(5)
というわけで、あの大自然嫌いのミカが、不肖俺こと、オフィシャルアンバサダー山本の主催する大自然ツアーに、大いに乗り気になってくれた! 誠に喜ばしい。・・・のだが、あの日の後、この街は早々に梅雨入りしてしまった。
雨続きとは限らないんだが、曇りでもじめっとした日が多く、天気予報も予断を許さない。実力テストが近いことなんかもあって、俺たちの意気込みとは裏腹に、ツアーはいったんお預けの形となった。
必然的に、ミカとのやり取りも、このところ少ない。寂しいっす。まだ一人でコンビニ弁当なんだろうか? 友だちはできたかな? 俺は依然として保護者モードから抜け出せずにいる。まあミカ本人からすれば、余計なお世話だろうけど。
そんな心配するくらいなら、毎日俺がミカを連れ出して、晩ご飯を一緒に食べればいいじゃないか。そう思うでしょ? 思うよね? 俺も思う。
だけどこれでも高1人生、いろいろ辛いのよ。実質帰宅部でも、平日はけっこう忙しいんです。課題とか課題とか課題とか。あと課題とか。こういうときは、ミカじゃないけど、やっぱし同じ学校の同じクラスだったら良かったのにって思うね。一緒に帰れるし、課題なんかも一緒にできるじゃないですか。正に憧れの、リア充・放課後らぶらぶライフ。
でも現実は厳しい。そもそも俺の立ち位置からして微妙だからな。彼氏じゃないし。公務員枠って名のニンジンを、鼻先にぶら下げられて走るアンバサダーだし。大自然ツアーならともかく、街のレストランへお供するためには、そこが「この街の誇る名所」的な優良店であるということを、きちんと当局に説明する必要があるし。パパラッチ怖いし。もうめんどくさいし。
しかも――。しかもですよ。聞いてくださいよ。なんと俺には、報告書の提出も義務づけられちゃってるんだよ! 「OA委託業務・事後報告書」。エクセルで入力する内容は、例えばこんな具合。
―――――――――――――――――――――
担当者氏名:
現住所:
本籍:
転入年月日(現住所と本籍が異なる場合):
生年月日:
オフィシャルアンバサダー番号:
オフィシャルアンバサダークライアント番号:
ご案内候補地(5つ以内):
ご案内決定地:
決定に至った経緯(200字以上400字以内):
ご案内開始日時(天候):
ご案内終了日時(天候):
経由地(該当する場合):
ご案内費用(領収書のコピー各2部を添付):
ご案内内容の主たる分野(複数選択不可):歴史・自然・芸術・その他(具体的に)
ご案内事前申請日時:
上記申請日時からご案内開始日時までの期間が2週間未満だった場合、その理由(200字以上400字以内):
上記申請を行わなかった場合、その理由(200字以上400字以内):
当該地域に対するクライアント様の評価(10段階)
ご案内前:「非常に悪い」・「悪い」・「どちらかと言えば悪い」・「普通」・「どちらかと言えば良い」・「良い」・「非常に良い」
ご案内後:「非常に悪い」・「悪い」・「どちらかと言えば悪い」・「普通」・「どちらかと言えば良い」・「良い」・「非常に良い」
ご案内前後で評価が3ポイント以上好転した場合、考えられる理由(200字以上400字以内):
ご案内前後で評価が3ポイント未満の好転だった場合、考えられる理由(200字以上400字以内):
ご案内前後で評価が3ポイント以上悪化した場合、考えられる理由(200字以上400字以内):
ご案内前後で評価が3ポイント未満の悪化だった場合、考えられる理由(200字以上400字以内):
クライアント様は、今回のご案内地を再訪したいという意思表示をされましたか?:はい・いいえ
以下のチェック欄にチェックしてください。
・利益相反の確認(1):私は、上記ご案内候補地の営利団体と、いかなる金銭的取引も行っていません。
・利益相反の確認(2):私は、上記クライアント様と、個人的利害関係もしくは不適切な関係を有していません。
・「オフィシャルアンバサダーの手引き」を熟読し理解しました。
・「オフィシャルアンバサダーの落とし穴:クライアントとの適切な関係を維持するために」を熟読し理解しました。
―――――――――――――――――――――
・・・ほんとはもっと長いんだけど、読者のために
はああ~。公務員って、こんなエクセルを毎日作る生活なのかなあ。ちょっと将来の進路を考え直したくなる。めんどくさい。死にたい。
などと頭をかきむしりながら悩んでいたら、そんな俺を、神は見捨てなかった。帰宅途中のバスに、なんとミカが乗ってきたんだ!
