第18話
「姫様」咲に促されて、夏樹は眼下を見下ろす。
「何かしら、あの邪悪を絵にかいたような『人間』は・・・そもそも人なのかしら・・・・・」
真達の心配は敵中して、サユリアは街外れまで難なく真の匂いを嗅ぎつけてやってきた。
その姿たるや・・魔王そのもので。
暫く前から木の上で様子を伺っていた夏樹と咲はなるべく気配を消し、声を殺し、やり過ごす事にした。
『出来ればあまり闘わないで欲しい、真君の身に何か影響するかもしれない』
という魔王の言葉を思い出して身震いする。
『闘ってはいけない・・あれは邪悪な者の気配がするけど私達に向けられたものではない・・』
「・・おかしいわね・・・・子犬ちゃんの匂いが微かにするんだけど・・・、んまぁ・・この道を通ってどこからか来たんだから
残り香があってもおかしくないんだけど・・・・、街からどこに消えたのかしら・・・魔術師の力なんかじゃないわ・・・
魔王クラスの魔法だった・・・魔王なら地下に潜んでいるだろうから・・さすがに私にもわからない・・・。
ねぇ、そこの魔獣、何かご存知?」
「?!気付かれた・・、この距離で?」
サユリアは不機嫌そうに木の上を見上げて・・・
「魔獣の分際で・・・」
剣の柄に手をかける。
「私を見下ろすんじゃ、ないわよ!!!!」
風を切る音がして、木が倒れた。その木が倒れる影に紛れて夏樹と咲は移動する。
木は次々と倒れて、サユリアが剣を放った直線状に切り開かれた。
そのうちの1本の木の枝に足が引っかかり、咲が体勢を崩した。
「!!!」「咲ちゃん!」夏樹は咲の脚を枝の隙間から引き抜いて、その手を取って空を蹴って飛ぶ。
その眼前に
「あーら珍しい・・、バウニーじゃなーい」
「!!」
「山の頂上にしか生息しない獣人が、なんでこんなところにいるの?そして・・・」
逃げられないと悟った夏樹が、咲を庇いつつ地上に降りる。
続いてサユリアも降りて、二人は真っ向から向かいあった。
「どうして獣人如きから、あの子犬の匂いがするのでしょう?」
くすり、とサユリアは笑った。
「知っているのでしょう?「マコトちゃん」というお名前の、とっても可愛い子犬の事・・・、教えて下さらない?」
「・・・知っていたとして・・あなたはその人間をどうするおつもりですか?」
ビュウン!と風が走って、夏樹の髪を2.3本切り裂く。
それはただの風圧、サユリアがその手にした剣を振り上げただけの威力だ。
「獣如きが私と同じ目線で質問するんじゃないわよ。せめて首を垂れなさいな。
でも私は青薔薇の勇者と呼ばれる高貴な者だから特別に教えてあげて差し上げましょう」
こほんとサユリアは一息つくと。
「私はあの子を気に入ったの!あの・・誰かの庇護下でしか生きられず、思わず誰かを頼ってしまうあの子犬のような瞳。
少年特有の声と体。早く私のコレクションに加えてあげなくては・・私が守ってあげなきゃいけないのよ。
だからね・・・、知ってる事があったら・・・・・内臓ぶちまける前に言え、魔獣」
「真ちゃんは弱くなんかありません!!!」
ざわざわと夏樹の姿が変わってゆく。
両の二の腕は獣の毛皮を纏って筋肉で固められてゆく。
足もスラリと伸びて、より兎の脚のように形を変える。
両手両足の先には伸縮性の爪が鈍い光を放っている。
「はぁ・・・」サユリアが溜息をつく。
「獣と話をするなんて、所詮無理な話である上に、私の剣を汚すのも嫌だし・・」サユリアは剣を鞘に戻す。
「・・あなたが何もしなければ、私も何もしません・・・。でも真ちゃんだけは私が守ります!」
「獣が・・・・・・べらべらとよく喋るわねぇ」
呼吸のひとつも乱さずにサユリアは拳を3激放つ、避けられない事を察知した夏樹は両腕をクロスしてそれに耐えようとした。
その次の攻撃は既に脚元に放たれていた。
両腕は弾き飛ばされ、足元を掬われた夏樹は、体勢を崩すまいと後方に跳んで逃げる。
だがその先には既にサユリアが・・右拳を左の掌に打ち付けて『待ってました』と言わんばかりの笑みを浮かべていた。
夏樹はもう一度方向転換をする。
そこに地面がなくともバウニーの脚は空を蹴る事が出来る。
「まーったく、ちょろちょろと・・」
「あっ!!!!ぐっ!!」
脚を掴まれた、人間の片手で。
夏樹は地面に叩き付けられる。
その手から逃れようと、咄嗟に空いた脚でサユリアの肩を蹴ろうとするが、既に体勢を変えていたサユリアに
再度地面にたたきつけられた。
『・・なにこの力・・・!!・・バウニー族の姫である私が・・・っ、人間に?!』
「よくも」
「ぅぁあああああ!!」
掴まれた脚がミシミシと音を立て、夏樹は思わず声を上げた。
「よくも、こんな汚ったないもの、触らせてくれたわねぇ・・・このクソ獣人!!」
サユアリは何度も何度も夏樹を地面に叩き付ける。
「さすがはバウニーね、頑丈だこと!」
止めとばかりにむき出しの岩肌に叩き付けられて、夏樹はぐったりと地面に倒れ込んだ。
意識が遠のく・・・
その時
「お嬢様!サユリア様~」
遠くから人間のいかにも執事と言った服装をした男が走ってくる。
「お嬢さま・・このような所で何を」
サユリアが地面に目をやると、そこにはもう夏樹の姿は無かった。
「ちょっと獣人と遊んでたのよ、手が汚れたわ、全く・・・あんなの相手にしないで斬って捨てればよかったわ!
