(3)

 車は、川沿いの見晴らしの良い県道を、まっすぐに走っていく。新雪さんは、助手席のミカと、南高の話で盛り上がっている。


「そうだよねえ。やっぱり東京から来ると、あの校則、やだよねえ。イミフだよねえ」

「・・・ははは・・・まあ・・・」

「女子高ってのも違和感あるでしょ? 今どき珍しいもんね。男いないの寂しいでしょ、ミカちゃんも。ふふふ。あ。でも。後ろのがいるからいいのか?」

「いや~足りないですよう全然あれじゃ。もっとばんばんイケメンいないとっ」


 おいっ。聞こえてるぞっ。


「言うなあミカ。山本くん聞いてる? もっとお嬢さまに、しっかり尽くさないとだめだぞお。捨てられちゃうぞっ。ひゃははははっ」

「ふぁははははっ」


 いいなあ二人で。俺をサカナに楽しんじゃってる。もう勝手にやってくれ。


 県道はやがて、川を右にそれてさらに南へ。市街地の景色が徐々に田舎町にとって代わられ、家も田んぼになっていく。遠くに見えていた山並みも、いつの間にか近い。


 信号を右折してさらにちょこちょこ曲がり、小さな神社の横を過ぎると、その先の道は狭くなり、遂に田んぼのあぜ道に毛が生えた程度になった。いちおう舗装はされてるけど、通る車は皆無。いるのは俺たちだけ。新雪さんは慣れた感じで、ちょっとした脇道のスペースを見つけ、車をバックで入れた。


「さあ着いたよ。お疲れ~」


 灰色の空がどんより薄暗くなってきた。降りて見回すと、・・・どっち向いても田んぼ。その合間に点在する農家。そして、新雪さんが「ここ、ここ」と指差す先には、細く続く用水路が見えている。サイクリングロードで見慣れた用水路よりも、もっとひなびた感じで、びっしりと緑の水草が生い茂っている。


「蛍がいるのはこのあたり。暗くなったらたぶん出てくるよ。ちょっと向こうまで、様子見てくるね。ミカちゃん行こう?」

「はあ~い」

「・・・あ、山本くんはここで待ってて。女子トーク。ははっ。男子禁制。それにさ――」


と、無邪気な笑顔で、


「この辺、ときどきクマが出るんだあ。見張っててねっ」

「へ?」


 ちょ! ボディガードの契約対象には、野生獣、入ってないんですけど!


「・・・出たら、どうすれば・・・」

「そうねえ。あたしたちと反対の方向に走って逃げて。目立つように。山本くんが囮になってくれてる間に、あたしたち車に避難するから。心配しないで。中からロックするから大丈夫」

「で、俺はどうやって車に戻ったら?」

「・・・」

「ひええええええ」


 びびる俺を笑顔で置き去りにして、女子会二人はさっさと用水路沿いを歩いて行ってしまった。声がだんだん遠ざかってゆく。「ええー」「うそお」「違いますよお」とか。ときおり楽しそうな笑い声が響く。何の話なんだろ。いいなあ。こっちは一人で寂しいのに。俺も混ぜて~。


     *


 辺りもすっかり暗くなって、遠くはもう見えない。今クマ来たらまじヤバい。でも、暗くなったらクマも寝るんじゃない? そう信じたい。ググろうかな。でも違ったらもっとびびる。それが怖くてググるにググれない状態です。もうクマで頭がいっぱいで、何のためにここに来たのか忘れている。


 そうだ。車の中に戻っていれば安心! でもたぶんロック掛かってるよね。それに、もし二人が帰って来たとき俺が車の中にいたら、臆病なのがモロ分かりで恥ずい。特にミカには、後で何言われるか・・・。ここはじっと我慢。


 それにしても暗いね! もう真っ暗! 街灯も月も星もない田んぼのど真ん中。海岸の夜よりもっと暗い気がする。自分の足も見えない。・・・だけど目が慣れてきたら、なんとなく、全ての物の輪郭が、青みがかった黒で浮かび上がってきた。雲に覆われた空も、それを透かした微かな月明かりなのか、遠くの街の灯りの照り返しなのか分からないけど、白っぽくぼんやりと光っている。


 お二人さんはなかなか戻ってこない。俺は不安を紛らすために、ケータイをいじり始めた。ケータイのか細い光でさえ今は心強い。ニュースにメールにライン。あれこれあれこれ。いろんなところをタッチ。あれこれあれこれ・・・。いきなり何かが俺の肩を掴んだ!


「ひえええええっ!」


 クマさんやめてえっ。それ契約外!


「メール? また白鳥さん?」

「ひえええええっえええっ」

「ちょ! なに大声出してるのよっ。こっちが驚くじゃない」


 絶対、寿命縮んだぞ。ミカが俺の肩越しにケータイを覗き込んでいる。


「ちょっと! ミカさんね! そうやって人のケータイ覗くの、良くない癖だよダメだよっ」

「大丈夫。覗くのはあなたのケータイだけだから。で、これは何? 〈カクヨム〉って」

「ひええええっ」

「なにその慌てっぷり。怪しい」

「こっこれはそのっ! いわゆる一つのっ。小説投稿サイトでっ」


 俺の正直者! なぜ言った?


「ええっ!? 山本くんって、小説書いてるの? へえええっ!」

「いやっ。俺は読み専でっ」

「でも入力途中じゃない」

「そ・・・それは・・・」


 ミカ刑事目ざとい! 目ざと過ぎるぞミカ刑事!


