第2話 紅葉は山にて花を摘む

 何故ここまで面倒な案件が出来たか。紅葉コウヨウの頭の中はそれについて、ある程度考え得るものがある。それは全く予期できぬものではなく、むしろいずれ、魔女にも手が及ぶだろうと確信していたことだ。


財発ざいはつか……」


 財団法人・発条産業自立開発機構ぜんまいさんぎょうじりつかいはつきこう。外見は、機械産業の発展のために投資を行ってくれる、国内産業の潤滑油だ。その実態は、中小企業を生かさず殺さず、延々とカネを回収していく闇金である。


 それが世に認識されていないのは、あくまで融資自体は合法の範囲で行い、企業にとっての成功例も多く存在するから。だが彼らは大抵その後、『偶然』で対抗商品や新技術のかませ犬となり、再び援助に頼ることになるのだ。


「しっかし魔女も結構世話になってるねぇ。あのジジイなら、一人くらいは歯牙にかけてると思ってたけどさ」


 財発の代表は、表に出ることがない。それの正体を知るのは、財発としてでなく、代表個人が結ばなくてはならない契約の相手、すなわち死神を除いて他にいない。


「まあまずは、被告の選定かな」


 紅葉は立ち上がり、魔女のコスプレを解いてから、己の領域から出た。そこは魔女集会のボロいビルではなく、山中にある藪の中央の空間。古い学習机のようなものが一つと、背を向けて立つ長身長髪の女性。高山だというのに、まるで寒さを気にせぬ薄手の白衣。


「や。薬物専門魔女の難井にくいサン」


「……!? 死神!」


 振り返った難井は、咄嗟に左手で薬瓶をケースから取り出す。中身は、持ちうる薬品の中で最強のものだ。唐突に現れた、見知らぬ死神に対する行動として、決して過剰なものではない。


「ほら、こっちは素手さ。魔法でなんとかしようにも、本業には敵わない。だから、話だけでも聞いてくれないかい。その消失薬置いてよ、肉体も概念も消失させられちゃあ、お話にならない」