それで?何かしら」
「もう出立のお時間です。この街への滞在は数時間とのお約束だったはず・・」
「わかってるわよ!お気に入りの子犬には逃げられるし、リューには会うし、獣人は殺し損ねるし・・散々だったわ、
先を急ぎましょう」
サユリアが颯爽と歩きだすと、執事も慌ててその後を追った。
「・・・めさ・・ひ・・・めさま・・」
頬にぽたりと暖かい滴を感じて目を開く。
その途端に走る痛みに歯を食いしばり声を押さえた。
手を伸ばして、愛おしい少女の頬に流れる涙を掬う。
「・・咲・・ちゃん・・、ありがとう・・もう、逃げる力も無くて・・・あなたは大丈夫だった?」
咲は目に一杯の涙を溜めて何度もうなづいた。
草を敷き詰めたベッドに横たわる夏樹は元の人間の姿に戻っていて、掴まれた足首は赤く腫れあがっている。
その傷口には咲が薬草を揉んで作ったのであろうものが塗られていた。
「・・・あの人の前に出たら、咲ちゃんが真っ先に狙われる・・そう思ったから、隠れているように、命令したのは私だから・・・
そんなに泣かないで、私は大丈夫だから。」
「・・っふえ・・・姫・・様ぁ・・っこわ・・怖かったっっ・・私っ・・ほんとに逃げる事しかできなくてっ・・魔王様を呼べば・・こんな・・」
「もう大丈夫、敵は去ったわ。きっと真ちゃんは魔王様と一緒で動けない状態にあるのよ・・これが最善の選択だった・・・」
「・・っく・・・私・・・バウニーの戦士なのに・・・っ・・」
泣きじゃくる咲の髪を、頬を、撫でて宥め、夏樹は息を吐く。
「命があっただけでも良かった・・、今度は負けないわ。真ちゃんを守るのは私たちよ、そうでしょ?」
「・・っあい!」
咲は涙を腕で乱暴に擦ると、大きく頷いた。
肌寒さを感じて目を開く。
知らない部屋は薄暗くて、ベットの横には仄かな明かりがゆっくりと点灯していて壁に掛けられたドライフラワーや
乱雑に積み重ねられた書物を照らす。
暫く目を閉じて・・・そして飛び起きた。
「夏樹!」
ベッドから飛び起きて、部屋の入り口らしきものを探すが、その部屋には扉が無かった。
龍が勇者同士で言い争い、その原因は何故か真で、真の匂いをたどって追ってくるから・・そういう理由でこの街に住む魔王
の部屋に匿ってもらった。
しかし、万が一夏樹や咲に危害が及ぶような事はないのか・・真は魔王や勇者に尋ねたが返事は無く・・・・。
『夏樹や咲が危ない目にあってるかもしれないのに・・!なんで俺だけいつも・・!!』
「オッサン!龍!!!」
ぐるりと部屋を見渡し、壁を叩く。
扉に続く何かが無いか何度も叩き続けた。
「オッサン!!!」
「大丈夫、ここにいるよ」
ふと、拳が柔らかいローブに包まれる。
「あのバウニー達は大丈夫、僕が確認してきたから安心して」
「・・・俺も助けに、行きたい!」
「あのバウニー達はもう大丈夫さ・・・、もうすぐ元凶もこの街を去るらしい。それまで、悪いけれどここにいてくれないか?」
「・・・本当に・・夏樹達は・・龍も・・大丈夫なのか・・?」
「僕が大丈夫と言っている、だから大丈夫」
真は力が抜けたように「そうか」と言って。
今まで横になっていたベッドに腰かけた。
「少しだけトラブルがあったのだけれども、もうすぐ、今度こそのんびり出来るさ・・・僕を信じてくれるかい?」
真は頷いた。
何の前触れもなく部屋に現れた魔王に勇者は驚きもせず
「真ちゃんヘコんでたろ?」と意地悪く言葉をかける。
「・・・・・」
「なんだよ・・」
「いや、真君は素直にいう事を聞いてくれたよ、それより勇者、責任を感じているならそれ相応の態度というものがあると
僕はうれしいのだけれどもね」
勇者は紫の魔王の部屋で優雅にティータイムを楽しんでいた。
「んだよ・・、つっかかってきたのは向こうだし、あいつはやるって言ったらやる「男」だからな。力任せに街中ぶっ壊してでも
真ちゃんを攫っただろうよ。今この状態、これが最善じゃねーか、何カリカリしてんだよ」
「僕はまだバウニーの消息を確かめていない」
「・・・」
「君は僕に嘘をつかせた」
「・・・・・・」
「僕はそれをとても遺憾に思うよ、僕の目を見たまえ、そしてそれについて弁明を」
「無い!テメーが俺を気に入らなければどうにでもしろ」
勇者は椅子に片足を組んで目を閉じ、腕を組んで堂々と魔王と対峙した。
魔王はその姿を見て、深く深く溜息をついた。
「どうして君たちはそう「有る」ものなんだい?
