(2)

 市営の〈ファミリーズー〉は、街の南を横切る幹線道路沿いにある。チャリですぐ行けるので便利。〈マモ~レ〉より近い。小学生のころは、俺のお気に入りのスポットだった。最近はさすがにあまり行かないけど。・・・でも! ミカと行くってことは、これ、小学生とは全然意味合いが違いますよね。デートですよね。むふ。仲間たちよ、お先に失礼(以下略)!


「どうだ素晴らしいだろ! 中、めっちゃ広いぞ。山あり谷あり池あり林あり。丘陵と一体化した、郷土動物公園なのだよっ」

「普通ね」

「・・・ミカさんは、動物園とかどうですか? 行きました? 東京で? 意外と都会人は行かないのでは?」


 淡い期待は、いつものミカ節で軽く粉砕された。独り言みたいにぼそっと、


「行ったわよひととおり。上野とか多摩動物園。ライオンバスとか。そういうのと比べると、やっぱり負けちゃうわよね」


 ほんと、やな性格。


「・・・まあそうかもだけど。でもな。今日の眼目は、動物一般じゃないのだよ。蛍だ! ここはね、六月の末、この週末限定で、わざわざそのために夜間延長するんだよ。行列ができるぐらいだ。完璧に整備されたビオトープ。幻想的な乱舞が見られるぞ!」

「・・・山本くんって、ずいぶん光りものが好きみたいね」


     *


 ・・・辛いので結果だけ書きます。スカでした。暗くなるまで待って、成果ゼロ。激しく詰め寄る俺に対して、係のおじさんは無言でびしっと看板の文字を指し示した。


〈発生は年によって異なります。たくさん飛ぶこともあれば、全然飛ばないこともあります〉


 なるほどね。そうですか。ふむふむ。・・・ってえ! 納得しても、窮地から脱することはできない。これまじヤバい! 大見得を切ってスタートした大自然ツアーが、ダブルで空振り。これではミカと組織の両方から、ツアーコンダクターの資質を疑問視されちまう。てか、ミカが激怒するのは必至。あれだけ楽しみにして、期待を寄せていてくれたのに。ここはとにかく、誠意を見せて平謝りするしかない!


「あの。ミカさん! 申し訳ありません! このような、せっかくの期待を裏切る結果に――」


と土下座しつつ、上目づかいで先方の様子をうかがうと、・・・ミカは頭を抱えていた。


 比喩じゃないよ。文字どおり、事実として、物理的に両腕で頭を抱えているんだ。前かがみで。そういう人間の姿を実際に見るのは、もしかすると初めてかも知れない。そして、肩というか、腕というか、もう全身が、怒りで震えているんだ。超怖い。


「・・・くっくっくっくっくっ」


 え? 笑ってんの?


「ぶははははははははああっ。何それっ。山本くんっ。ぷはははははははっ苦しいいいっ。息できないっ。ぶはははははははああああっ」

「落ち着いてミカさん! どうしたの? 気分でも悪いの?」

「ぶはははっ。あれほどっ(ぶはっ)自信たっぷり(ぶはっ)だったのに(ぶはっ)。またハズレとかっ(ぶはっ)もう信じらんないよ(ぶはっ)。しかもっ。しかもですよっ。しかもっ。あの罪もないおじさんに、食ってかかっちゃって(ぶはっ)。おじさん悪くないのに。おじさんかわいそう。ぶははははあああっ。ひいいいいっ。く、苦しいっ」

「・・・いやそこまでウケなくても。そんな面白いですかこれ」

「ひいいいいっ。おなか痛いっ」


 ・・・笑いすぎだろそれ。まあ怒られなかったのはよかったけど。と、突然、俺の肩の後ろから、女性の声が聞こえた。


「あれ? ミカちゃんじゃない?」


 呼ばれたミカは、まだ脇腹のあたりを押さえながら、体を起こして振り返った。


「あ! 新雪あらゆきさん!」


 俺も振り向いて見ると、名前のとおりのフレッシュな感じのお姉さんが立っていた。大学生か、なりたて社会人ぐらいかな。


「やっぱり! ・・・もう! 久しぶりだよお。びっくりした! こんなとこでっ。あたしのこと覚えてる?」

「もちろんです! お久しぶりです! お元気ですか?」

「元気元気。もう何年ぶり? おっきくなって! 今もう高校生?」

「高1ですっ」

「そっかあ~。早いなあ。もうそんなかあ。びっくりい」


 新雪さんは、片手を、その素敵な胸のあたりに水平にかざして、


「ミカちゃん、背の高さこんなだったのに。もう、あたしよりおっきいくらいじゃない。でもすぐ判ったよ! 昔からきれいだったから。ますます、おきれいになっちゃってもう~」

