死神は母になりたがっている

貝殻 鍵

第1話 紅葉は今日まで普通に過ごす

「青信号でも死ぬときは死ぬよ」


「え?」


 左折した高級車は、何を確認することもなく、横断歩道を横切っていく。丁字路の交差点には、少年と少女だけが残る。現在は冬の十六時。車通りは絶妙に少ない。


「自分が善を成せば、社会も善を返してくれると思ってるんだ、あの人。自分がどれほど危険なことをしているか分かってない」


 ガードレールの上、鈍色のマントと赤いフードの少女が、なんとなくかっこいいポーズをしながら言う。少年は必死に、「どの口が言うか」と言いたい気持ちを抑えた。


 歩道信号は点滅を始める。赤色が点いたところで、少女はまた口を開く。


「あんなのを運転手にするなんて、完全にバカだよ、あの男。完全にバカにしてる」


 少女の顔からは、特に感情を推し量ることはできない。ただ淡々と、普通であれば怒りが見えるであろう言葉を口にしている。


「あの車にいた人間は全員、自分が人殺しになりかけたなんて全く気づいちゃいない。自分に限ってそんなことはないって思ってる。だから事故を起こすっていうのを、もう一生気づけないかもな。特に、あの運転手は。後ろめたいことなんて一つもしてないのに。もはやかわいそう」


 大通りと小道の交差点であるこの場所で、先程青くなった小道側の歩道信号は、定めに従って点滅を始める。同時に、四方の街灯が点灯を始めた。


「いつまで余所見してんだか。まあ、鎌が首元にかかりかけたんだ、それも仕方ないかね。こう見ると、コイツも事故を自己だと思ってなかったクチだねこりゃ」


 きっと鎌とは死神の鎌を指すのだろう。少年は唐突に出た比喩表現に、案外冷静になって思考できた。確かに言われた通り、事故に巻き込まれることなど想像したことはない。だが確かに、頭は冷静に回っている。


 少女は器用に、ガードレールの薄さへ横になって見せた。ズボンなので、見えてはならないものは見えない。少し残念だ。


「全く。する側もされる側も、いつだって他人事だ。後で後悔できる機会があるなら、それはそれで幸せだろうけど」


 一度街灯が消える。少年は一気に暗くなった空を仰ぐと、またすぐに点灯する。暗さが微妙な時に、たまに起こる現象だ。これは怪奇現象ではない。だが目線を元に戻した時には、あるべき者は消えていた。


「また赤になるんだから、さっさと前後左右確認して渡りなよ。これから車通りが激しくなるのは理解してるでしょ、さっさと行った行った」


 それでも、声はどこからか聞こえてくる。


「反応できるようにしておくの、こっちだって辛いんだから」


「ちょっと待って!」


 ……無音。


「ありがとうございました」


「別にいいさ、趣味だもの。いつもやっていることさ」


 今度は間髪を容れず、おそらくは耳元で、声が聞こえた。


「これから君らは、もっと酷い目に遭うかもしれない。だけど、私の下では安心だ。本当に面倒な案件があれば、ここに持ってくるがいいさ。人間に解決できないものも、解決させられるかもしれない」


 信号がまた赤くなる。


「だが、もしもつまらない案件なら……」


 信号無視の車が通り過ぎて、声も消えた。明るい三叉路には、もう自分しかいない。車通りもなくなっていた。


 あの少女は、決してこの世のものではなかったのだろう。ただ、序盤中盤終盤、最後まで説教する姿をしていなかった以上、姿を見られることは向こうも想定外だったに違いない。そう考えると、少し笑えて来る。