真君のように純真で健気な心を持つものもいれば、勇者、君のように短絡的思考しか持ち合わせない厚顔無恥で
金に汚い俗物もいる。どうしてこうも違う。少しは「整えて」欲しいものだ」
「短絡的思考は勇者の「勘」、厚顔無恥は鋼の「心」、金に汚いのは生きるための「知恵」だ」
ますます踏ん反り返るほどの勢いで言い放つ勇者と、肩を落とす魔王。
紫の魔王はその姿を見てころころと笑う。
「本当に見ていて飽きないわぁ・・人間の子供というものは、こうやって「親」を試すのよ?
この子はあなたの愛を欲しているのよ」
「違う!」「断じて断る!」
勇者と魔王の言葉は重なり、紫の魔王は本当に愉快そうに笑った。
「さて、あの悪の加護を受けた勇者は西へ旅立ったわ。でもまだ油断できないの、あいつはこちらを見ている・・・。
本当に魔王より恐ろしい人間ね」
水晶玉を前にか細い声で告げる紫の魔王に、「よっぽど真ちゃんが気に入ったんだろうぜ・・」勇者が呟く。
「真君の特殊な力を無意識に感知しているのならそれも仕方のない事だが、何しろ「執着」という呪いが、魔剣によって増幅されているのも
厄介だ・・ポンコツ勇者の聖剣では相手にならないし、僕だってこの手の呪いには少し手を焼く・・・・
少しづつ執着も薄れつつあるけれど・・」
「あの坊やを隠してしまって数時間・・執着が「呪い」と言うならば、この街の魔王である私がそれを切り離すわ」
魔王は少し動揺したように紫の魔王を見る「いいのかい?今の僕には返せるものも、契約出来る事も、何もないのだけれど・・」
「言ったでしょ、この街の問題はこの街の魔王のもの。悪いけれどそれ以外は・・そうね、お守りを作ってあげるくらいかしら」
「・・・お守り・・そんな貴重なものまで・・・何故・・だろうか?」
紫の魔王は勇者と魔王を振り返り、静かな声で綴る。
「あなたが来てくれて、退屈な毎日に光が差したわ・・・あの子にも真実を告げる事が出来た。
その「お礼」では「おかしい」かしら?」
「貰えるってならもらっとけばいいんじゃね?」勇者は魔王に軽く提案するが、魔王の顔色は冴えない。
「魔王が「礼」・・・・」
顔色の悪い魔王に、紫の魔王は笑いを押隠して続けた。
「あなたも随分と魔王らしくない振る舞いをしているじゃない。軽率な勇者に手を貸したり、人間を助けたり」
「それには色々な事情があり・・それは私の使命というか・・なんと言うか・・・」
「あなたはそれで、私は私の考えで動くわ。魔王が長命とは言えいつまでも黴臭い縛りにばかり囚われてばかりではいけないの」
「しかし・・縛りとは、魔王が王たる・・」
「魔王としての契約は一度果たした。あなたの頼みも聞き叶えた。それにお守りなんて貰ったら、あなたの命を数百年ばかり頂くくらいの
「縛り」は必要でしょう。でも、要らないのよそんなもの、魔王の寿命なんてもの「今の私」には蜥蜴の尻尾より無意味なもの、だから「お礼」」
魔王は項垂れ「こんな事初めてだ」と呟いた。
「それって、俺のおかげじゃん?」悪びれも無く笑う勇者を・・・少しだけ「うらやましい」と思ってしまう魔王は
自分自身に目覚めた感情に戸惑うしかなかった。
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