「いえいえいえ。何をおっしゃいますやら」


 二人の笑い声が、がらんとしたビオトープにころころと美しく響いた。いいなあ。蛍にも聞かせたかった。出てこないお前らが悪い。


 ・・・あ。失礼。待ってた? 待ってたかな? 待ってたよね? それは美女か? 美女なのか? お答えしますね。美女ですっ。年上お姉さまサブキャラとしては、軽く合格ラインぶっ飛びクリアしてます! お胸も社会人仕様!


「そっかあ! そう言えばこっちに越して来たんだよね? 四月から? うちってどの辺? 今度遊びに行くね! パパさん元気?」

「元気です。あいかわらず忙しくて。新雪さんはずっとこちらに?」

「あかねでいいよ! そう。ここの大学。去年無事卒業しまして。今はとりあえず、お店、手伝ってるとこ」


 お? あかねさんは地元大学ですか。良いですね。学部は? 今度、受験対策とか相談に行ってもいいですか? お茶でもしながら。うふ。


「うちにも遊びにおいでよお。あ。高校は南高にしたんだよね? だったら近いじゃない! 歩いてすぐだよ。放課後、お友だちも連れてきて! お店の宣伝にもなるしねっ」

「はい。ぜひっ」


 あかねさんは、このときようやく俺の存在に気づいたらしい。地味男ですいませんね。


「あれっ!?」


 ミカと俺を、交互に指差し確認しながら、


「これって・・・お連れさん? 男と、女? ってことは? えええええっ? ミカちゃんこれって? えええ? もしや? うわっ! きゃー!」


 一人で盛り上がっている。感激ひとしおといった風情。


「あのミカちゃんがねえ。もうこんな大人に。・・・感無量」


 焦ったのはミカだ。例によって軽く赤面しつつ、


「いえ! あかねさん! これ、そんなんじゃないんです。そんなんじゃなく。ですねっ。えーっと・・・」


 言い淀んでいる。これはまずい。ヤケになって、変なこと口走られるのだけは阻止せねば。俺はとっさに助け舟を出した。


「まあツアーガイド兼ボディガードみたいなもんですね。要するに、げぼ――ひでぶっ!」


 ミカのさり気ないキックが俺の向こうずねを直撃した。直後、耳元で冷たい声がささやく。ぞくっとしました。


「・・・あとで話がある」


 それから、打って変わった爽やかボイスで、あかねさんに、


「こちら北高1年の山本くん。ちょっとした知り合い。写真関係の。とにかくまあ、彼氏とかじゃないのは確かです。絶対に、彼氏じゃない。絶対に。ね? そうだよね山本くん? あなた、彼氏じゃないよね?」


 そう念を押すミカの顔に書いてあるのは、「せっかくこの私が彼氏認定してあげたってのに、あなた、生意気にも却下したわよね。覚えてなさいよ。もう絶対、二度と認定なんかしてあげるもんですか。後で後悔して泣いて頼んでも遅いからね!」という、ひねくれた〈意識の流れ〉だった。


 あかねさんの側は(まあ誰でもそうなるだろうが)、ちょっとリアクションに困ったらしい。よく分からない笑いを顔に貼りつけた感じで、


「あ・・・そうなの・・・まあ・・・ははっ・・・」

「あの! で、あかねさんも、やっぱり蛍を見に?」

「そうなの! いちおう毎年来るのよ。律儀なファンなの。でも、今年はちょっと無理っぽいわねえ」

「普通はいっぱいいるんですか?」

「そう。必ずってわけじゃないけど。ここって、よく管理されてるし、近いし、便利じゃない? お手軽で気に入ってたんだけどなあ」


 ミカは俺の方をあごでしゃくってみせて、


「この人もね、相当がっかりみたいですよ。さっき、ほとんど泣きそうでしたから。半狂乱というか・・・くっくっくっくっくっ」


 また笑いの発作ですか? 勘弁してっ。


「へえ~。山本くん――だったっけ? 蛍、好きなんだ? あたしと同じだね! いいじゃない。ロマンチストじゃない! そっかあ。良いなあ青春だなあ。・・・ならさ! とっときの穴場、教えたげようか? あそこだったら、絶対見えるよ!」