*
雨の日の通学バスは憂鬱だ。混んでるし。濡れた傘とか超邪魔だし。だけど、南高の女子も乗ってくるので、そこだけは嬉しい。美少女多いし! しかも、バスの中で人の隙間にちらっとだけ見えるときには、その美少女ぶりがひときわ輝いて見える。いったいどうしてなんでしょうね? やはりこれも、一瞬の草枕、決定的瞬間の美学なんでしょうか。
その日も、市電を降りてバスに乗り換えてくる南高女子の軍団を眺めつつ、そんな哲学にいそしんでいた俺だったが、不意に、その中の見慣れた顔に気づいてはっとした。
ミカが、クラスメートらしき女子たちと乗ってきたんだ。まあ考えてみれば、驚くことは何もないんだけど。ミカのうちもこっちの方角だし。むしろ今まで会わなかったのが不思議なくらいだ。
とりあえず、ミカの顔が見られたのが単純に嬉しい。男って単純な生き物だね。挨拶しようかな? 「ミカさ~ん」とか。・・・絶対殺される。花染さんにだってあれほど隠そうとしたんだから。へいへい、そんなに俺の存在を知られるのが恥ずかしいのかよ? そこまで俺ってみっともないですかね? ちょっとプチって来ますね。リサイクルごみにだって(以下略)。
しょうがないので、目だけででも挨拶しようと思ったが、先方は向こうを向いていて俺にまったく気づかない。ちょっと離れたところにみんなで立って、お決まりのガールズトークを繰り広げている。ちなみに、女子の会話に耳を傾けるのは嫌いじゃないですけどね。特に、男子が聞き耳を立てているのをまったく意識してない赤裸々な内容だと、なおよろしい。興味津々。ある種、覗きの精神ですね。いや変な意味じゃなく。
でもまあ、ミカにちゃんと友だちがいっぱいいることが分かったので、保護者山本としては安堵しました。うんうん。・・・あれ? だけどなんか、ミカの様子がいつもと違う。お馴染みの高飛車な感じや、皮肉屋、毒舌家みたいなご令嬢口調がみじんもなくて、なんですかこれ? めっちゃフレンドリー。ひたすらにこやかに、周囲に調子を合わせている。
ええっ? ミカって二重人格だったの? それとも、女子ってみんなそうなの? 相手が男か女かで性格変わっちゃう? そりゃまあ、うちのクラスの女子だって、ある程度そういうところはあるけどさ。男子だって。でもここまで極端じゃねえぞ! まるで別人じゃねえか! なぜ俺にだけ冷たく当たるの? 俺にももっと優しくして!
とか一人で憤っていると、なんか、気になる発言の切れ端が耳に飛び込んできた。どれどれ。もうちょっと近づいてと。さり気なく、気づかれないように。でもこれ盗み聞きじゃないもん! 自然に聞こえてるだけだもん!
「・・・でもミカさあ。最近、なんかどっかの男子と付き合ってない? 先月かな? 見た人いるよ。〈マモ~レ〉で」
ミカのぎょっとした顔。俺も負けずにぎょっ。だがこれも、実は驚くに当たらない。〈マモ~レ〉行けば必ず知った顔に会う。これこの街の常識。みんな、他に行くところがあんまりないからね。何度も行けば、そのうち誰かに目撃されるだろうってのは最初から目に見えていた。しかし思ったより早かったな。おっと、ここでまた一人参戦。
「そうそう! あたしも聞いた! トイザラスのマックにいたって! でも彼氏にしちゃ、な~んか地味~な感じの男だったって(笑)」
「それな! 言ってた! 地味男(笑)」
「ミカ、あれ彼氏? ねえ彼氏なの? 地味男が趣味なの、ミカって? なんか意外~!」
地味男地味男と連呼されて喜ぶ男はいない。しかし地味男にも利点はあるぞ。こうやってすぐそばで聞いてても気づかれないんだから。
ところでミカだが、まあ案の定、顔が赤いです。絶体絶命。どうするの今回は? 頼むから、ヤケになって彼氏宣言しちゃうのだけはやめてっ。俺の身にもなってくれ。良くて利益相反始末書、悪けりゃ川に浮かんじゃう!
「ちっ、違うよ~」
お。ミカの反撃開始。いいね! とりあえず否定してねっ。
「――彼氏とかじゃないよ、全然。そんなんじゃなくて。全然違うよ。あんなの。あんなコンパクトボーイ」
一言余計ですっ。しかもなんか、侮蔑入ってます。そんな憎々しげに言わなくてもいいじゃないですか。・・・しかもそれが、まさかのめちゃウケ!
「コンパクト? 背低いの?」
「あ、そういう意味じゃなくて――」
「へえ? じゃあどういう意味? どこがコンパクト? 何がコンパクト? ぶはははっ!」
「ぶははははっ!(複数筋)」
ガールズトーク怖いっ。南高って、お嬢さま学校だったはずですよね? ミカもようやく、このネーミングの拡張解釈を理解したようで、耳まで真っ赤。うろたえながらも、しきりに「・・・コンパクトシティの・・・」云々の語源説明を、ぼそぼそ追加している。誰も聞いてないけど。
「彼氏じゃなきゃ、何なのあれ?」
こらこら。人を物扱いするな、って習いませんでした? ここでミカが、劣勢挽回を期して声を張り上げた。
「そうねえ。まあ・・・ツアーガイド兼ボディガードっていうか・・・まあ強いて言えば、下僕ってとこですかね!」
よく通るミカの声が、バスの中にこだました。
・・・ちょ! ちょっと待てっ。異議あり! それはいくら何でもひどすぎでしょ。それもろ差別用語じゃね? 「僕」が「下」ですよ? 身分格差がビルトインされてるじゃんそれ。そもそも現代のハイテクITにっぽん社会で、「下僕」なる職種・業務はあるんですかないでしょ。「私は下僕です」とか、名刺出す人見たことあります? 「執事」ならまだ探せば一人二人いるかもだけど、「下僕」とか出てくんのは少女マンガかラノベかアニメだけだよ! ミカさんひょっとして隠れアニオタじゃね?