「すっごい! どんな話書いてるの? 私、出てくる? 後で見せて!」

「いやっ。これ異世界ものだからっ。俺TUEEE系だからっ。ミカさんは、絶対興味ないジャンルだから!」

「・・・そのうち絶対見せてもらうから」


 ヤバかった! つうかこれまじでヤバい。クマよりヤバい。ミカに見られちゃまずいことが、ふんだんに書いてあるだろ! 組織とか。ふとももとか。もう全部。・・・まあペンネームだし実名出してないし、とりあえずすっとぼけて絶対見せなければ、まず大丈夫だとは思うが。でも万一、ある日突然これが消えてたら、すいませんけど読者の方で事情お察しください。それとも、そのうちこっそり、異世界俺TUEEE系に書き換えようかな? 今のままじゃ、絶対そんな風にはならないだろうし(笑)。


「おーい。こっちこっち」


 少し離れたところで新雪さんが手招きした。


 あれ? 新雪さんの姿がちゃんと見えている。・・・驚いた。用水路から舞い上がってくる蛍の光を受けて、暗闇から、ぼうと浮き出ているのだった。


 上から水辺を覗き込むと、緑がかった黄色い光の斑点が二つ三つ、五つ六つ、十、二十、百、・・・ゆっくりとしたリズムでシンクロした明滅を繰り返しながら、ふうわりと立ちのぼってくる。


 はかなげなのに、なお力強さを内に秘めた、生命の営み。くうを漂い、風に舞い踊る小さなぼんぼりたちは、見る間にその数を増し、同期した明滅は、時空を伝う波動のように、ここからそちらへ、またそちらからあちらへと、たゆたい、流れた。俺たちは声もなく、ただその光の群れを眺めていた。


 ミカは微かな吐息を漏らすと、俺の肩に置いた手を、いつの間にか俺の腕に回し、身を乗り出すようにして、きらめく水面みなもを見つめている。脈打つ光の粒の波間に浮かんだその横顔は、思わず目を逸らしてしまうほど美しかった。写真撮りたい。でもさすがに光量が足りないよね。せめて、目に焼きつけておこう。


 そのとき! ミカの後方、暗闇の中に、さっと動く影が見えた。一瞬、野生の獰猛な目が、ぎらりと光った。


 クマだ! 俺は、反射的にミカの腕を掴んで背後に押しやり、前方へと躍り出た。素早く木の枝を拾い上げ、立ちふさがった。ミカはきゃっと叫んで、俺の背にしがみついた。ミカには指一本触れさせない! ミカは俺が守る! 俺って超かっこいい!


 いや待て。目が4つある! クマじゃない。魔獣だ! そんなばかな! これ、いつの間に異世界ファンタジーになったんだよ? だが敵はお構いなしに、地獄の番犬ケルベロスのごとき唸り声を上げて、俺に迫ってきた!


「山本くん! やめてっ」


 ミカ、止めないでくれ。俺はたとえ己が八つ裂きにされようとも、この命をかけて絶対にお前を守ってみせる! だが、ミカは後ろから、予想外の力で俺の腕をむんずと引いた。あっ、とバランスを崩した俺は、どうと後ろざまに転倒した。


 これにはミカも仰天したらしい。とっさに、俺の後頭部が地面に激突するのを阻止すべく、腕にさらに力を込めて、何とか引きとめようとした。当然の力学的結果として――地べたに大の字に倒れた俺のその真上に、ミカの柔らかな体が倒れ込んできた!


 その刹那。俺の脳髄から、蛍もクマも魔獣も消滅した。あるのは桃源郷のみ。これって! 夢にまで見たアニメテンプレ! かの伝説の、ラッキースケベ型エロシチュそのものですよねっ。まさか、よもやリアルで、こんなごちそうにありつけるとは! もういつ死んでもいいっす!


 しかも! 今回は、なんと肉体的接触のみならず、お嬢さまの恋心までいただいちゃいますっ。キスまであと1センチと迫ったそのお顔。その大きく見開かれた、黒い瞳の奥には、捨て身で姫を守り抜いた騎士ナイトへの、熱い情熱の炎が!


 ・・・あれ? でも何か思ってるのと違う。ミカの瞳の奥が、妙に冷たい。なんかじとっとして、侮蔑の色を帯びているような。気のせいかな?


 そのとき、――俺は激しく悟ったのだった。今、目の前で、ミカが俺にくだした裁定とは、・・・残念ながら「命がけで魔獣から私を守ってくれた騎士」ではない。そうではなくて、「人が止めるのも聞かずに、いたいけなタヌキの親子を虐待しようとしたサイコ野郎」なのだという、残酷な真実を。


     *


 ・・・おおっと。もちろんです。忘れちゃいけません。このお方。傍目には、あたかも情熱的に抱き合っているかのごとくに見えているこのふたりを、驚嘆の眼差しで凝視し続ける新雪さん。一人でうんうんと納得しつつ、


「すごっ・・・想像の斜め左上! 今どきの高1って、ここまで進んでたのかあっ・・・」

「違うううううううっ!」


     *


 ・・・おおっとお。これも忘れちゃいけない。もうお馴染みだよね。BB弾。そして〈P〉のメッセージ。


〈バカなのか?〉


 うるせえっ。お前が言うなっ。


 だけど、あれ? いつの間にか、もう一個、友だちが増えている。こっちは普通にちょっと長い名前だ――〈MIREMA〉。ミレーマ? もう、何だよこれ? うっとうしい。広告? スパム? 〈マモ~レ〉の親戚か? メッセージも、ちょっとだけ長めだった。


「話したいことがある。〈P〉の件だ。興味があれば返信してくれ」


 そして、


「ちなみに我々は〈マモ~レ〉とは無関係だ」


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