第5話:夏虫《なつむし》

(1)

夏虫なつむし:蛍の異名だそうです。


**********


 ケータイが鳴ってる。


 南高の美少女からの電話なのに。本来、男なら狂喜すべきなのに。どうして取るのを躊躇してるんでしょうね、俺は?


「山本くん? ひっさしっぶり~。元気かい?」

「あ。どうも花染さん。その節は大変お世話になりまして」

「出たね役人。じゃあこっちも用件のみにて失礼。あのさ。・・・例の件は、その後どうだい?」

「と言いますと?」

「またまた。とぼけて。そんなにあたしの口から言わせたいの? ・・・じゃ言っちゃうよ。月島くんの件です! あ~言っちゃったあ!」


 はあああ~。こっちは思わずため息出ちゃったあ。


「・・・あの。実はですね。ちょっと申し上げにくいんですが。悪い知らせが――」

「ええっ!」


 乙女ボイスが震えた。俺はちょっと気の毒になった。もう彼女がいるって聞いて、取り乱さなければいいんだけど。


「実はですね――」

「ちょっと待って! 心の準備が! まさか・・・まさか・・・月島くん、病気とか? 不治の病で余命三か月とかじゃないよね? そんなの絶対嘘! だって、まだあたしと始まってもいないのに! そんなふうに終わっちゃうなんて、あたし耐えられないよっ。絶対そんなのやだっ」

「いやそれ違ってます。そもそも始まってないなら、終わることは不可能です。定義上ですね。・・・それに不治の病だったら、むしろ良い知らせですよね。全人類にとって」

「山本くん! 言っていいことと悪いことがあるだろ! 嫉妬もたいがいにしろよっ」

「・・・俺が言いたかったのはですね。彼には年上の彼女がいるらしいんですよ。しかも、めっちゃ、らぶらぶみたいなんです」


 花染さん、どうか泣かないで! 俺ももらい泣きしそう!


「・・・なんだあ。そんなことかあ」

「は?」

「びっくりさせないでよもう。何かと思うじゃん! そんなの、悪い知らせに入らないよ。想定内。てか彼女いない方がむしろ心配だよ月島くんの場合。あんだけモテるんだから。女子がほっとかないって!」

「・・・はあ・・・」

「で? いつ紹介してくれるの? どういう段取り?」

「いや、そこまではまだ。・・・てっきり彼女がいる時点でキャンセルかと――」

「何言ってんだよこいつは! 人の話聞いてた? 彼女確認と紹介は、二つでワンセットだって言ったろっ」

「いや言ってませんからそれ。それにですね。紹介したとして、そっからどうすんですか? まさか略奪愛とか?」


 ここで花染さんは、急に弱気な声になった。かわいい。最初からその声が良かったです。


「・・・うん。ほんとはそうしたい。そうしたいって、心の声が叫ぶの。だけど無理。あたし、そこまで自分に自信ないから。でも、せめて、月島くんには知っといてほしいの。あたしの存在を。あたしがここにいて、いつでも傷心の彼を支えてあげられるってことを。いつまででも待っています。・・・それだけでも伝えられたら。それでいいの」

「花染さん・・・それって・・・ううっ」


 泣いてしまった。なんという一途な乙女心。あんなペテン師に。もったいない。やつじゃなく俺にくださいっ。


「でもね花染さん。本当に彼でいいんですか? 一目見ただけでしょ? よく知らないんでしょ?」

「挨拶したことあるもん。大会で。一瞬」

「・・・なんかね、俺、小耳にはさんだんですけど。彼の親父、歌舞伎町のホストとかだったらしいですよ。女に刺されかけてこっちに逃げて来たとか。こっちでも繁華街でホスト帝国を築いてるとか」

「山本くん!」


 突如、花染さんの声が北極並みの冷たさを帯びた。


「見損なったよ山本くん。あんた、そんな人だって思わなかった。ホストが何? 立派な職業じゃない。それに、親の職業と月島くんと、何の関係があるっての! ひどいよ。謝れ!」

「すいませんっすいませんっすいませんっ」

「分かればいいのよ。・・・でもね山本くん。決して脅かすわけじゃないよ。脅かすわけじゃないんだけど、あたし最近、なんかちょっと情緒不安定なの。このままだとあたし、ふとした弾みに、テニスコートの中心で叫んじゃいそうなの。『北高1年写真部の山本くんのあだ名は、〈山本ベッド下〉だあああああっ!』とかっ」

「それだけはやめてええええっ」


     *


 もう知らん。あれほど止めたのに。でも本人が、どうしても詐欺師の餌食になりたいって言うんなら、これはもう自己責任でしょ。後で泣きつかれたって、俺は知らないもんねーだ。


