第338話 戦争と平和

 ウクライナ大使館前のテロ事件は、すぐに報じられた。

 直後、ロシア大使館がSNS上で反応する。


『今回の事件に我が国の人間が関与した事実は、御座いません。

 誹謗中傷などは、相応の対応を採らさせて頂きます』


 犯人=ロシア人説がSNS上で拡散されたことへの反応だ。

 続いて、ウクライナ大使館も、


『今回の事件は、現在捜査中です。

 捜査についてのご質問については、答えることが出来ません。

 また、特定の民族を誹謗中傷することに対しては、反対しています。

 ご理解の程、宜しくお願い致します』


 と軽くだが、釘を刺す。

 悪いのは侵略者というのが、ウクライナ政府の考え方だ。

 両国の間で急速な雪解けが進む中、トランシルヴァニア王国も動いていた。

『ルーシの獅子』なるテロ組織の情報収集である。

「あの、暑いんだけど?」

 大使館に戻った煉は、背後にオリビア、腹部にミアとシャロンに抱き着かれつつ、報告書を読んでいた。

 執務室には、BIG4や皐月たちも居る。

 流石に心配で今日は、離れないようだ。

「勇者様が心配で心配で……」

「本当よ」

 皐月が渋面で頷く。

「下手したら感染症で腕切断もあったのかもよ」

「マジで?」

「マジマジ」

 肩の硝子片は、皐月が治療した。

 あの場で抜かったのは、抜いた後の出血量次第で命にかかわると判断した為である。

 案の定、それは正解であり、皐月はあまり緊張せず、無事に治療することが出来た。

 皐月が頭を撫でつつ、尋ねる。

「それで襲ってきたのは?」

「過激派らしいよ」

 生存者2人は、警視庁と押し問答の末、切り札である外交官特権を使用し、それぞれの大使館が引き取った。

 後ほど、外務省から抗議が来るだろうが、遺憾砲だけで結局は有耶無耶うやむやになる筈だ。

 法律は平等であるのが、当たり前なのだが、相手が上級国民だと話は変わってくる。

 特に今回は、相手が北欧最大級の産油国と世界有数の農業国であることから、資源が乏しい日本は、毅然とした態度を取りにくい。

 現場の警察官は不満だろうが、これが外交というものなのだ。

 皐月は、首肯後、

「司、法定劇物の89番を尋問中のライカちゃん達に渡してあげて」

「は~い」

 司は保管庫に行き、89番の劇物である硫酸の瓶を入手する。

「おいおい、医者が酸攻撃アシッド・アタックするのか?」

「違うわよ。煉。殺すのよ」

 額にすじを作り、皐月は嗤う。

 医者だからこの手の劇物は、一般人よりも入手しやすい立場にあるのだが、まさか悪用するとは思いもしなかった。

「キーガン」

「は」

 キーガンが司の首筋に手刀を叩き込み、落下する瓶をウルスラが何とかキャッチ。

 司は気絶し、皐月が抱き留める。

「煉、何するの?」

「君達を犯罪者にしたくない」

「でも、夫を殺されかけたのよ。復讐くらいさせてよ」

動害報復タリオは、合法化してからな?」

「そう? 残念……」

 煉の思いを分かったのか、皐月は先ほどとは違う優しい笑顔を見せつつ、司の頭を撫でる。

 大使館の敷地内なので、皐月と司が犯罪を行っても、日本の司法は届かない。

 それでも、煉は、2人の手が汚くなるのは、本意ではなかった。

 皐月を手招きしてキスし、なだめる。

「気持ちは有難い。でも本心だから」

「……分かったわ」

「今日は休み」

「ここで寝ていい?」

「いいよ」

 今度は皐月の方からキスする。

 そして、名残惜しそうに別れ、司を抱っこしたまま器用に布団を敷く。

 それを見たBIG4も同じように布団の準備を始めた。

 全員、ここで寝るようだ。

 煉は、尚もコアラのように抱き着いては離れないオリビア、ミア、シャロンにキスし、落ち着かせるのであった。


 人権条約の一つに拷問等禁止条約というものがある。

 その名の通り、拷問などの人権侵害を禁じる国際法だ。

 2021年6月現在、締約国は171か国であり、これは国際連合の加盟国の193か国(2021年7月現在)に匹敵するほどの多さである。

 日本も平成11(1999)年に加入し、人権感覚を世界基準に揃えている。

 が、であるトランシルヴァニア王国では法よりも人が優先される。

 大使館の地下室では、尋問が行われていた。

 天井から逆さ吊りにされた男は、腹を空かしたピットブルに顔中を舐められていた。

 愛犬家だと嬉しいかもしれないが、少なくともこの犬種に関しては、非常に獰猛な性格を持ち合わせている為、あまり飼育向きではない。

 世界中では、襲われて死傷する事故も起きている。


 例

【放し飼いのピットブル3頭に女性が襲われ 両腕と結腸を失い食道もひどく損傷】(*1)