「……。内通者がいたか」


「逆逆。アンタのほうが内通者の容疑だよ。どうやら関わりは薄いみたいだけど」


「……? どういうことだ」


「アンタ、財発に金を借りたね」


 難井は大きく目を開けて、すぐに顔を逸らす。


「……っ。それだけで裏切り? はじめは銀行経営でもしていたか」


「そんな訳がない。我らが盟主・鯨紗げいしゃはじめサンが探しているのは、〈魔女の秘術の設計図ウィッチクラフトコア〉を財発に与えちゃった奴だけさ」


 それを聞き、怯えの顔を止めた難井は、机に向き直って作業を再開し始めた。水素イオンに関係ない工程であったために、数分放置した程度では失敗にはならない。


「……うん。だったら僕は関係ない。君が言っていた通り、一度カネを借りて返して、それ以降関係はないから。君は僕を殺さない」


「ホントウ?」


 死神の鎌が喉に掛かる。目の前でやって見せられて初めて、否、現れた時に体感していたはずのに、難井はここで、死神の挙動に魔術が一切関わらないことを知った。


「アンタはこっちを勘違いしてる。確かにここに来た理由は、はじめサンからの依頼さ。消して欲しいっていうのも、さっき言った奴、奴らかもな、だけ」


「……だったら。僕を殺す理由はないはずだ」


 豪胆にも難井は首を動かさず、目と手だけで作業を続けた。


「いいや、アンタは殺す」


「……ああ。これ、カマをかけられてるのか、二重の意味で。よっぽどのものが漏洩したんだね」


「言葉遊びの暇があるなら武器を変えるよ?」


 首の左から前へ伸びた死は消え去り、後ろの一点のみに集約された。銃なら空いている穴のがない。


「……? クロスボウとは、なかなかオツだ」


 首の右側の冷たい感覚が消える。同時に、温かい感覚が首から溢れた。


「うるさいな。だから、殺すって言ってるじゃん。魔女だろうと身体は人間なんだからさ。健康寿命誤魔化した程度じゃ、死神からは逃れられないよ」


「……は。は、?」


「アンタを調べさせて貰って、ちょっと気に食わない実験が多くてさ。アンタ、若手を消費しすぎ。しかも全部誘拐で賄うとか、すげームカつく。だからこの際死んでもらうわ」


 薬瓶には、多量のヘモグロビンが混入した。覚書も、赤黒く染まって読めなくなる。


「……あ。これ爆は


 それが難井の最期の言葉となった。その言葉通り起こった爆発を、紅葉は自分の世界でやり過ごす。


「さて、ネズミ講の原初は消えたけど。〈魔女の秘術の設計図〉はどのタイミングで漏れたのやら。さーて、今日は帰るか」


 紅葉がそのまま都心に帰り、もう生物がいなくなった藪の中には、唐突に湧いた積乱雲から雪が降り始めた。周辺は登山者すら忌避し、地図上だけの実質廃道と化して百年超。雪山登山が可能な場所でもない厳しい環境下。九十一歳の魔女・難井小堂にくいこどうの遺体が発見される未来は来ない。




 ここで、紅葉が戻ってきた菫交差点の説明をしておく。先述の通り、片側二車線の大通りと旧道の一車線道路が、丁字路を成しているのがこの信号交差点の概要だ。見通しも良く、道幅も充分。交通量こそ多いが、ここが大幅な渋滞の原因になることはない。


 ただし。ここでは毎月のように死亡事故が起こっている。その量、昨年度で十三件。別名『呪いの集積所』『死神の住処』。


 これら連続事故の新聞記事が、当時新人だった紅葉を呼び寄せ、その『根源』たる死神協会の資金調達の仕方を知るのだが、これは別の話。




「あーあ。またやったね、死神協会」


 沈みゆく夕日の中。菫交差点、本年度六件目の死亡事故。被害者は、学校帰りの高校生の男女二人。手慣れた手つきで救急車は死体を運び、「容疑者不在」のまま多くの警察車両は現場を後にする。


「どっちがココに縛られてるのか、分かったもんじゃない。なあ、病垂」


「いえ、我々はここで殺そうなどとは微塵も考えていないのですがね」


 それは分かっている。ただの当てつけだ。紅葉はわざわざそんなことは言わず、「あっそう」の言葉で済ませた。


「でもさあ、首輪くらい付けられないの? アンタ等が嫌う私の行動って、あのジジイが自制するだけで解決するよ? 子供が死にすぎる特異点がないのなら、ここに付きっきりになる理由はないし」


「ええ、まあ。それはそうです、一理あります。一応、働きかけはしていなくもないですが……」


「だったらなんとかしろよ、コミュ力雑魚野郎」


 謂れのない悪評を唐突に受け、病垂は少々落ち込んだように項垂れた。


「……紅葉サン。協会員ってだけで、何にでも関わっていると勘違いされては困ります。一応ヒラではないとはいえ、教導以外の件に口出しできるほど、この病垂は偉くはないのです」


 今回の運転手が、あくまで善人だったのが功を奏した。最後に残った警察官たちが、街路樹に刺さった少年の眼球を発見し、部位を全て揃わせた。ガードレールに座り込む人外双方、血痕の掃除が終わり、最後の車両がいなくなるのを眺めていた。ただ一応、通行止めは継続するらしい。


「……で? 最終通牒ってのはどうなったのさ」


 先に口を開いたのは紅葉のほうだった。


「いえ、ここに依存しない計画を立案できているなら、こちらから言うことはありませんよ。到着が遅れたのも、命を貰ってきたからでしょう?」


「正解だよ。……というか、以前から殺しに行ってたけどね」


 病垂はノートを取り出し、紅葉の顔と交互に確認し始める。紅葉は、大方、自分の寿命がどれほど残っているのかを推察しているのだろうと思った。


「……そうだったんですね。すみません。それなら完全に、今までのことはこちらの落ち度です。確認不足で不快にさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」


 病垂は車道に立ち上がると、深々と紅葉に頭を下げる。そのさなかに、ぴったりとズボンにつけた右手の親指で、空間に穴を穿いていた。


「早急に要観察リスト、要寿命測定リスト、あと金融系ブラックリストから外しておきましょう。今日はこれで失礼します」


「はいはいよろしく……ん? おい! 急に通販が上手くいかなくなったのアンタ等の仕業か! クッソ、信頼返せよ、逃げんなコラ!」


 病垂は高速回転しながら、紅葉も初めて見る速さで穴に吸い込まれた。掴もうにも掴めず、見事に逃走を許した紅葉は、ガードレールを叩くことしかできなかった。


「畜生ー! 絶対許さねえぞ死神協会ぃぃぃ!」

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