まあミカの方からすれば、照れ隠しの軽いジョークのつもりだったんだろう。(と好意的に解釈しておく。でもひょっとして、マジで俺を下僕と認識してたりって可能性も、実は捨てきれない。今は考えたくない。)
だが、周囲の受けたインパクトは、彼女の想定を鮮やかに超えていた。そりゃそうでしょ! だって、優雅かつフレンドリーなリアルご令嬢キャラですから。その口からいきなり「下僕」とか出てきたら、そりゃ誰でも本気にしちゃいますよ。
「げぼく!?」
複数筋が異口同音、一斉に復唱した。驚愕したそれらの顔に浮かぶ、共通のイメージ。それはたぶん・・・這いつくばった地味男(俺です)と、その背後に仁王立ちの、ムチを構えて微笑むミカの姿。
やめてえっ! 変な想像しないで! これそういうラノベじゃないから! 俺そういうキャラじゃないから! 俺、もっと全然、男らしくてかっこいいヒーローキャラだから! そこんとこよろしく!
おっと! 衝撃はそれだけに留まらない。文字どおり、全乗客が振り返った。バスの運転手さんでさえ、「げぼく」ショックで急ブレーキを踏んだくらいだ。危ないっす! 結果、物理法則に従って、立っている全乗客がよろけた。ミカもよろけて、
「あっ!」
*
そのとき。しとしと憂鬱な梅雨の午後、気だるい空気の中で。
降りしきる雨の中を、ひた走るバスの中で。
二人の運命的な出会いが、そこにはあった。
力強いその腕に、思わずすがりついたミカは、甘い予感に誘われて、恥じらいながらも顔をそっと上げた。そして濡れた瞳で、頼もしげに、その腕の主を見上げた。
「・・・すみません・・・」
「大丈夫?」
・・・俺だった。ミカの顔が、ぴきぴきと音を立ててフェムト秒で凍った。
それから我に返ると、体を固くして、はっと飛びすさった。よく飛びすさるひとですよね。これ通算何度目ですかね。後ろにいた女子がぎゃっと叫び声を上げた。
「ミカ、足踏んでるっ」
「ごめんなさいっ」
*
俺がバスを降りるまで、ミカは一言も発せず、俺の顔を見ようともしなかった。顔面蒼白。俺が降りるとき、友だちのささやき声が流れてきた。
「ねえミカ! さっきのあの北高男子、要注意だよ。ミカの顔、ガン見してたよ! 気をつけた方がいいって! ああゆうの! 絶対危ないから。痴漢とかストーカーとか、絶対やりそう。顔で分かるっ」
あのな! 今のガールズトークで、俺ん中の南高女子のイメージ、そうとう落ちてるからな! これ以上、上塗りしないでちょうだいっ。
*
ケータイが鳴った。ミカから。お久しぶり。でもなんか微妙な雰囲気。
「・・・あの、今日はごめんなさい。挨拶できなくて。友だちいたから。ちょっと。うん」
「あ。気にしなくていいよそんなの。分かってるから」
沈黙。そして、
「・・・あの。あのさ。・・・ひょっとして、聞こえてた? 話、してたの」
もちです。もろ聞こえですわミカ殿。バスの全員に聞こえてましたがな。
「いや。全然。俺、友だちと話してたから。なんか大事なこと話してたの? 俺に関係あり?」
僕ちゃんの嘘つきっ。だけどミカは急に元気になった。
「あ。そお? そっかあ! ははっ。ならいいんだけどっ。いや別にね。別に大した話とかじゃなくて。全然、大した話じゃないの。山本くんに、全然関係ないし。あるわけないし。友だち知らないし、山本くんのこと。そう!」
それから急に怒り始めて、
「だけど、なんでまた、あんなとこにいたわけ? おかしいじゃない! あんなにくっついてたら、友だちが誤解するじゃない。今度から注意してもらわないと、困りますよ私。本当に」
「でもあのバス、北高も通るから。しょうがないだろ」
「だから! できるだけ離れててよ、ってこと!」
そして、どっちでもいいような口調で付け加えた。
「あ。でも、気がついたら、目で合図とかは、してもいいわよ。ちょっと頷くくらいなら。誰にも分かんないように。・・・なんていうか・・・そういう礼儀正しい挨拶って、やっぱり大事。でしょ?」
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