 飼い主は、シャルロットだ。

「食い殺される前に吐いた方が良いと思いますよ。ねぇ隊長?」

「そうだな」

 ライカは、ライカで日本刀を抜いていた。

「何故、殿下を狙ったの?」

「……」

「答えろ!」

「……」

 耳を掴んで叫んでも、男は黙秘権を行使する。

 拷問も覚悟の上のようだ。

「けしかけましょうか?」

「動物虐待だぞ? シャルロット」

「「!」」

 2人が振り返ると、出入り口に煉が居た。

 右手にヨナ、左手にナタリー、背中にシーラをおんぶした状態で。

「殿下……」

「ライカ、もう定時だ」

「で、ですが―――」

「イルマ・グレーゼになって欲しくない。シャルロットもな?」

 煉が言うイルマ・グレーゼ(1923~1945)は、アウシュビッツ強制収容所などで看守を務めた悪名高き人物だ。

 その加虐性は、囚人に恐怖心を与え、戦後は絞首刑になった。

「「……はい」」

 真剣な目で言われると、2人は頷くしかない。

「ヨナ」

「ハ」

 ヨナは首肯後、煉から離れて男の前で手をかざす。

 すると、男は、うめき始めた。

「う……う……」

 顔は苦悶くもんで歪み、ガタガタと震えだす。

『殿下、あれは?』

「喜びの島に伝わる呪いだって」

『……? 殿下は、現実主義者リアリストでは?』

「そうだよ」

『非科学的なものを信じるんですか?』

「……」

 ちらりと、ヨナが見た。

 不快に感じたようだ。

 無論、先進国に住んでいれば、呪術など非科学的なものは、信じにくい。

 ナタリーのような反応は、よくあることだろう。

「目の前で起きていることが事実リアルだ。論より証拠だよ」

 そう答えると、煉はソファに座る。

 背中のシーラは、押し潰される前に、じ登って膝の上に移動する。

「♡」

 是が非でも離れない義妹に、煉は愛おしさを感じた。

 一方、ナタリーも負けてはいない。

 シーラに嫉妬したのか、同じように膝に乗り、甘える。

『本当に貴方って人は、不死身ダイ・ハードね?』

「死んでほしかった?」

『そうは言ってないよ。これでも褒めてるの』

 ナタリーは、煉の頬をプニプニにしつつ、微笑む。

「「失礼します」」

 空席の左右をライカとシャルロットが座った。

 ライカは、もう帰ってもいい時間帯なのだが、やはり、煉からは離れたくないようだ。

「今日は大変だったな?」

「そうですね。ですが、久々に殿下の御活躍を間近で見れて貴重な経験が出来ました♡」

「私も見たかったです」

 シャルロットは、唇を尖らせる。

 あの時間帯、彼女は、受診があった為、煉と同伴することが出来なかったのだ。

 当然、一報が入った時は、心配のあまり倒れ、皐月に介抱されていた。

 それほど、煉の存在が大きく、また彼を愛しているのである。

「軍事訓練で見せるよ」

「実戦が見たいですね―――あ、でも危ないのは駄目ですから訓練で我慢します♡」

「有難う」

 煉も微笑んで抱き寄せる。

 そうこうする内に呪術が終わった。

 男は、体中から出血し、絶命する。

「がは」

「終ワリ、マシタ」

 相当の体力と精神力を消耗したようで、振り返ったミアは、大量に発汗し、足元が覚束ない。

「報告シマス―――」

「いや、明日以降、回復した時でいいよ」

「ハ、イ♡」

 微笑を浮かべつつ、ミアは倒れこむ。

「お疲れ様」

 汗が付着しても煉は、気にはしない。

 シーラは左膝、ナタリーは右膝にそれぞれ移動し、その間にミアを座らせる。

「……zzz」

 先ほどの言葉が最後の言葉かのようにミアは、気持ちよさそうに寝息を立てるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:Sirabeeニュース 2022年3月27日

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