「ほんとですか? ぜひっ。ぜひお願いしますっ」


 正に地獄に仏! これで俺の顔が立つっ。報告書も書けるっ。


「でもね、あそこは、車でないと無理だね。連れてってあげるよ! 今日はもう遅いから・・・お二人さん、もしよければ、明日とかどう? 夕方ぐらいから。ちょうどいいじゃない。日曜だし。うちのお店でケーキ食べて、ちょっと待っててくれる?」


     *


 翌日も曇っていたが、幸い、雨にはならなかった。らっきい。ミカはその後、俺の問題発言(もとはと言えば自分のなわけだが)に落とし前をつける件に関しては、特に何も言わなかった。忘れてくれたんなら俺としても好都合です。ミカさん怖いんで。


 それはさておき、この街にミカの古い知り合いがいたなんて。俺としてはかなり意外な発見だったんだが、ミカの解説で納得した。なんでも、上遠野氏はケーキ屋さんのオーナーと古くからの友人で、何年か前に、その依頼でここに店舗を造ったとのこと。あかねさんはオーナーの娘さんで、当時は南高の高校生。店の建築中、パパにくっついてこの街に遊びに来たミカと何度か会い、意気投合してすっかり仲良しになったのだという。


「それでね、去年かな、こっちでどこの高校にするかパパと相談してたときにね、あかねさんが南高だったのを思い出して、ちょっと様子を聞いてみたりしてたの」

「なるほど」


 してみると、南高が良いというご神託は、〈偉い人ルート〉だけの専売特許じゃなかったんだ。まあそうだよな。やっぱり年頃の娘さんの引っ越しとか転校って、本人にも親にも人生の一大事だから、いろんな人に相談したりするんだろうな。そう考えると、そんな経験ゼロの俺には想像できないような苦労を、ミカはこれまで背負ってきてるんじゃないか? だってあれだけ世界のいろんな場所を引っ越して回ったわけだから。


 てなことをつらつら思いながらミカの美しいお顔をでていると、ときおり見せる、陰のある憂いの表情が、ものすごく深いもののように感じられた。写真撮りたい。撮ったら傑作できそう。でもまあ、これが単なる「ツン」だっていう可能性も、あるっちゃあるんだけどね。


「・・・人の顔、ガン見するのやめて。正直キモい」

「はいはい」


 こんなとき、月島なら「君の憂い顔に見とれて目が離せないよ」かなんか、歯の浮くようなセリフをのたまうんだろうけど。ただしイケメンに限る。俺には無理だな。本心でも。


     *


 〈グラメナージ〉は、遠くから見ても一目で建築家の作品と分かる建物だ。品の良いオレンジ色の瓦屋根。大きな窓。決して派手ではないが、よく見ると凝っていて考え抜かれた構造。さすが上遠野氏、街のケーキ屋さんでも手抜きなし! 天才の輝きが、確かにここにも感じられた。場所は繁華街の少し南。見晴らしの良い絶好のロケーションで、幹線道路をはさんだ向かい側には、博物館を擁した大きな公園が広がっている。


 先ほど、俺のせっかくのガン見を無慈悲にも中断させたミカは、フルーツ山盛りのタルトをおいしそうに頬張っている。


「どう、そっちの桃のショートケーキ? さっき、だいぶ迷ったんだけど」

「めちゃうまいっす」

「半分ちょうだい。タルトも半分あげるから」

「いいけど、シェアしたら、また何か言われちゃうよ。あかねさんに」

「・・・馴れ馴れしいわね。新雪さんって言いなさいよ、あなたは」

「へいへい」

「半分ちょうだい」


 やがてあかね――もとい、新雪さんがやってきた。ミカの隣に席を取り、自分もケーキとコーヒーで合流。


「ごめんね待たせちゃって。お許し出たから、もうちょっとしたら出られるよ。空港よりもっと南の方。田んぼの真ん中。だけど時間はそんなかかんない。20分ぐらいかな。時間的にはちょうどいいと思う。あ、途中でおにぎり買っていく? 蛍を待ってる間に食べよう。なんか楽しくなってきた!」


 ミカも嬉しそうにうなずいた。新雪さんのお皿をしっかり観察して、


「メロンのショートケーキ、きれい! 美味しそう」

「美味しいよ! あたしが言うのもなんだけど。一口どお? ・・・あれ? あれれ? お二人さん! なんかもう、半分こ、しちゃってる? 仲良く? うわ。うわわ~。うわわわ~。これがほんとの、ごちそうさまっ」

「それ、言うと思いました」


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