 このインシデントから五分かけ、九死に一生を得た少年・駿河するがは、足を横断歩道へ踏み出し、己の居るべき場所へ向け、交差点から離れた。




「それで、また命を助けた訳ですね。紅葉コウヨウサン」


 日付変わって二十六時。横向きのままガードレール上で睡眠を取っていた紅葉は、後ろから黒いローブの男に声をかけられて目を開いた。


「別にいーじゃんよ。法を犯した訳じゃあるまいに」


 男はため息を吐いたが、やはり彼女と同じく、表情は一切変えない。


「しかしですね、道祖神のモノマネというのは、コンプライアンス的にどうなのでしょう。前回もお話しましたが、このまま知名度が上がりすぎてしまうと……」


「完全にこの交差点に縛られた、道祖神そのものになるかもしれない、でしょ。そうなりゃもう、私は寿命まで一直線に老いていくだろうね」


 男は相槌を入れながら、テンポよく話を進めていく。夜のドライブか、煩い排気音が遠くで鳴った。


「ええ、ええ。ですから、せめてそういうことをするなら、期間を五十年は空けるなり、もしくは、そもそもこの場所を拠点にするのをやめていただきたい、というのが、一切変わることのない我々の主張です」


「やだよ」


 間髪を入れずに紅葉は答える。


「もう一度言うけど、死神が命を助けちゃいけないルールはない。そして私が導いていた対象は、アンタらがだいたい持って行ったじゃない。仕事を奪っておいて、真面目に働けって要求するのはふざけてる。そもそも病垂ヤマイダレ、アンタも今、命奪ってないのは一緒でしょ」


 病垂は、法定速度の倍である、百キロを超える車に激突された。もちろん加害者は気にも留めないし、被害者も平然と立ち尽くしたままだ。それでも病垂はしばらく言葉を発せず、暴走車の音が聞こえなくなったところで、ようやく口を開けた。


「あの少年程度、やろうと思えば簡単に……」


「あーあー! やっぱりそれだよ。馬鹿の一つ覚えで未来を奪おうとする。馬鹿は雑魚だ。馬鹿は弱者しか狙えない。だから私が守らなきゃならなくなるんだ。面倒くさい」 


 紅葉は欠伸をしながら、ようやく上体を起こして地面に立った。「いいかい」その目は真っ直ぐに病垂を見据えている。


「私は別に、アンタらがいくら賄賂を貰おうと、これっぽっちも気にしちゃいない。でも、そのせいで子供が死ぬのは見過ごせないんだ」


「……しかしですね、我々にも、先立つものが必要なのは事実なのです。我々は回収した金銭を用い、責任をもって、死神全体の益を出します。人間のような、小汚い守銭奴のようにはしません」


「だーかーらー!」


バン! とガードレールが鳴る。病垂は何も言わず、両手を小さく挙げた。


「あああ、もういいや。こっちの主張を受け入れるつもりが無いのは分かってるんだ、互いに時間の無駄だよ」


 右手を、病垂のように小さくひらひらさせる。


「とにかく、私は何があろうと、子供を殺す気はない。殺し甲斐のある大人を寄越せよ。私は子供を殺そうとするなら、師匠とだって闘う意志がある。私は頑固だよ」


「ふむ。矢祭ヤマツリサンとも……」


 病垂は両手を下ろして、それから顔に手を当てた。今度は、カップルの乗った遅い車が、ゆっくりと病垂を轢いていく。それが去って、地面のポールのように立ち上がってから、病垂は虚空を手刀で切った。


「分かりました。ではまた後日、最終通牒に参りましょう」


「二度と来んなばーか」


「この場を離れてくれるならば、それで縁を切れますがね」


 手刀で開いた、小さな隙間に吸い込まれはじめた病垂は、こればかりは露骨に不快感を露わにした言い方だった。だんだんといなくなっていく病垂を、紅葉は黙って見ていた。そうして、病垂は左上半身を残し、虚空へ消えかけている。


「ふーん。じゃあいいよ、別のトコにも行くから」


「……えっ、ちょ、それな……



 消滅の間際、ついに晒した病垂の困惑に、紅葉は満足してその場を離れた。当て付けだから、行く宛はない。


 三十時間後、紅葉はまた、もとの『すみれ交差点』に戻った。




「はー、あほくさ」


 先述の通り、紅葉は決して、菫交差点から離れられない訳ではない。人脈は、それなりにあるつもりだ。例えば、魔女集会には結構な頻度で傍聴している。


 元々ピンキリな魔女界隈では、紅葉の異質さを気に留める者はなかった。そして、紅葉自身の寿命狩りが集会場で行われた経緯はないために、主催者のほうも止めることはない。


 紅葉が、魔女と繋がっている理由はいくつかある。


 第一の理由が、魔術師に頼ろうとする者は、邪な考えを持つ大人か、もしくは興味本位で呼び出しの合図を送った子供であること。


 半分部外者である紅葉は、これらの「処置」をするのに丁度いいので、一部のイリーガルウィッチを除けば、こういう仕事は需要が高い。死神に食い扶持を渡しているという実績は、いずれ役に立つと考える魔女もいるだろう。