「月島。ちょっといいか? 折り入って、ちょっと話があるんだが」


 月島は、その端正な(見たくない)顔をすいいっと上げて俺を見ると、意外そうに、


「えっと。山本くん・・・だっけ?」


 そして人なつっこい笑顔を作ると、


「ああそうか。そう言えば僕の方も、山本くんに用事があるんだった。ちょうど良かったよ」


 用事? 何だろ。やな予感。でもとりあえず、こっちの懸案事項をさっさと先に片づけさせてもらうぞ。


「あのな。実は、南高の子にちょっと知り合いがいて――」

「ええええ!?」


 わざとらしく驚きやがって。


「山本くん! 南高の女子とコネクションあるの? それはそれは! すっごいじゃない! かなり意外だけど。うらやましいなあっ。あやかりたいなあ僕も。僕にも紹介してくれないかなあっ」


 元カノ何人もいるくせに白々しい。だが今は好都合だ。


「そうか? だったら話は早い。ちょうど向こうにも頼まれてるんだ。さり気なく紹介してほしいって。知ってるかな? テニス部1年。花染みどり」

「それはまた、最高にさり気ないね山本くん。でも残念ながら、その子は知らないなあ」

「大会で会ったことあるらしいぞ」

「大会、かわいい子だらけだからね。いちいち覚えてないよ」

「けっこう美人だぞ。それに良い子だし。・・・だけど――」


 俺のバカ! 投げたはずなのに。なぜまた花染さんを守ろうとする?


「お前やっぱ無理だよな? 彼女いるし」

「それだったら全然大丈夫。今フリー。ほんと恥ずかしいんだけど。僕もね、北高入ってからは全然モテてないんだあ。君らの仲間入りだよお。君らがもお、ドンファンとかいろいろ言うからさあ。女子にすっかり敬遠されちゃって。すっごく寂しいんだよねえ今あ」


 出たな詐欺師。俺は思わず、


「え? だっているじゃん。2年の逢魔さん」


 月島は一瞬、虚を突かれた。ざまあ! が、すぐに体勢を立て直して、


「・・・おおお。すごいね山本くん。知ってるんだ。その情報は写真部がらみで? まあいいけど。・・・でもね、それは誤解。単なる誤解。逢魔さんとはね、単なるお友だち。お知り合い。彼女じゃないからあ」

「へえええ。眼鏡っ子は守備範囲外ってか?」

「おっとそれは違うな。良いよ眼鏡っ子も。・・・顔近づけたとき、彼女のフレームがおでこに当たって『あうちっ』ってなるだろ? あれ最高! だろ? ・・・いやすまん。忘れてくれ。君に同意を求めた僕がバカだった」

「・・・お前らまさか暗室で・・・」

「あれ? でも、そういう山本くんだってさあ。隅に置けないよね! 彼女いるそうじゃない! しかもすっごい彼女! 上遠野ミカ!」


 うあああっ。やっぱりか! 恐れていたことが現実に!


「・・・その情報は、やはり逢魔さんがらみで?」

「否定しないんだ山本くん!」

「いや否定します。全力で否定しますよっ」

「でも見た人いるってよお。自転車仲良く二人乗りしてたそうじゃない?」

「ぐぶはっ」

「むせた? でも何も飲んでないよ山本くん」

「ぐぶはっ。そういう事実無根のデマは困る。非常に困るっ」

「まあまあ落ち着いて。そこまで分かりやすく動揺しなくても。・・・いいじゃない! 僕は好きだよっ。小市民ガチ石頭の山本くんが、あえて違法行為に走っちゃうその姿。恋は盲目。ようやく君にも、遅ればせながら青春が始まったね! 美しいぞ! おめでとう!」


 くそ。人を小馬鹿にしたその言い方。殴りたい。


「で、さっきの件だけど、誰だっけ? 南高の。お安い御用だよ! ほかでもない山本くんの、たっての頼みとあっちゃあ、僕が断れるわけないだろう? だろう?」

「・・・どうも・・・」

「あ。でも一つ、こっちからもお願いしていいかなあ? ついでに。その代わりってわけじゃないよ。交換条件ってわけじゃないよ。あくまでも、ついでになんだけど。・・・こんど一度、上遠野さんにも僕を紹介してくれないかなあ?」

「断る」

「だって彼女、有名人だろ? 一度でいいから会ってみたいんだよね僕も。すごくきれいだしさあ。山本くんだって、鼻高々じゃない? 自慢したくない? 僕を悔しがらせたくない? いいじゃない。けち。減るもんじゃあるまいし」

「断るっ」


     *


 その晩、とろけるような乙女ボイスが飛び込んできた。


「山本くん! ありがとうっ。嬉しいっ。もう泣きそうっ」

「・・・あの。よかったですかね? 連絡先とか、もう向こうに教えちゃって」

「もちろんだよ! あのね! もうライン来たのっ。死ぬかと思った! 今度会うっ。〈クレープ田んぼ〉でっ」

「は、早いですね」


 さすがだ月島。電光石火。なんの躊躇もためらいも良心の呵責もない。


「一生恩に着る! この御恩、一生忘れません! ありがとうありがとうっ」


 はあああ。後で恨まれないことを切に願います。


「あのさあ! どんな服着て行けばいいかなあ? もう今からどきどきっ。ガーリーなやつ? フェミニンなやつ? それともむしろ制服とか? 月島くんってさあ、どんなのが好きなの? 色とか? 知ってる?」

