありますよ。俺が行きます。なあに、ちょっと隙を見て、橋から外の方角へ押してあげるだけの簡単なお仕事ですから」

「まあ許可できんな。必ず目撃される」

「だったら。せめて殴るだけでもっ」

「やめとけ。第一に、物理的に喧嘩したら沈むのはお前の方だぞ。写真部とテニス部、どっちが強いか分かりそうなもんだろ? そして第二に、スキャンダルは困る。ご令嬢の面前、しかも花火大会で暴力沙汰など、もってのほかだ。イメージダウンもはなはだしい。小競り合いでもダメだ。パパラッチの餌食だぞ」


 俺は思わず地団駄を踏んだ。


「じゃ、どうすりゃいいんですか俺っ・・・うううっ」

「・・・しょうがないな。もう帰りたいんだよ私は。許可できるのは・・・そうだな。たしかに、ご令嬢に、悪貨がやたら近づくのはリスク大だな。じゃあこうしろ。お前行って、やんわり優しくさり気なくそれとなく、妨害しろ」

「そんな。それっぽっち? 手ぬるい・・・」

「それから、言うまでもないことだが、この件で月島を問い詰めたりはできないぞ。メールの盗み読みは重大犯罪だ。お前はこのメールを見なかった。存在すら知らない。いいな」

「ひいいいいっ。こんなことされて、手も足も出ないなんて。なんて理不尽っ」

「それよりお前、やつをどうやって見つけるつもりだ? 花火大会だぞ。あの人混みだ。絶対見つけられないと思うけどな」


 うなだれていた俺は、ここで今日初めて胸を張った。


「お任せください。こういうこともあろうかと、ちゃんと手は打ってありますっ」

「変な手じゃなければいいがな。じゃ私は帰るぞ」


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