 第二に、死神そのものは、特段の特殊能力を持たないこと。


 種族そのものの性質として、人間のいる三次元と死した者の領域【魂次元】の行き来こそできるものの、死神としての職務『死すべき者を殺すこと』を進める手段は、後付けで手に入れねばならない。紅葉にとって先端魔術を知ることは、武器の修練をすることよりも楽しいことであった。


「結局のところ今回も、術者の差異によって、同じ式、同じ条件においても結果が異なる理由は、具体的に特定するには至りませんでした。ただこれまでの数千のデータから、術者の師事した者が同じ場合、かなり近い結果が得られると分かったことから……」


「『結界が決壊した』という駄洒落を知った者の結界が、しばらく決壊しやすくなる件について……ああ、やめてくださいよ! 語彙力消失薬は配布しますから!」


「過去、神の信仰者が使った【奇跡】と現代魔術との類似性は多くみられ、当時の魔術では理解されなかった研究者が、ニワカから祀り上げられたケースがあったことが認められる、と結論付けます」


 魔女集会に参加する死神は、他にいないでもない。紅葉がいるような、有象無象の中級コースにはいないが。ただこの階級には、実績がないだけ、とか、有名人に師事していなかった、というだけで弾かれ落ちた、十分に利用価値のある研究も存在するのは確かなのだ。


 はじめは騙されて連れてこられた場所だが、紅葉が今も足繁く通う理由は十全にある。紅葉は今日も十分な知識の収穫を得た、と満足した。


「やあ、死神君。本当に君は魔女が好きだね」


 白いリスを頭に乗せた、白い長髪に白いコート。長身で中性的な顔立ちとなれば、視界に半瞬映っただけで、この集会の主催者であることは分かる。これでも、彼女自身は、女性として扱ってほしいらしい。名前を、鯨紗ゲイシャという。


「……貴方も。仕事でもないのに死神に近づいてくるとかレア過ぎ。師匠も対処法知らなかったし」


「君が死神に収まる枠じゃないってことは、ボクの勘が教えてくれるさ。こちら側に来たって、きっと上位陣に食い込めるよ」


「魔女に転生する気はさらさらないんだけど」


 ずっと、こうである。紅葉が何を言っても、魔女になることへの勧誘は止まらない。ただ、病垂ほどしつこくもないし、このように相応のリターンは返してくれるので、紅葉には特段、彼女を嫌う理由はなかった。


「ま、しゃーない。ほい、今回のリスト」


「はいどーも。そういう粘着しないの好きだよ」


「もーぅ、ボクたちは女の子どうしじゃないか、たらしものめぇー」


 紅葉は、顔を融解させた鯨紗を置いてそそくさと会場を出る。この先の発表は有意義ではない……リストを渡してくるのは、その合図である。いくら魔術に造詣があっても、魔女そのものに関する題目は、死神には意味が薄い。


(普段なら、もう二、三くらい会話するのにな)


 それはすなわち、早めに片をつけてほしい案件ということ。廃ビルを出た紅葉は、自分の世界に閉じこもった後、渡された白い封筒を開いた。


「……うわ、めんど」


 普段、数人あればいい裏切者が書かれただけの紙には、びっしりと容疑者リストで埋まっていた。最後の部分には、ここまでリストが膨れ上がり、かつ、多くは「狩れない」ことになるだろうことを謝罪する文がある。されど別の紙には同時に、明らかな脅しの文も添えられていた。

『追伸:この案件の放置は、必ず子供たちの殺戮に繋がるよ』


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