「さあ・・・」

「知らないの? 親友でしょ?」

「きっぱり違います」

「東京の人って、あか抜けてるから。目も肥えてるから。正直怖い。・・・あ、でも。聞く相手が違うか。山本くんだもんね。服とか聞くだけ無駄だよね。こないだミカの家でも、変な服着てたしっ」

「その記憶、完全消去してくださいっ」

「むりむり。もう焼き付いちゃってるから。ここんとこに。前頭葉に。ぶははははっ」

「やつの服の好みとかだったら、元カノに聞けばいいじゃないですか」

「何言ってんだよ! 元カノに次カノが聞けるわけないだろ! そんなこと」

「・・・まだ次カノと決まったわけでは・・・」

「それにさ! 敗者に勝利の秘訣聞いて、どうすんだっつうの!」

「そんなっ。スポーツマンシップにもとる発言を・・・」

「ばはははっ」


 花染さん。異常なまでのハイテンション。もう付き合いきれません。


「あ。キャッチ入ったんで。すいません~」

「ミカだな? この野郎! らぶらぶがっ! 見せつけやがって。でもあたしだって負けないぞ、もう。ミカにゆっといて。不肖みどり、追いついて追い越します! 恋の道まっしぐら、れすっ!」

「はいはい」


     *


「山本くん? 今、誰かと――あ。いい。何でもない」


 いいなあ。ハイテンションのお相手させられて疲れ切った俺の心に、ミカの優しい声が染みわたる。癒されちゃう。この調子で、ずっと優しくしてほしいです。


「あのね。・・・私ね、今度の週末どうかな、と思って。大自然ツアー。天気予報いいみたいだし。こっちはテスト終わったし。そっちはどう? テスト終わった?」

「うん、こっちも今日終わった。週末はオッケーです。俺も予報見てた。大丈夫だと思う」

「あなたも予報見てたの? 私と同じこと考えてた? ・・・うん。それっていいですね。なかなか良い心掛けだと思います。うん」


 でも、正直、先日のバスのことが、まだ俺の頭に引っかかっている。ミカの二重人格とか。ガールズトークとか。あの調子だと、陰で俺のことボロクソ言ってそう。聞こえなかったふりしたけど、やっぱりさすがに傷つくよね。花染さんじゃないけど、ニックネームが、コンパクトボーイ改め〈げぼく山本〉だなんて!


 しみじみ女子は怖いです。裏で何を考えてるんだか。俺みたいに、嘘もごまかしもなく、表裏も打算もない清廉潔白な人柄だと、つい、まんまとあの甘い笑顔に騙されてしまうからな。要注意です。


 ところで改めて考察してみるに、ミカの場合――あれってツンデレキャラなんですかね? もしこれがアニメなら、ヒロインはツンデレもしくはハーレムのどちらかのはずで、明らかに後者ではないので、消去法により前者ということになるが。


 だけどそれって、コスパ的にはどうなんでしょうね? そういう分析は、どこかでちゃんと行われているんですかね?


 つまり俺が何を言いたいかというと、ツンデレってのは、投資としてはハイリスクハイリターン型だということ。「ツンツンツンと際限なく続く心労に、最後まで耐え抜く」というリスクを克服してこそ、「デレ~」というおいしいファイナルリターンにありつけるということですよね。


 しかしながら、ミカの場合、俺の読みだと、そのうち北高イケメン軍団へとお乗り換えの予定でしょ? ってことは、結局「ツン」だけ俺が引っかぶって、肝心の「デレ」は根こそぎイケメンに持ってかれちゃう、という最悪の展開になりかねない。ハイリスクゼロリターン。もう泣くしかない。


 そうすると、本時点における、俺としての最良の選択肢は、やはり――ミカのあの笑顔と甘い声に騙されることなく、あくまでも冷徹に、オフィシャルアンバサダーの使命を貫き、将来設計へのポイントアップを着実に狙っていくという、その一択に尽きるでありましょう。


 だがその意味では、俺は今、苦境に立っている。鳴り物入りの大自然ツアー「光るタコ」作戦が、まさかのスカ。成果ゼロ。報告書を書くのにえらい苦労しました。


 もう失敗は許されない。俺は寝ずにひとり反省会を行った。敗因は何か? 答えは明らかだ。大自然の〈生〉の偶発性に頼り過ぎたことだ。よって、これから行くべきなのは、むしろ、人智によって完璧にコントロールされた環境。行けば確実に見られる物件。


「ミカ! 俺と、動物園へ行こう!」

「はあ!?」


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